先日は教師節(先生の日)でした。
早いもので、中国社会科学院知的財産センターの教授、鄭成思先生がお亡くなりになって3年も経つんですね。
三周忌ということで、知財センター恒例の研究会が、表題のように三周忌記念研究会として昨日の命日に知的財産研修センターで行われました。
今回はテーマは「商標法の改正」についてでした。
しかしながら、「鄭成思」先生は中国の知的財産法の立法において、無から有を創りだすという意味で、なくてはならない特殊な存在でしたから、そのお弟子さんたち(直系か薫陶を受けたという方まで)にとって、今回の研究会は「鄭先生の教えを守って中国知財法の発展に貢献しよう」という特別に思い入れのあった研究会でした。
この分野に疎い方はググってみると、国際的にも知られた中国の知財界の権威だったことが分かると思います。
わたくしの指導教官は鄭先生ではありませんが、うちのセンターの特徴として「誰が誰の学生って言うのは意味ないよ、おまえらの先生は、センターの研究員(教授)全員だ」っていう雰囲気がありまして、そういう意味では、恐れ多くも鄭先生もわたくしの先生の一人だったといえるのかもしれません。
鄭先生の直弟子は皆非常に優秀な方でしたから、鄭先生がこれまでに接触した学生の中で、わたくしはひときわ大バカ者だったという(変な)自信があります。
優秀でないわたくしは入試を二回も受けたので、二回も鄭先生の面接試験を受けられました(^^;ラッキーなのかも???
その際、いつもバカなことを言いそうになって、直接の指導教官や現在のセンター主任に助け船を出してもらったことを昨日のように思い出します。
また、留学生は基本的に長期間、大陸にいない人がほとんどなので(基本的にすでに一人前の研究者である人が多いので、専門科目は全国雑誌の好評論文が単位として認めてもらえることがあるからです)、そういう意味ではわたくしは、かなり長期間、中国大陸にいる関係から「留学生なのに、お客さんじゃなくて、本当にここの学生になろうとしている人は初めて見た」みたいなほめ言葉(?)を何気にいただいたことがあります。
残念なのは、わたくしが1発で試験に合格して、3年で論文を書き上げていたら、鄭先生の口頭試問が受けられたのになぁということですね。
(そうしたら、博論、通してもらえなかった可能性が高いか^^;)
鄭先生のお葬式には行きましたが、前述したように、留学生が長期間大陸にいることは稀なので、わたくしくらいしか外国人がいなかったんですよね。
だから師母(先生の奥様の呼称です)が「わざわざ外国からお葬式のためにいらしてくれたの、ありがとうね」とおっしゃったときは、否定せずにそのまま曖昧な顔をしておきました(^^;
あれから年月は経ち、研究会では日本語でわたくしに話しかけてくる人が現れるようになりました。
わたくしのような者でも、ここで学位が取れるのだから、取ってみようという日本人が現れるのも不思議ではありません。
わたくしが学生をしていた時なんて、周囲は誰も日本人が混じっていることに気づかなったのになぁ。
いわゆる、台湾、香港系ではなく、米国やカナダ移住、あるいは日本国籍の中国人ではない、そのまま母語が日本語で中国とは何の血縁関係も有さない日本人の正規留学生ってのが多分、わたくしが初めてだったので、なにかと手続が分からず、先生もわたくしもやることなすこと、めちゃくちゃだったのに。
妹弟子や弟弟子の方が社交性もあってやり手なので、全然出世しないわたくしとしては、ちょっとイタイかも。
そういえば、同次期に修士課程に入学した韓国人のお役人は、その後韓国で博士を取得して、中国にある韓国大使館勤めになったそうです。
う~ん、わたくしはどこを目指して努力すりゃいいんだろう。
懐かしいやら、自分の成長の遅さがイタイやら、ちょっと微妙な研究会でした。
研究会の話題は次回にでも…