10月
2008

日本料理

G弁護士に誘われてW秘書と一緒に、建国SOHO西区にある日本料理屋に行ってきました。
わたくしは外食をほとんどしないので、日本料理屋のどこが美味しいとか、そういうことがよく分からないのですが、ここは結構、美味しいと話題になっているようです。

和一心のお寿司

左にはおでん、上はにぎり寿司、右には納豆巻…おでんの左隣にもお寿司があったのですが画面に納まりきりませんでした~。
納豆は、日本でも関西の人は苦手だったりするくらいなので、中国人は食べられない人が多いのかと思っていたら、G弁護士もW秘書も、「おいしいね」とのこと。

あらら…意外!

しかも、G弁護士の故郷では、納豆によく似た食品があるというではありませんか。
その名は「醤豆」
醤油でいただくという食べ方は共通ですが、酢をいれることもあるそうなので、何か違った味になりそうですね。

デザートに頂いた「やわらかプリン」は、おぉ~日本のお菓子の味!と感動しました。

日本料理「和一心」
北京市東三環中路39 建外SOHO15楼1501
地下鉄10号線「国貿」駅からちょっと歩いたところにあります。

10月
2008

一元札の悪夢

昨日、ごちゃごちゃになっているお財布の中身を整理していたら、ひじょ~に嫌なものを見つけてしまいました。

偽札?
100元の偽札は多数、市中に出回っていますが、わたくしは幸いにもそういうものをつかまされた経験はありません。

一元札に字が書いてあるのです。

よく名前が書いてあるお札には出くわすので、その類だと思っていたら…

なんと、某邪教団体の宣伝文句!

この団体はいかに素晴らしいとか、あなたに幸せをもたらすだとか書いてあるのです。

「これ、偽札じゃないんだからさっさと使っちゃおうかな」と安易にわたくしが言ったら、傍にいた2人の弁護士に「ダメダメ、もし見つかったら大変なことになる!銀行で理由を言って替えてもらいなさい」と制止されました。

よくよく考えたら、邪教の宣伝行為は刑法に触れます。
ついでに言えば、法による処分というより非人道的な制裁、虐待を受けることの方が怖いかも。

観光客ならともかく、Z(就労)ビザ所有者で日常的に翻訳している人間なのだから、外国人だから漢字が読めずに、邪教の宣伝文句だったなんて知らなかったという抗弁は通用しないだろうなぁ。
しかも外国人は、特定の宗教施設(例えば教会)の中を除き、許可なく如何なる宗教活動も行ってはならないわけですし。

しかし、いい加減にしてほしい。
1元札とはいえ、本物のお金は誰もゴミ箱に捨てないだろうから、よく考えたものです。

自分のリスク管理の甘さに反省しました。

10月
2008

本当に何にでもなれるのか

「人は何にでもなれる」というのは本当でしょうか?

この頃は「勉強法」の本がブームですね。
でも、いくら勉強法を読んで「技術」「知識」だけ詰め込んでも意味がありません。
多くの人がそれで結果が出せずに挫折していますね。

では、どうしたらいいのか。

通常の思考パターンが『リミッター』になっていたら、せっかくの努力も無駄になります。
「時間活用術」とか「勉強法」にいくらお金と時間をかけても、『リミッター』が限界です。

仕事アタマの設計図 思考のボトルネックを解除しよう!

もっともだと思います。

確かにこれまでの自分の人生を振り返ってみると、著者のいうリミッター(制限)、つまりボトルネックをはずすことが「何かになる」ために一番大事なことだということが分かります。

