9月
2009

わたくしって風流?

最近、うちのS弁護士が「ご当地キティ」にはまりだしました。

友人から「奈良のシカせんべいキティ」のストラップをもらって大喜び。
わたくしから「名古屋の金シャチキティ」をゲットしてニコニコであります。
そろそろ国慶節、またもや日本へ旅するわたくしに「有里は今度は日本のどこへ行くの?」と聞くので、今回は「東京と岡山」と答えたら、「じゃ、岡山と東京の変なキティちゃんよろしく」と頼まれました。

そして、さらに冗談でこう問われました。
「有里は、もしかして東京に愛人いるの?よく東京に行くよね」

おぉ~
いいなぁ、この問いかけ。
わたくしってそんなに「風流」?

― ミニ中国語講座 ―

中国語の「風流」は日本語の「風流」と意味は異なります。
確かに日本語の「風流」や「幽雅である」との意味もあることはありますが、「風流案子」といえば、つまり「痴情事件」のことでありまして、要するに「色恋ざた」の絶えない人のことを形容する言葉だったりします。

ははは、残念ながら東京に愛人はいません。
悲しいかなぁ、わたくしは超モテない女でして、彼氏いない歴26年で、今の旦那さんと出会って結婚した女です。
子どもの頃からそりゃモテなくて、告白すれば「彼女っていう対象じゃないから」と断られたものです(^^;
いや~そんなわたくしが「風流」なわけないでしょ(笑)

お会いするのは、某出版社の方とか、某大学の先生(兄弟子とか兄弟弟子)とかでして、そういう方々にいろいろ話を聞いてもらっているからです。
しかも、先日の日本帰国では、新型インフルエンザにかかってしまったのに、わたくしにお会いしたお兄様方は全然平気でケロッとしていたとかで、もし「風流」な間柄だったら、絶対感染してるって(笑)

9月
2009

学者の素顔

中国社会科学院の鄭成思先生がお亡くなりになられて、はや三周忌、それに便乗した(?)研究会が先日行われたことは先日書きました。
内容はもう書くのが面倒くさいので、別の話題にシフトしまして、鄭先生と言えば思い出すことについて、書いてみたいと思います。

師曰く「知的財産法研究に必要なのは科学と外国語の知識」

確かに、思い当たりますよね。
法律の研究なのだから、法律を勉強しなければならないのは当たり前ですが、保護対象についての知識がないとキツイなぁとよく思います。

それから外国語の知識も大事。

学者は本当に翻訳にうるさいですよね。
世の中には公定訳も含めて本当に奇怪(誤りといっていいんじゃないというほどの深刻な問題もあったりする)な訳文がまかり通っているので、この点、いつも適当に翻訳するなとおっしゃっていたような気がします。
この点はわたくしの中国法の先生、浅井敦教授もそうでした。
翻訳って評価低い「作業」だけど、実は大変な「研究」だと思います。
ですから、ある意味、先生の影響を受けた兄弟子の翻訳は、ある種の特徴(こだわりともいう?)があるので、名前を見なくても、兄弟子が訳したのかなと分かります(^^;

鄭先生はイギリス留学をされているので、流暢に英語を話されるイメージが強く、わたくしなんぞは入学したての頃は「頭のいい人はペラペラ喋れていいわね~、学者の頭とワシら庶民の頭は違うもんね」と先生=エイリアンのように思っていたのですが、先生も普通の人と同じように、ものすごい努力家かなんだなということがある日分かりました。

それは、鄭先生がいかに英語を勉強したのかという昔話を読んだ時。
1979年のある日、鄭先生は法学研究所研究員の外国留学の機会に際して、英語の筆記試験及び面接を受けていました。試験委員の米国人法学博士は、基本的に鄭先生が面接でお話になった英語に満足しておられ、鄭先生も「試験はパスしたぞ」と内心思ったそうですが、帰り際に米国人法学博士が一言、鄭先生に試験に関係ないことをお尋ねになりました。
「なぜ、あなたの英語は米国で100年前に流行していた英語表現なの?」

