4月
2010

わたくしに捧げる北国の春?

夜10時過ぎに携帯電話が鳴りました。

こういう時間に電話をかけてくるので考えられるのは、G弁護士かS弁護士だろうと思い携帯を手にとりましたが、それは誰の番号か分からない電話番号からの着信でした。

間違い電話かもな、と思いつつ、「ニーハオ!」と言って出てみたけど相手は無言。
相手は間違えちゃったと思って一瞬焦っているのかなと思いつつ、再度呼びかけてみるけど、やっぱり応答なし。
そのうち、なにやら音楽が…
そして、聴こえてくるのは、決して上手とは言えない「北国の春」
どうやら、相手はカラオケ店にいるみたいなんです。

うーん、こうなってくると、日本語の分かる中国人の友人が冗談でかけてきているのかなと思い、しばらく北国の春を聴いてみました。
しかしながら、誰だか分からない。
酔っぱらって、わたくしに「北国の春」を聴かせようと思ってかけてきたのか、それとも、歌っている人とは別の人が冗談で彼が歌っている隙に彼の携帯電話で悪さをしているのか???
誰だい、わたくしに「北国の春」を捧げたい奴は!!!
結局、誰も応答してくれないので、聞き終えた後、電話を切りました。

後で番号をよく見てみると、先週、お会いしたY先生のもう一つの携帯電話であることが分かりました。
多分、ロックが外れて、勝手にリダイヤルしちゃったものと思われます。

先生の別の顔を見て(聴いてか?)しまいました。
飲み屋でお姉ちゃんを口説いていたりするときに、携帯が勝手にリダイヤルなんてことがなきにしもあらずですから、皆さま、くれぐれも気をつけませう。

4月
2010

才能よりも大事なもの「悟性」

例えば、何かの分野で大成するためには天賦の「才能」はあったほうがいいに決まっています(笑)。
でも、もっと大事なものがあるらしいです。
それは「悟性」。

最初にわたくしの柳琴と二胡の先生である龍海先生からこの言葉を聞いたとき、「???」と思いました。
龍海先生に「どういう漢字ですか」と尋ね返して「孫悟空の真ん中の字だ」と教えてもらった後、辞書を引いてみたら、「理解力」という説明が書いてあっただけなので、何となく「先生の言うことをちゃんと理解できる能力なのだろうな」くらいに思っていました。

ところが、二胡の演奏家・教育家で中央音大の趙寒陽先生の著書を読んでビックリ仰天。
恐ろしい勘違いをしておりました。

以下、わたくし萩原有里が翻訳して引用させていただきます。

中国の伝統文化において、人の脳の機能は「元神」と「識神」の2つに分類することができる。「元神」は人が生まれながらにもっているもので、いわゆる天賦であり、コンピュータのCPUに相当する。「識神」は後天的に生活の中で形成・蓄積されるもので、コンピュータのソフトウェアとRAMに相当する。人は成長過程で「元神」と「識神」は相互依存、相互補助、相互浸透するという密接な関係を呈する。つまり、後天的な学習蓄積を通じて「識神」は「元神」の開発を誘導及び激励し、また反対に「元神」は人の「識神」知識の理解を促進する。ただ、これは勤勉に学習しさえすれば、知識が蓄積され、「元神」の開発を誘導促進できるというものではない。なぜなら、「元神」と「識神」の間には特殊なコードを用いてコミュニケーションをとる必要があるからである。人はこれに対応する思考方法及び思考構造を構築して初めて「元神」と「識神」の間の連絡通路を開くことができるのであって、これが俗に言う「悟」である。
二胡の学習過程では、学習者の「悟性」を重視し、その次に「勤勉」が強調される。「元神」の機能はとても強大であり、「元神」と「識神」の間の連絡通路を開けてやりさえすれば、二胡の学習者は誰でも優秀な演奏家になれるといってよいだろう。
(略)
科学者の研究報告によれば、人が一生のうちに開発する大脳機能は10%にも満たない。残りの90%は即ち「元神」の部分である。だから「悟性」は「勤勉」より重要であることが分かるだろう。

趙寒陽著「一句話学二胡」藍天出版社、2010年1月、107~108頁。

ひょぇ~
龍海先生はわたくしに「お前、真面目で勤勉だし、悟性あるから上達するよ」って言ったんだよ…

先生の「人をその気にさせて伸ばす戦略」なのかなぁ…

しかし、「悟性」が何なのかは分かったけど、如何に「悟性」の門を開けるかは、書籍を読んでもあまりよく分からないのでありました…
「自然の流れに逆らわないこと」みたいなことが書いてありました。

いずれにしても、龍海先生はわたくしの使っていない大脳の何割かを開発してみよう!と思っていてくださっているようで、ありがたいことです(^^;
こんなド素人が楽しく練習できるのも、皆せんせいのおかげ。
先生には、ものすごく天賦の教える「才能」がおありになると思うのでありました。

