10月
2009

著作権法におけるクリエーターとパフォーマー

柳琴をわたくしに教えてくれている龍海先生が変わったことを少し教えてくださいました。
弦楽器を弾く場合、隣の弦に触れたりしないために手首の動きにはきちんとした軌道があるわけですが、舞台ではそれを逸脱して、多少大げさに手を振り上げろとおっしゃるのです。
それくらい、大げさな動きをして演じないと、お客さんからは舞台で何もしていないようにしか映らない、綺麗に見えないから、というのがその理由です。
もちろん、トレモロ部分でそんな大げさな動きはできませんが、スローテンポの旋律におけるダウン奏法時には大げさな動きをしても、弦を外すなんてことはないとおっしゃる。
踊るときのように優雅に振り上げて手を綺麗に見せろ、というのが龍海先生の要求です(^^;
(きらきら星しか弾けない初級者に、舞台技術まで語ってくれるなんて…ビックリ)

だけど、確かに琵琶奏者等のコンサートDVDをいろいろ見ていると、そういう動きがあるのですよね(はっきり言って演奏そのものには不要な無駄な動きですが、とても綺麗に見えます)。

子どもの頃や若い頃に教えていただいた先生方は、淡々と演奏技術と楽譜の読み方だけ教えてくださっただけなので、ロック歌手じゃあるまいし、伝統的な民族音楽をやる演奏家が頭の中でそんなことまで計算しつくしているとは思わず、初級レベルの下手くそな奴に対しても「一人で練習する時でも、客の前で弾いている気持ちで弾け」とおっしゃったことに正直ビックリしました。
まぁ、小学校の先生になるために音大に行った方と演奏だけで飯が食えるかどうかは別として演奏家になりたくて(又はそういう人を育てたくて)音大に行った方の違いなのかもしれませんが…

そして、演奏技術に関することのほか、いつも言われるのは次のような言葉です。
柳琴の龍海先生は「頭の中にただ音符があるだけ、空っぽの状態で弾くだけでは、人に何も伝わらないよ。無いものは伝わらないでしょう?ちゃんとお客さんを感動させなさい、表現しなさい!まずは私に何か伝えなさい」とおっしゃり、笛子の雪先生も、「演奏技術なんて練習すりゃどんな不器用なバカでも向上するものなの、じゃあ、お客さんは何を見に、何を聴きにくるかって?あなたの表現よ!」とおっしゃったことがあります。
(ええと、おっしゃるとおりわたくしは、何も考えずに弾いています…だって手を動かすだけで精いっぱい…そこから先の解釈にいけるように練習しますぅ…。)

あの人気マンガ(テレビドラマ、映画化もされた)の「のだめカンタービレ」を見ていると、演奏家というのは、曲をきちんと分析して、それを表現して、お客さんを如何に感動させるか、ということに非常に注意を払っていることが分かります。

そこで、ふと演奏者の気持ちと著作権法の考え方、というのにずれがあるのでは?と思い始めました。

実演家(演奏家とか俳優さんですね)というのは、日本や中国の著作権法では作品の伝達者だと考えられています。つまり作品の創作者ではなく、他人の著作に解釈を加えるだけなので創作度は低く「実演」は「著作物」ではないのです。もちろん著作権に隣接する権利として保護を受けますが…まぁ、創作物だとは考えられていませんね。

個人的には、「他人の作品に解釈を加えるだけ」といっても、演奏にはものすごく個性がでると思います。プロの演奏技術レベルが高い一定の領域に達しているっていうのは当たり前の話として、そこから先は解釈の部分でかなり創作していると思うのです。

わたくしは翻訳を飯のタネにしていますが、契約書等の商業翻訳は創作しているとは言えませんが(フォーマットがほぼありますし、自由な表現をしてよいものではありませんし、別の解釈の余地はありません)、同じ法律分野でも法律の概説書の翻訳ですと、読者に分かりやすいように、かなり創意工夫をしなければなりません。学術的な見解が訳語の選択にも影響を及ぼします。翻訳は原作の縛りを受けますが、「二次的著作物」として保護されるのはご存じのとおりです。

「翻訳」と「実演」は同じようなことをしているのに、「なぜ、実演(演奏)は著作物じゃないの?」というのが、わたくしの素朴な疑問であります。

国によっては、例えば台湾著作権法によりますと、「実演」は「実演著作物」と称することはできないものの、「独立の著作物として保護される」と説明されます。
法律論を抜きにして感情論から見ると、こちらの立法構造の方が、わたくしには納得がいきます。

クリエーターの立場からは自分の作品をこう解釈してほしいとか、最初からこの人のイメージで創作した作品というものが存在すると思います。
そういう場合、勝手な解釈をされたら、とっても気分悪いかもしれませんね。
だったら、実演を許諾しなければいいのです。
そして実演を許諾した以上、原作の意味を著しく損なわない限りいろいろな解釈があっていいと思うのです。