著者はボトルネックをうまく外した例として「ドラゴン桜」という人気漫画(ドラマにもなったらしいですね)を引用してこうも言っています。

『ドラゴン桜』という漫画をご存知でしょうか?
ストーリーは単純です。しかし、衝撃的な内容です。
不良高校の建て直しに来た主人公が、やる気のないダメ生徒二人を東大合格に向けて、がんばらせるといった内容です。
この中で、実は「東大に行くのはごくふつうの話」ということをわからせるくだりがあります。
「誰でも東大に行くことは可能」という「可能性」を信じたダメ生徒二人は、教師の特殊な指導により、猛烈に成績を上げていきます。
さて、結果はどうなるのでしょうか?
興味があれば、『ドラゴン桜』を読みましょう。人生が変わりますよ。

この例、実はわたくしにとっては新鮮でも何でもありません。
自分自身が同じような体験をもっているからです。

当時、学校の成績もよくなかった商業高校出身である自分が、普通入試で大学に合格して、その後東大に匹敵するかどうか行ったことがないのでよく分からないけど、一応中国人だったら入るのがかなり難しい大学院の研究室に籍を置くことができて、最終的に学位とって卒業しているからです。
(普通高校や受験予備校・各種スクールへ生まれてこのかた行ったことがないのですから、当然試験のノウハウが分からず、大学・大学院入試は何度も何校もすべっているし、修士も博士も1年卒業延期をしていますけどね…^^;)

ですから、ある程度のことについては、自分で自分の足かせをはずしてやれば、「何にでもなれる」のだと思います。

でも、実は最近、わたくしの足かせは、はずれるどころか重くなる一方なのです。
わたくしのボトルネックとなっている思考はこれ ↓

「中国でいくら一生懸命仕事をしても、結局、帰国すればその職歴なんて何の意味もない。」

もしかすると、自分のネガティブな思い込みが、自分の未来を真っ暗にしているだけなのかもしれませんが、常識的に考えて、専門職でない若くない女が日本で就職相談することは、街中の旅行社に行って「宇宙旅行したいんですけどぉ」というくらい、突拍子もない相談だと思います。

友人知人にいわせるとわたくしは「行動的」「勇気がある」から不可能を可能にするそうですが、わたくしが思うに頭が他人と比べて鈍いので自分の能力の限界が分からないというか、そもそも考えられないというか…

読書感想文に話を戻すと、本書は「選択のボトルネック」の章で、人生で「選択」を誤らないことが大事だと述べており、簡単な理由を挙げて、法律の勉強をしている人が菓子職人をしているのはいかがなものか、適切な場所を選べと述べております。

また、一番最悪なのは、好きでも得意でもないことを収入がいいからとか、資格等に権威があるから等の理由で選択することだとも述べています。

現在、好きで得意なことを仕事にしているわたくしは、幸せなので何ら悩む必要はないのかもしれませんが、日本で一生できる仕事ではなく、老後日本で何の保証もないまま孤独死するであろうことを考えると、いまのうちに何とかすべきなのですが、何をどうしたらいいのか分からなくなるのでした。

「好きなことが分からない」と嘆く若い子や心の病の人からしたら、幸せな悩みなのかもしれませんけど。

「何者でもないことは何にでもなれること」というのがわたくしの20代の頃の信条でしたが、40に近くなった今になって、「本当ですか」と自問自答です。

本書は自己を制限するボトルネックという概念そのものに気づいていない人にはお薦めです。

しかし、結局、ボトルネックを外すのは自分自身であり、他人がいくら励ましてくれても、どうにかなるものでもないので、その先はやはり個人個人の試行錯誤かもしれません。

誰も雇ってくれないなら、起業?
でも、資金も才能も人脈も無いよ…

↑ これが思考のボトルネックってやつ?
(金も人脈も無いなら無いで今から作って自分の才能の無さは周囲に補ってもらえよというのが、未来を変える人の思考パターンでしょうね)

負のスパイラルから抜けるには、やはり本気で自分の限界を知らないバカになるしかないのでしょうか(@_@)。

10月
2008

微軟と黒い壁紙

ご存じかどうか知りませんが、マイクロソフト社(中国語で微軟公司)は中国で横行するコンピューターソフトの海賊版対策として、ユーザーががインターネットに接続し、ソフトが自動更新される際に細工を施したようです。