4月
2010

紫檀とは何ぞや

先日、紫檀の二胡を買いました。
お値段は秘密…
日本で同じものを買うとしたら、いくらくらいの値がつくのか興味のあるところ。
一般的には日本の売値の二分の一、三分の一くらいでしょうか。
日本のちゃんとしたお店でインド紫檀二胡を買えば、何十万でしょうが、わたくしはそんなお金持ちじゃありません、ほんと。

二胡

一言で「紫檀」と言ってもピンキリ。
そして、困ってしまうのが、言葉や商習慣の違い。
「紫檀」といっても、どこどこ産のXXという植物だというように限定できるものではないため、いわゆるインド産の超高級紫檀から、その他の産地の紫檀、前述の紫檀とは異なる木で紫檀によく似た木までぜ~んぶ「紫檀」と称してしまうと、どれが価値がある紫檀なのか、素人にはさっぱりわからないのです。

シタン(紫檀)とは、マメ科の常緑広葉樹のうち、木材として利用することのできるツルサイカチ属およびシタン属の樹木の総称。(略) 本紫檀、手違い紫檀(チンチャン)、ローズウッド、パーロッサなどがシタンとして使用される。タイ、ラオス、ベトナムなどで産出される。古くから利用されているにもかかわらず、その実態ははっきりしていない。現在では Dalbergia cochinchinensis が本紫檀とされている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ですから、紫檀に似たようなものを悪意で「紫檀」として高値で売る悪徳商人もいます。
そして、別に悪意なく、いわゆる日本語でいうところの「本紫檀」でなくとも、中国の商習慣によれば「紫檀」に該当するランクの落ちるものを「紫檀」と称して、お手頃な値段で売るのは別に悪いことではありません、普通のことでしょう?
それで「本紫檀」じゃないものを「本紫檀」だと思い込んで買った日本人が騙されたと思うのは、単にあなたの異文化に対する理解不足じゃねぇの?とわたくしは思ったりします。
まぁ、確かに、紫檀じゃないものを紫檀だと言って信じられない高値で売る商人もいるらしいので、中国の消費者も気が抜けませんねぇ。

ところで楽器に使う紫檀ですが、別に高けりゃいいってもんでもないらしいです。
楽器は様々なパーツが組み合わさってできているので、超高級紫檀を使ったからといって最高級の音が出るというものでもないし。
一番、影響力が大きいのは「本人の腕」だろ(^^;

で、わたくしの二胡ですが、ランクの落ちる産地不明の中国語で言うところの「紫檀」でしょう。
別に他人に転売する気はないので、日本語で言うところの別の木だったとしても、わたくしにとってはどうでもいいことです。
楽器なのだから、要はいい音が出ればよいのです(笑)

上手な方が弾けば、「細膩」(きめが細かくてなめらかである喩)な音がします。
わたくしのようなまだ1ヵ月も習っていないど素人が弾くと、そんなきめ細やかな味のある音はでません。
でも、わたくしのような者が弾いてもすごくよく響きます。
あはは、リズムと音程、狂いまくってるから、あまり遠くまで聴こえない方がいいのにねぇ…

俗に言われている初心者の音、即ち

「殺豚」(豚を殺すときの音)
「殺鶏」(鶏を殺すときの音)
バイオリン族の初心者の音にありがちな「ノコギリを引く音」

がしないだけ、一応、マシなんですが。

4月
2010

学術論文と著作権問題

昨日、友人のつてで、河北のある大学で1時間、報告というか講座というか、話をさせていただく機会をいただきました。
別に法学系の大学ではないので、あまり専門的な話をしてもチンプンカンプンだろうし、かといってかなり抽象的な文化論みたいな面白い話もできないので、どうしたものかと思っておりました。

そこで、ある程度自分の専門分野に近く、ある意味、どうとでも脱線できるテーマということで「学術論文と著作権問題」と題して話しました。
ご存じの通り、中国では論文の盗用問題は深刻ですしね。
中国の話は研究不足だし、専門的な話もできないので、日本じゃどうだこうだ、日本にはこういうケースがあった等の話をして「日本人と共同で何かする機会があったら、こういうことに気をつけた方がいいよ」というように話しました。

それから、わたくしはこれまで翻訳と言う作業を結構してきましたが、もめる原因としてよくあるのは、下訳や代作、母語でない言語への翻訳をする場合、訳文をネイティブにチェックしてもらった際の協力者との関係なんかが、やはり多いような気がするのです。
まぁ、人から聞いた話や、自分が感じたことを差し支えのない程度でお話ししました。

2年程前に中国語で1時間話す機会をいただいた時は、話す内容すべてについて、中国語で一字一句の原稿を作成して持参しましたが、最近はPPTだけ作成して、後は学生さんの顔を見ながら、思いついたことを話すことにしています。