そういう意味では、著作権保護期間が切れてしまったクラッシックは誰でも自由に利用できる曲ですし、クリエーターの気持ちを傷つけることもないから、むしろ自由に解釈していいんじゃない?と思うのですが、現実には慣習的な縛りを受けて、クラシックを自由に解釈し放題とはいかないみたいですが…
「のだめ」に出てくる峰君がベートーベンのバイオリンソナタ「春」を「光る青春のヨロコビとイナズマ」と解釈して演奏するのは、やっぱ、正統派じゃないんだろうなぁ。

ちなみに、両先生方は「私が模範演奏するときは、私の解釈でやっていることだから、真似しなくていいし、あなたに押しつけることはしない」とおっしゃっています。
ひぇ~訳の分かんない練習曲でも先生が弾くとものすごい名曲に聴こえるから不思議だ。

真似したくたって、できねぇよ(^^;

10月
2009

日中刑事法学術シンポジウム

日中刑事法学術シンポジウム

日中刑事法学術シンポジウム

日中刑事法シンポジウムが今年は人民大学(北京)で開催されましたので、ご好意で参加させていただきました。
このシンポ、一体何回目にあたるんでしたっけ?
10年以上前に愛知大学で開催したときにお手伝いして以来です。
これまでの報告は成文堂さんから出版されていると思います。
お手伝いのお礼として過去のシンポの報告書を書籍化したものを当時、いただきました。

しかしながら、今のわたくしは刑事法の専門家ではないので申し訳なかったのですが、皆さんに親切にしていただき、恐縮でした。
関係者の方に再度お礼申し上げたいと思います。

もっとも知的財産法やその他経済法の分野でも、違法行為に対する刑事罰の規定があるので、全く関係なくはないのですが、中国の場合、なかなか処罰対象にできなかったりして、わたくしの立場のような人間が実際に触れる機会があまりありません…

しかしながら、会議の通訳をされる方というのは本当に大変だと思います。
そして、中国人の先生というのは、通訳がものすごくお上手なのですよね。
いかにも中国っぽい言い回しを直訳ではなくて、意味を飛躍しすぎない程度に綺麗に日本語にするのがとても上手。
別にバイリンガルとして育ったわけではない人が結構、フツ―に存在します。
名刺をいただくと、日本のXX大学の博士とか、おっしゃる中国人の先生は本当に多いですね。

それに比べて中国語が上手な日本人の先生はあまり見ませんね(いないわけではないですが、語学以外の専門で、その専門において一流の人材で且つ中国語で専門の講義ができる日本人教員(第二外国語として中国語を習得したケース)というのは数からしたらものすごく少ないのかな?)

自分の中国語の下手さ加減に、どっぷり落ち込むのでありました…はぁ。
もっとも、わたくしの場合、日本語でも、いわゆる人前で分かりやすく喋る技術というものを会得していないので、単純な語学力の問題だけではないところがもっとイタイ。

10月
2009

公募

今、東京です。
某大学の某研究所の助手採用試験を受けたのですが、ダメだったなぁ。
結構、自分向きな採用内容だったので、ちょっと一生懸命だったせいもあって、結構、がっかり。

でも、博士課程の学生やポスドクの人が職探しに必死なのは皆同じで、結局、どういう人が欲しいのかって問題に過ぎないわけで、落ち込む必要なんてないのだけど、やっぱり、がっかり。

公募と言いながら、実際は内定者がいたりする公募もあるし、この世界、人間関係大事だし、別に自分の人格や能力を否定されているわけでもないし、このご時世、いくつ面接受けても落ち続けている派遣の人とか数えきれないくらいいるだろうし、どうってことない問題なんだけど、がっかり…(ひつこい?)

ずっと、中国で仕事をしているので、わたくしは中国が好きでずっと中国で仕事をしていると皆思っているけど(まったくそういう要素がないというわけではないけど)、日本の給与基準で働きたいと思っていたりするのです。

え、こんなこと、公の場で言って、今の雇用主が知ったらどうするのって?
本人が日本人であって、家族も全員日本人で、家族が日本に住んでいる人間が、一生中国で単身赴任の上、安月給で仕事するわけないじゃないのって、雇用主だって最初から知っているわけですから、あまり問題にはならないと思います。(^^;

10月
2009

学者のあるべき姿勢

今回は鄭先生の先生の話。

1981 年、中国改革開放後の第一回国費留学生としてイギリスのロンドン経済学院(LSE)に留学しました。鄭先生の指導教官は、知的財産法の国際的な権威、柯尼什(Cornish)教授。
柯尼什教授は自分が書いた教科書の出来に大そう満足しておられ、よく授業中、機嫌が良い時など、その本を学生に掲げて