答えは簡単でして、鄭先生はマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」の影響を大いにうけていたからです。

これには時代背景の説明を要しますね。
わたくしたちが、「英語ができない、つまらない」と思って、パーパーバックや童話を読んで英語を勉強するのとはわけが違います。

1960年代後半から1970年代前半、時は文化大革命、洋書なんて手に入るご時世ではありません。
1970年3月、鄭先生は「再教育」を受けている時、ある石墨鉱山で労働に従事しておりました。
そのとき、英国から輸入された設備の説明書の翻訳を任されました。
周りの大学生でなんとか英語が使い物になりそうなのが鄭先生だけだったのでそのような仕事が回ってきたのだそうです。
身体の余り丈夫でない鄭先生は、「今後、いつも翻訳を任せてもらえるようになれば、重労働しなくていいかも」という考えが浮かびました。
でも、鄭先生の当時の英語レベルはいまいち。
そこで、なんとか英語のレベルアップをはかろうと、お父様のご友人(英語がめっちゃ上手)から英語の本を借りました。
それが、マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」英語版だったわけです。
(文革中、魯迅は攻撃を受けなかった数少ない文学家でありまして、魯迅はマーク・トウェインを高く評価していたので、マーク・トウェインの小説を利用して英語を勉強しても〔封建主义〕〔资本主义〕〔修正主义〕の嫌疑はかけられまい、ということだったそうです。
借物ですから、当然、返さなくてはならない。
そこで、全部、手書きで写したそうです。

そしたら、あら不思議、なんかいっぱい単語を覚えちゃったし、慣用句が身に着いてしまったというではありませんか。

その後、これはいい本だと思っていた鄭先生は、仕事仲間にも読ませたくなりまして、「よっしゃ、私が英語から中国語に訳して皆にすすめよう!」と思ったそうです。

それで、自分でえっちらおっちら訳しました。

その後、鄭先生は図書館員から「それ、50年代に中国語訳がすでに出ているよ」と聞かされ、あらま、びっくり。
その図書館員は、60年代の焚書の際に、ひそかにその訳書を隠し持っていたそうで、鄭先生にプレゼントしてくれました。

そこで、鄭先生「私の訳と彼の訳、どこが違う?」と見比べたそうです。

そんなわけで、そういう恵まれない時代に必死に勉強したおかげで、鄭先生の英語はどんどんレベルアップしていったそうです。

ですから、鄭先生は、学生に要求する外国語のレベルは、かなり、厳しいものがあります。
「私は天賦の才能があるわけじゃないし、天才でもない。ただ必死にやっただけだ」
と学生や同僚におっしゃっています。

わたくしは、鄭先生は「賢すぎてバカの気持ちが分からないのでは?」と思っていましたが、この物語を読んで「賢くて努力家だから、楽な方に流れたがるただの怠け者には、同情の余地なし」なんだなぁと思いました。

鄭先生が留学試験の面接の日に、面接官(米国人法学博士)に「マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」で英語を独学しました」と告白した後、その博士はこう忠告しました。
「現代の言葉は変化しているから、同じように努力して現代英語を補いなさいね」

鄭先生はこの教えをちゃんと守りましたっていうところが、凡人と先生の違いなんだろうね。

鄭先生は、英語でも何本か論文を発表しておられます。
師曰く「マーク・トウェインの文章スタイルの影響を完全に抜け出すことはできないけど、使用しているのは明らかにマーク・トウェイン時代の言葉じゃないよ」

う~ん。
自分の怠け癖を反省する今日この頃。

参考:鄭成思:「一本必须归还的『汤姆历险记』」http://www.iolaw.org.cn/showArticle.asp?id=183

9月
2009

何に癒されるか

しばらく書いていないので死んでいるかとおもわれていたりして。
あながち間違いではないのだけど。

で、先週の総まとめ。
要するに週初めに熱を出して寝込んでしまいました。
新型インフルエンザはもう経験済みなので、そうでないことは確かで、単に何だかわからないけど熱が出ました。
いや~むしろ38度台の熱の方が39度台の熱より、意識がしっかりしている分辛いですね(^^;