今月21日から海賊版を使用していると1時間おき壁紙が黒くなるようですね。

説明によれば、データの破壊などはなく電子メールやホームページの閲覧には支障はないそうです。

職場は法律事務所ですから、もちろん、そんなアホな画面が現れる端末はありませんけど、ちまたではユーザーが激怒しているらしいです。

1時間おきにお知らせしてくれるし、黒は目に優しいし、黒い壁紙サービスは素敵っていうジョークもありますが(^^;

海賊版の横行を擁護するわけではありませんが、個人的にはもっと正規版の定価を下げろよと思います。
日本円に換算すれば、日本のソフトと大差ないので、中国社会のモラルが欠如しているだけのように思うかもしれませんが、物価的に考えれば、そんな大金、庶民の値段とは言い難い。

少なくとも正規版の値段を下げたら、インテリ層の意識は多少改善されるのではないかという気がします。
(こう言うと、知識の欠如による法律違反ではない人もわんさかいるってことが分かっちゃいますね)

5年ほど前に友人(男性)と中関村の電脳街を歩いていて、怪しい人に声をかけられ、好奇心からその友人と一緒に海賊版を販売している人のお家(海賊版保管庫)に行ったのですが、まるでドラマのように、4畳半くらいの小さな部屋のベッドの下にたくさんの段ボール箱があって、その中から、海賊版ソフトがわんさか出てきました。

わたくしは友人に「何かあったら大変だから(強盗事件とか)、お前絶対に外国人=お金持っていると誤解されないように、簡単な相槌しか打つなよ」と釘をさされてついていったんですけどね。

彼らもこちらが当局の職員だったり、企業の依頼を受けて証拠収集のために買いにきた調査会社の社員だったりするとヤバいので、すぐに保管場所には行かずに狭い道をぐるぐる回って回り道をしているようでした。
見張りの人がいたりもしました。

何も買わないと後が怖いかもしれないと思った友人は、何か1枚買いましたけどね。
わたくしの記憶によれば数十元だったと思います。

正規版は何千元もするのに、数十元で海賊版が買えるのだから、とんでもない話です。
オリンピックもあったので、昔ほどは堂々と売っていないのかもしれませんが、相変わらず偽物の多い国ではあります。

うちの事務所が知財の権利侵害事件を扱う関係で、調査会社の調査レポートをたまに読みますが(権利侵害品や権利侵害者のデータを調査したり、権利侵害品の実物を入手したりしてくれます)、どこにでもいそうな普通のおっちゃんが、自分で内職みたいに権利侵害製品を製造して、自分で手売りしているケースもあれば、会社ぐるみで大規模な工場生産している場合もあります。

しかし、普通のおっちゃんの場合、危ない橋を渡っても大した利益がでるはずもなく、そこまでする情熱があるのなら、その情熱をもっと他のことに向けたら大成するのになと思わなくもありません…

10月
2008

パソコンの個人名候補

さきほど、次回購入するパソコンの個人名をどうしようかと書きました。
クリスマス頃に買うことになるなら、やっぱ、Saint Nicholas(聖ニコラス)からお名前をいただくべき?

ご存じのとおり、サンタクロース(Santa Claus)は4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教聖ニコラウスの伝説が起源です。

「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

学問、旅行者、貧乏人の守護聖人ともいわれているので、いいかもと思った次第。
他にいい案がなかったら、「尼克拉斯 Nicholas」とお名前をいれてもらいましょうか。

10月
2008

パソコンの個人名

実は昔からパソコン一台、一台に名前をつけています。

大昔は「ゆうた君」とかなり適当な名前をつけていました。
これは、高校の時、情報処理(要するにコンピュータプログラミング)科の担任の先生が「根皮優太(こんぴゆうた、と読む)」という仮のAuthor名をよく使ったことに由来しています。

結婚後、独身時代に下取りに出し損ねて押入れにしまってあった古いMacやWINDOWSマシンを掘り出し、LINUXなんかも交えてネットワークを作ってみたときには、彼らに一貫性をもった名前をあげようと思いました。
そのネットワークにつながっている子たちはそれぞれ「FLOPSY」「MOPSY」 「COTTONTAIL」と名付けていました(今もマシンは家の押入れにありますがネットワークは解散しました)。
この名前は、わたくしの大好きなお話に由来します。

ONCE upon a time there were four little Rabbits, and their names were–
Flopsy, Mopsy, Cotton-tail, and Peter.