自分と専門が異なって、なおかつ、社会経験の浅い若い人に話すのって難しいね…

講義が終わってから、「記念にサインください」と言われたのには笑った(^^;
いいよって言って書いてあげたら、「じゃあ、あたしも」って別の子に言われて、一体…わたくしって何者???という不思議な経験をさせていただきました。

4月
2010

1時間の価値

自分の1時間の価値はいくらなんだろう、とふと思いました。
中国の場合、次の計算式で時給が出せます。

月給÷/20.92(法律に基づく一カ月の日数)=XXX.X/日
XXX.X÷8(勤務時間)=YY.YY/1時間

出てきた数字を、日本円に換算したら、千円に満たない…(悲しいなぁ)
しかしながら、わたくしより年をとっている現地採用の日本人男性でも時給が日本円で千円を上回るのは難しいかもしれない。
厳しい世の中だなぁ。

北京の平均月給で時給を計算すれば、多分、日本円400円前後だと思う(上海だともっと高くなるだろう)
ちなみに、知り合いの某先生や某先生の月給はこれ以下だったと記憶しているので、学校の先生と言うのは、好きじゃないとやってらんねーよねと思ったりする。

宗教や伝統的概念が崩れてしまった中国では、金がすべての「拝金主義」だと紹介されることも多々ありますが、「お金の問題じゃない」という中国人も結構いたりするような気がします。
「いい企業に勤めたって、リストラにあったらしょーがないしぃ…給料低くても好きなことしてるほうがいい」と言っている人もいるけどな。
ちなみにその人の時給は日本円に換算すると100円だった…

わたくしの知人が珍しいだけなのかなぁ…

4月
2010

慣れたら終わり

知り合ったばかりの中国人に必ず聞かれる質問

「中国の生活には慣れた?」

話題を振るためのきかっけだと分かってはいるものの、「めんどくせぇ質問だ」と思うこともしばしばでした。
今まで「えぇ、まぁ」とか適当に言っていたのですが、最近は「いえ、全然」とわざと意地悪な返事をしてみたりします(おい)。
本当のところは、そりゃ、そろそろ10年目だもの、だいぶ、慣れてますよ。

しかしですね、最近思うのは、「慣れたらお終い」なんじゃないかと…
例えば車の運転を例に挙げると、初心者っていうのは危なっかしそうでいて、実は緊張感があるのでちゃんと運転します。
そろそろ慣れてきたかなってところで、大事な情報を見落として、大事故を起こしたりする。

外国に来たばかりの頃は何もかもがめずらしくて、文化の差に唖然としつつ、違いを楽しめますよね。
そして、研究分野を問わず「比較」を研究テーマにしている人は、両国に足を置いたままさまざまな角度から、物事を語れるような気がします。
何年か経って、どっちかにどっぷりつかってしまうと、何もかもが「当たり前」になってしまって、「あ」という気付きがない…
語学的な知識は増加している(と思いたい)にもかかわらず、面白いことが書けなくなる。

外国語は「習うより慣れろ」とよく言われるし、ある意味そのとおりなのですが、日常会話を楽しむための会話ではなく、ちゃんとした文章を書きたいのであれば、頭を使うべきだと思う。

最近のわたくしはといえば、最悪なことに、母語が外国語につられて、おかしな日中訳をしたりすることもある…
(もちろん時間があれば、原文を見ずに日本語だけを見てできるだけ自然な日本語に修正しなおしますが、時間がなければ、もう、そのまんま~)

今喋っている言語がどっちなのか、突然、分からなくなったことがある…
日本の空港や駅で思いっきり人にぶつかって、おもわず口にするセリフが「すみません」じゃなくて「対不起」だったりする…

あぁ、最悪。

慣れるんじゃない、と心に言い聞かせています。

4月
2010

ただ者ではない

弁護士事務所というところは、会社の上司と部下と違って、雇用者と被雇用者の関係が近いような気がします。
だから、あまりにも気が合わないと、すぐに首が飛んだり、すぐに辞表出したりということはあり得ます(日本ではどうか知りませんが)

先日、某先生の部下の某さんが事務所を急にお辞めになりました。
しかしながら、「あぁ、やっぱり」というのが周囲の感想だったりする。
某先生の下で1年以上、続く人がいないからです。
通常の精神の持ち主だとその性格や言葉のキツさに耐えきれない…

わたくしにも、かつて数カ月で辞めた職場があります。
理由はいろいろあったのですが、きっかけそのものは、弁護士に対して、「この人のために働くなんてバカバカしい」と思ったということです。

そんな某先生の下で、数年働き続けている某弁護士が1人いらっしゃるのですが、将来、どんな面倒なことにぶつかっても、難なく乗り越えtられるだろうと思います。
あの環境に耐えられる精神は、ただ者ではないと思います。
もちろん、すごく優秀なので、批判される回数が少ないというのも理由の一つでしょうが、それにしても、やはりキツイことには変わりない。
それとも、そんなもの言いしかできない某先生のすべてを理解していらっしゃって、寛大でいられるのでしょうか。
本当に謎です。