趣味の方はといえば、結局、毎日、笛子吹いて、雪先生にも長期休暇を撤回し、面倒見てもらってます。
管楽器の上達を半ばあきらめているわたくしが浮気した柳琴ですが、相変わらず、楽器屋に教えてもらいに行ってます。
すごく下手で、弦を抑える指も弾く指もおぼつかないのに、ちょっと早く弾けただけで「うまいぞ、うまいぞ、よくやった!」と楽器屋のおっちゃん(つーか先生と言わなきゃいけませんね)が褒めてくれるので恥ずかしいです。

新しいことを教えてくれたとき、すぐに飲み込めると「かしこいねぇ」とも言ってくれるので、先生、ほんとにいい人ですね。
子どもが初めて歩いた時に(傍から見たら何てことないのに)親が大喜びするじゃないですか。
多分、それに似ているのが、年配の先生の学生に対する態度。

きっと、わたくし、褒められることに飢えていて、無条件に誰かに褒めてもらいたくて、全く経験のない新しい楽器なんてさわってみたりしてるんだろうなぁ。
世間では「男は閾(しきい)を跨(また)げば七人の敵あり」とか言うそうですが、別に男性に限らず、世間を渡るのは相当賢いか、相当バカでないとやっていけないよねぇ。(ワタクシは相当バカだからまだ生きているけど)
仕事をするってことは、その仕事でミスは許されないよね。
100%できて、当たり前。
120%を求められる世の中。
だから、無条件に誰かに褒めてもらいたいのだと思う。

わたくしが、19の時に初めて20でやめたバイオリンの先生が、こんな世の中だから音楽は癒しになるよ、やめちゃうなんてもったいないなぁと言いました。
その時は、「音楽を聴くことは癒しになる」とか「演奏する楽しみを持つことは精神的癒しになる」という意味なんだろうなと思っていたけど、ど下手でも褒めてもらえる喜びってのが癒しになるとは気付かなかったなぁ(^^;
(もちろん、プロ目指す人にはその手の癒しは永遠にないけど)
だいたい、昼間仕事して夜大学に行ってたら、真夜中しか練習できないので、止めざるを得なかったのだけど、昼休みにでも練習し続ければよかったかなとも思う。
(実家でバイオリンの弓がボロボロになっていました~なんかあれ、調整したら本当に楽器として使い物になるのかな?ごめんよ、バイオリン君)

初心者の頃と言うのは、最初は何だって簡単だから、誰でも褒めてもらえるよね。
語学だって、最初は「こんにちは」が言えるだけで、「日本語、お上手ですね」ってわたくしも他人を褒めてあげるもの。
本気でやっている人には、変な言い回ししただけで、変だよって本当のこと言ってあげるけど。

わざわざ下手な柳琴を毎晩弾くのにはそういう癒し効果があるのです(^^;
何でもないことができただけで、無条件に先生が褒めてくれる。
た~の~し~い~デス。

きらきら星しか弾けないのにね。
ご近所は、またそれかよ、と思っているに違いない…
(*しかしながら、「きらきら星」というのは、簡単なだけに本当は本気できちんと演奏したらものすごく難しい曲だと思います。「きらきら星」に始まり「きらきら星」を極めて、その人自身の「音」が見えるものだとも思います…)

もっとも「このド下手くそ~いい加減にしろ!」とご近所や家族に怒られるような環境にいる人には「癒し」どころじゃないので、この手の癒しは使えませんなぁ。

9月
2009

鄭成思教授三周忌記念研究会

先日は教師節(先生の日)でした。
早いもので、中国社会科学院知的財産センターの教授、鄭成思先生がお亡くなりになって3年も経つんですね。
三周忌ということで、知財センター恒例の研究会が、表題のように三周忌記念研究会として昨日の命日に知的財産研修センターで行われました。
今回はテーマは「商標法の改正」についてでした。