Beatrix Potte「THE TALE OF PETER RABBIT」

ここ最近は、カトリックの聖人名を使用しています。
今、岡山の家に置きっぱなしにして旦那さんやわたくしがたまに使用している子は「Jerome」、翻訳のためにパソコンを使用することが多いのでTranslatorの守護聖人から名前をいただきました。

その後、コンピュータの聖人から名前をいただいて「Isidore」にしたものの、先にも書いたとおりこの子は半年に一回原因不明のエラーを起こす爆弾となってしまい、お別れしました。

今、この原稿をタイプしている子は「Xavier」です。
アジアに縁がある聖人なので、日中を往復するこの子に向いているのではと思ったのですが、よくよく考えてみると、フランシスコザビエルは中国の聖人とされているものの、中国入国できないまま、上川島で病に倒れ46歳の生涯をとじたらしいではないですか…
あれれ…日中往復に力を発揮してくれそうにもないぞ(^^;

Let’s NoteのHPを見ていたら、無償でネームプレートを付けてくれるみたいなので、来年、購入予定の子にどんな名前をつけようか思案中です。
もちろん所有者の名前を付けることを想定してのサービスだと思うのですが、自分の名前なんて意味ないから、パソコンさんの名前にしてあげるつもりです。

やはり、語学や法律の教学に縁のある聖人か、旅に縁のある聖人からお名前をいただこうと思います。
いつも持ち歩く自分の仕事の相棒(パソコンの話ですよ)としては、ものすごく年の離れた可愛い20くらいの女の子か50過ぎの素敵なおじ様がいいので、それも考慮して名前をつけようっと。

10月
2008

韓国ドラマ

ドラマを観賞しながら語学を勉強する人は多いのではないかと思います。

中国には韓国ものがたくさんあふれています(日本のドラマのDVDも多いですが、ほぼ海賊版でしょうね)
韓国ドラマは結構、テレビで放送されているので、たま~に見ます。
わたくしは日本では韓国ドラマを観ません。
訳者や吹替の方には申し訳ないのですが、どうしても日本語で聴くと不自然な感じがするんですよね。
かといって韓国語は全く分からないし…
その点、中国語はわたくしにとっては全くの外国語なので違和感がないのです(おそらく中国人にいわせれば、不自然なのだと思います)。

先日、夜に「浪漫満屋」(中国名)というタイトルの韓国ドラマが再放送されていました。
日本語では「フルハウス」というタイトルで何年か前に放送されたものです。
あらすじはまだウェブで公開されているみたい。http://www.ntv.co.jp/fullhouse/
ストーリーが少女漫画っぽいノリだなとずっと思っていたら、やはり少女漫画が原作だというようなことが誰かのブログで紹介されていました。

歴史ロマンとか、頭のかた~いドラマは勉強になるし、一石二鳥ということもあり好きなのですが、単純なラブコメも、それはそれでリラックスできて精神衛生上いいなぁと思いました。
理屈抜きで笑い転げるのは気持ちいい。

いちおう、単に笑い転げているだけではもったいないので、観ながら台詞を中国語で追いかけたり、日本語に訳したりしてみますけどね。

でも、おちゃらけた語彙が増えても仕事に使えないなぁ。

わたくしが年下の弁護士に日本の若者言葉をうっかり使ったら、そういう言葉に限って、うちの先生も喜んで覚えちゃうんだよね~(もちろんクライアントに対して使用する機会がないので残念って言ってます)