しかしながら、「鄭成思」先生は中国の知的財産法の立法において、無から有を創りだすという意味で、なくてはならない特殊な存在でしたから、そのお弟子さんたち(直系か薫陶を受けたという方まで)にとって、今回の研究会は「鄭先生の教えを守って中国知財法の発展に貢献しよう」という特別に思い入れのあった研究会でした。
この分野に疎い方はググってみると、国際的にも知られた中国の知財界の権威だったことが分かると思います。

わたくしの指導教官は鄭先生ではありませんが、うちのセンターの特徴として「誰が誰の学生って言うのは意味ないよ、おまえらの先生は、センターの研究員(教授)全員だ」っていう雰囲気がありまして、そういう意味では、恐れ多くも鄭先生もわたくしの先生の一人だったといえるのかもしれません。

鄭先生の直弟子は皆非常に優秀な方でしたから、鄭先生がこれまでに接触した学生の中で、わたくしはひときわ大バカ者だったという(変な)自信があります。
優秀でないわたくしは入試を二回も受けたので、二回も鄭先生の面接試験を受けられました(^^;ラッキーなのかも???
その際、いつもバカなことを言いそうになって、直接の指導教官や現在のセンター主任に助け船を出してもらったことを昨日のように思い出します。

また、留学生は基本的に長期間、大陸にいない人がほとんどなので(基本的にすでに一人前の研究者である人が多いので、専門科目は全国雑誌の好評論文が単位として認めてもらえることがあるからです)、そういう意味ではわたくしは、かなり長期間、中国大陸にいる関係から「留学生なのに、お客さんじゃなくて、本当にここの学生になろうとしている人は初めて見た」みたいなほめ言葉(?)を何気にいただいたことがあります。

残念なのは、わたくしが1発で試験に合格して、3年で論文を書き上げていたら、鄭先生の口頭試問が受けられたのになぁということですね。
(そうしたら、博論、通してもらえなかった可能性が高いか^^;)

鄭先生のお葬式には行きましたが、前述したように、留学生が長期間大陸にいることは稀なので、わたくしくらいしか外国人がいなかったんですよね。
だから師母(先生の奥様の呼称です)が「わざわざ外国からお葬式のためにいらしてくれたの、ありがとうね」とおっしゃったときは、否定せずにそのまま曖昧な顔をしておきました(^^;

あれから年月は経ち、研究会では日本語でわたくしに話しかけてくる人が現れるようになりました。
わたくしのような者でも、ここで学位が取れるのだから、取ってみようという日本人が現れるのも不思議ではありません。
わたくしが学生をしていた時なんて、周囲は誰も日本人が混じっていることに気づかなったのになぁ。
いわゆる、台湾、香港系ではなく、米国やカナダ移住、あるいは日本国籍の中国人ではない、そのまま母語が日本語で中国とは何の血縁関係も有さない日本人の正規留学生ってのが多分、わたくしが初めてだったので、なにかと手続が分からず、先生もわたくしもやることなすこと、めちゃくちゃだったのに。

妹弟子や弟弟子の方が社交性もあってやり手なので、全然出世しないわたくしとしては、ちょっとイタイかも。
そういえば、同次期に修士課程に入学した韓国人のお役人は、その後韓国で博士を取得して、中国にある韓国大使館勤めになったそうです。
う~ん、わたくしはどこを目指して努力すりゃいいんだろう。

懐かしいやら、自分の成長の遅さがイタイやら、ちょっと微妙な研究会でした。
研究会の話題は次回にでも…

9月
2009

言語の混乱

さきほど、日本語が変というか中国人ぽい日本語だと日本人に指摘されました(たら~)
中国人と日本語と中国語をちゃんぽんにしたような会話を長年続けているせいと、ここ最近、中国語の論文を書いていたせいで、頭が中国語の思考回路のまま日本語を扱うからなのだと思います。
わたくしの生活環境では日本人と正しい日本語で長時間会話する機会はあまりありません。
しかも、最近、事務室に新たに加わった中国人実習生と米国人がしょっちゅう、英語と中国語をちゃんぽんにして会話しているので、頭が変になりそうです(^^;
他人の英語の会話の途中で中国語で相槌打ったりするわたくしって可笑しすぎ。