10月
2008

パソコンを買い替えたい

今、使用しているパソコンを新年に買い替えようと思います。
今のパソコンは1年くらい前にCPUやメモリ等を指定する方法でウェブで買ったものです。

実は今使用しているパソコンの前に使用していたパソコン(今のと同じモデルでCPU等のパワーアップ前のモデル)はシステムが不安定で(突然予期せぬエラーが半年に一回起こり、専門家に診てもらう時は異常が見られず、検査しても初期の不具合が見つからないため文句のつけようがないまま、さすがに爆弾をかかえているのが嫌だったので、さっさと売り飛ばした)、今のはそういうことはないのですが、コンセントがこの間パーになりまして(といっても、普通に使用していただけで電圧オーバー等してませんけど)、中国のコンセントを使用しております。
このパソコンのシリーズはヘビーユーザーには向かないのかも知れないのかななどと思いつつ、別のメーカーに乗り換えてみようかと思ったのです。

いまのパソコンを夫に譲って、自分は松下のLet’s Noteを使用してみたいと検討中です。
夫は研究室で反応が超にぶいCPUと少ないメモリしか搭載していないパソコンにXPという構成でも平気で使っていますが、私は何でも新しいものを試したい性格なのです。
ちなみに我家に一台置きっぱなしにしてあるノートは、わたくしが前の前に使用していたXPモデルのものです。
さすがの夫も最近、パソコンを買い替える気になっているようなので、下取価格で押し付けるいいチャンス到来。

ちなみによくドラマ等で女の子が男の子に「パソコンをネットにつないで」とか「プリンタと接続して」とか「調子が悪いからみてくれ」とか可愛くお願いして、男の子が鼻の下をのばして手伝ってやるなどという光景が見られますが、我家ではあり得ません(^^;

「プリンタが動かないんだけど、研究室まで見に来てくれない?昼飯おごるから」と、かなり前に夫に頼まれて見に行ったことがありますが、物理的に電源コードの接触が悪かっただけってこともありましたね。
(昼飯はきちんとおごってもらいました)

以前、ある方のアシスタントをしたときに、その方が新しく買ったLet’s Noteとプリンタとの接続やその他の調整をお願いされて触ったことがあるのですが、何だかよさそうでした。
本当のところ、どうなんでしょう。
身近で使っている人いないかな。

10月
2008

色とイメージ

語学ネタを書いたので、引き続きその路線でいってみます。
もしかして、前に別のブログで書いたかも知れません(その場合はスルーしてください)。

色を表す言葉とそのイメージは、外国語と日本語で共通するものと、なぜ、この色がそういう意味なの?という場合があると思います。

例えば白は「純粋」なものをイメージするというのはどうも、英語、中国語、日本語であまり差はないような感じです。

ず~っと疑問なのは、日本語の「ピンク」英語の「ブルー」中国語の「イエロー」がなぜ、わいせつなものを連想させるかってことなのです。

わたくしは日本人なので「ピンクのなんとか」がちょっとHな描写がある恋愛漫画や小説のタイトルに使用されるのはイメージとしてよく分かるのですが…
どうして中国語の黄色や英語の青色は、わいせつフィルムを指すのでしょうか?
全然、イメージとして分かりませーん!!!

黄色って言えば、昔の中国の皇帝の色ですよね。
高貴な色のハズ。
皇帝は色好みだったから?

どなたか、教えてください。

10月
2008

英語と漢字の共通点?