プロなら、日本語は日本語、中国語は中国語と割り切って、きちんと二つの外国語の間を行き来できるのだと思いますが、わたくしはその辺がいい加減なのでしょうね。

こんなことを書くと、相当、中国語が上手いのだと勘違いされそうですが、もともと外国語の成績は子どもの頃から悪くて、「感覚」と「習慣」で中国語を扱っているにすぎないのです。
右脳で言語処理してそうな感じです(^^;
言語だけで飯を食っている人はこんなミスしないんだろうなぁ(反省)

9月
2009

著作権法研究に趣味が及ぼす影響?

いちおう、「台湾著作権法逐条解説」の翻訳してみたり、著作権法に関する内容で博士論文書いてみたりしているので、いちおうこの分野の研究者といってもいいんではないかいと思っているわたくしです。

最近、楽器ネタばかりで、あんた仕事や研究してるのかよって疑われていると思います。

でも、言い訳をすれば、趣味って研究に役立つんだけど。
著作権法っていうのは、日常生活の中でかなり身近にあるんじゃないかと思います(気づいているかどうかは別ですが)。

― 美術関係
わたくしは、昔からお絵かきが好きです。
子どもの頃、授業中は授業聞かずに、ノートにマンガを書いていました。
歳の離れた従妹によくせがまれて、少女マンガの主人公をよく模写したものです(とっても好評)。
当時は大人になったら漫画家になりたーいとか思っていました(もちろん、短時間にいろんな構図を描いたりストーリー作れる才能ないので、実現しませんでしたが)
今でも、他人の詩を翻訳して、絵を加えたりするの好きですしね(きちんと許諾はとってます)
だから、某マンガのXXや○○のキャラをそのまま利用して、自分で番外編を勝手に描いて、同人誌に掲載して売ったりする人の気持ち、ちょっと分かるような気がします。

― 音楽関係
今、いろいろ変な楽器を買ってきて、試しに遊んでいますが、絶対音感がないので、耳コピはちょっと大変なんですよね。
わたくしの場合、ある楽曲の楽譜がないけど、どうしても奏でてみたい場合、一定のキーを決めてから、自分で歌ってみて、そこから音が何度上か下かを確認しながら音をさぐり当てていきます。相対的な音感しかありません。
先日、北京のある大手書店に行き、音楽関係書籍を見ていたら、下に座り込んで楽譜を写している中学生くらいの子を何人か見ました。
わたくしは、結構、ポンと楽譜を買ってしまいますが、彼らからしたら高額なので、そう簡単に買えないんだろうね。
だから、ネットとか楽器屋さんとかで、楽譜配布されているとかなり嬉しいだろうね。
クラッシックなら問題ないけど、ここは、中国、そうでないものもあるんだよね~

― コンピュータソフト関係
わたくしは普通高校ではなく、商業高校の「情報処理科」っていうところを卒業しておりまして、今はコンピュータの知識に疎くなりましたが、根本的にパソコン触るのが好きです。
このブログはWordPressというフリーウェアを利用して作成しております。
前に書いたかもしれませんが、スパム対策なんでしょうけど日本の無償のブログサービス等は外国からは使いにくいんです。
時々、管理者である自分がアクセスできなくなってしまったり、外国からはコメント付けられなかったり。
だから、レンタルサーバを使用して、自分で空間を好きに使っています。
フリーで利用できるソフトはありがたいです。
どうして金を取らずにそういうソフトを開発する人がいるのか?
「利用してもらえば嬉しい」「貢献したい」「とりあえず試したい」等いろいろ考えられますが、人によりいろいろな理由があるのかもしれませんね。
また、かつては言いたいことがあっても、大勢多数に自分の意見を主張することは、限られた人の特権だったわけですが、今やブログで言いたい放題ですものね。
何人見ているかは疑問ですが、有益なものであれば、相当なページビューがあるでしょう。

こうしてみると、どんな人もクリエーターと権利侵害者の資質を具備しているんですよねぇ。
だから、趣味に走るのも研究に資するのです(^^;