これまでずっと英語はアルファベットの組み合わせによる表音文字なので、漢字とはずいぶん違って全然面白くないと思っていました。

ところがどっこい、漢字のような意味性があるんですってね。
英語の得意な方は「そんな当たり前のことを今頃知ったのかよ」とお思いになるのでしょうね(^^;

albatrossは「あほうどり」という意味です。alpsは「アルプス山脈」、alubumは「(写真を整理する)アルバム」のことですね。

これらに共通するイメージは「白」です。実は、alb-、alp-というスペルが「白」を表していて、ネイティブはその音からすぐにそうしたイメージを抱きます。

alb-、alp-の語源は、albus(白)というラテン語です。私が勝手に語源に漢字を当てはめると、「albatross」(大白鳥)、「alps」(白山)、「alubum」(白頁)になります。

(松澤喜好著「単語耳」アスキー・メディアワークス 2007年 27頁)

ふーん。そこまでイメージが膨らめば、英語もきっと面白いんだね…

中学生の頃は英語が好きでも嫌いでもありませんでした。テストの結果はいつも75点とか80点とか、良くも悪くもない領域。

高校生の頃、実はわたくしは進学校を出ていないので、英語をほとんど勉強していません。そもそもカリキュラムが違うのですから、リーディングみたいな教科書をちょこっと読んだらお終い、誰もグラマーとかそんな難しいことを教えてくれません。

高校を卒業して初めての就職した時は、英語なんて全然必要なかったので、全く勉強しませんでした。
まっとうな英語教育を受けていないということが長い間コンプレックスになっていて、大卒の子の前では英語を絶対に話しませんでしたね。

その後、周囲のほとんどが大卒者ばかりという職場環境で、自分が高卒ではろくな待遇を得られないんだという当り前のことに気づいて、大学へ行こうと思いましたが、当時、若過ぎて社会人入試にも該当しないわたくしは、あくまで普通入試を受験するしかなく、国語や世界史は常識で何とかなっても英語はどうしようもないので、適当に書店で予備校の参考書を買って独学しました。

結局成績の足をひっぱる英語は、合格ラインすれすれで合格したものの…英語の勉強ってそもそもどうやったらいいのか全然わからぬまま。

大学時代は第一外を中国語、第二外を英語にすることで、切り抜けました。
その後の院試はすべて中国語で通過してきました。
ご存じのとおり、院試というのは英語以外の外国語で受験したほうが圧倒的に有利です。
英語は皆できて当たり前なので、足を切るために分量を多くして訳しきれずに時間切れにさせるというパターンが多いのではないでしょうか。

その後、当たり前ですが論文書くためには、英語ができないとまずいです。いくら自分の研究対象が中国とはいえども、世界のスタンダードが英米法なわけですから。

仕方がないので、夫を拝み倒して、日曜日に英日翻訳したものを添削してもらいました。
ほんと、今から思えばアホな妻に付き合って、よく無償で教えてくださったと思います(感謝)。
でも、相変わらず、英語って実に面倒くさいという感覚は消えませんでした。

英語とは見ただけでは分からない何と不合理な言語なんだと思い続け…外国にしばらく行ってみれば多少はこの「いやな感じ」を払拭できるのでは、とか思ったけど、米国に数か月行く機会があったものの、全然、この「いやな感じ」は消えませんでした。

もちろん、喋らなければ暮らせませんから、文法が誤っていても必要最小限において適当に喋りましたが全然進歩しませんでしたね。

今の職場も皆外国語を話して訳せてなんぼという環境で仕事をするので、誰もが英語、日本語、中国語又はその他の言語のうち2種類以上はビジネスレベルで使用できる人しかおりません。
ますます、わたくしのコンプレックスは募るばかり…

で、先日、ふと書店で目にした本を立ち読みし、何となく引かれたのでそのまま購入したら、上記の文章に出会ったというわけです。

語学の習得って、王道はないんですよね。
基本に立ち返って、地道に反復練習するしかないのですが、いかに反復練習するに際して、自分で面白おかしくする工夫をして、努力し続けられる仕組みづくりをするかなのかな~と思います。

小手先の「数週間で学べるXX」とか「ゼロから始めるXX」みたいなタイトルの語学書とは違って、基本中の基本を説いて、基礎固めには1,2年はかかると当たり前のことを書いてある本を久しぶりに読んで、更に「なあるほど」と思った次第でありました。