「一頁、一段落をじっくり読みなさい!」

と諭しておられました。学生が柯尼什教授に知的財産法の教科書で最も良いものは何ですかと質問しようものなら、答えは決まって

「わたしの本だ」

というほど、自信をもっておられたわけです。正直に言えば、鄭先生の柯尼什教授に対する最初の印象はよくありませんでした。
なぜなら、ものすごい自信家だから…

その後、鄭先生の柯尼什教授のイメージががらりと変わるある出来事がおこります。
柯尼什教授の本の論述の中で、ある論述と彼が引用している事例がかみ合わないということに鄭先生は気づきます。
鄭先生は悩みます。

「自分の英語能力の問題なのか、はたまた自分の専門知識の欠如なのか?!」

悩んだ末、やはり腑に落ちないので勇気を出して柯尼什教授に質問しに行きました。柯尼什教授は最初、はっとしたかと思うと、まるで質問がよく分からなかったかのような態度をとったため、鄭先生はもう冷汗ダラダラ…
その質問は相手にされないのを覚悟していたところ、意外なことに、柯尼什教授の口から出た言葉は、

「それは、何頁?」

そこで、鄭先生が説明すると、1、2分眺めた後、申し訳なさそうな顔をされて、次のようにおっしゃいました。

「どうやら引用し間違えた、今度改訂する時に直すので、君や他の読者に申し訳なかったね」

その後、鄭先生は論文指導等を通じて、何度も柯尼什教授と話をする機会があるのですが、そこで柯尼什教授がおっしゃった言葉はなかなか印象的です。

「何かを成し遂げようとすれば、まず自信を持たなければならない。何にせよ無責任な異議をすべて認め続ければ、学問にはならない。でも、自分を完璧だと思っていては、進歩できない。」
そして、英語で「Don’t think you are nothing;Don’t think you are everything」と何度もおっしゃられたとか。

鄭先生も自分の著書に何か問題点があったら、いつでも言ってねという姿勢をとられていました。
実は、わたくしも鄭先生の著述に納得のいかないところがあったのですが、日本法に関する記述のため、日本語が分からない鄭先生に中国語又は英語では上手く説明できないなぁと思っているうちに月日は流れ、先生はお亡くなりになってしまいました。先生と凡人の差はここにあるのかなぁ。

ところで、以前、ある方々の論文に日本の判例が引用してあって、原文を見ようと日本の図書館で判例を探したけれども見つからなかったことがあります。
おそらく最初に引用された方が引用し間違えて、次の方は自分では原文を全く見ずに孫引きをしているのかなと思いました。
権威が書いたものだから必ずしも正しいとは限りません。ちゃんと自分の目で確認しようよ~

参考 http://www.iolaw.org.cn/showArticle.asp?id=1925

9月
2009

学者の素顔

中国社会科学院の鄭成思先生がお亡くなりになられて、はや三周忌、それに便乗した(?)研究会が先日行われたことは先日書きました。
内容はもう書くのが面倒くさいので、別の話題にシフトしまして、鄭先生と言えば思い出すことについて、書いてみたいと思います。

師曰く「知的財産法研究に必要なのは科学と外国語の知識」

確かに、思い当たりますよね。
法律の研究なのだから、法律を勉強しなければならないのは当たり前ですが、保護対象についての知識がないとキツイなぁとよく思います。

それから外国語の知識も大事。

学者は本当に翻訳にうるさいですよね。
世の中には公定訳も含めて本当に奇怪(誤りといっていいんじゃないというほどの深刻な問題もあったりする)な訳文がまかり通っているので、この点、いつも適当に翻訳するなとおっしゃっていたような気がします。
この点はわたくしの中国法の先生、浅井敦教授もそうでした。
翻訳って評価低い「作業」だけど、実は大変な「研究」だと思います。
ですから、ある意味、先生の影響を受けた兄弟子の翻訳は、ある種の特徴(こだわりともいう?)があるので、名前を見なくても、兄弟子が訳したのかなと分かります(^^;

鄭先生はイギリス留学をされているので、流暢に英語を話されるイメージが強く、わたくしなんぞは入学したての頃は「頭のいい人はペラペラ喋れていいわね~、学者の頭とワシら庶民の頭は違うもんね」と先生=エイリアンのように思っていたのですが、先生も普通の人と同じように、ものすごい努力家かなんだなということがある日分かりました。

それは、鄭先生がいかに英語を勉強したのかという昔話を読んだ時。
1979年のある日、鄭先生は法学研究所研究員の外国留学の機会に際して、英語の筆記試験及び面接を受けていました。試験委員の米国人法学博士は、基本的に鄭先生が面接でお話になった英語に満足しておられ、鄭先生も「試験はパスしたぞ」と内心思ったそうですが、帰り際に米国人法学博士が一言、鄭先生に試験に関係ないことをお尋ねになりました。
「なぜ、あなたの英語は米国で100年前に流行していた英語表現なの?」

答えは簡単でして、鄭先生はマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」の影響を大いにうけていたからです。

これには時代背景の説明を要しますね。
わたくしたちが、「英語ができない、つまらない」と思って、パーパーバックや童話を読んで英語を勉強するのとはわけが違います。

1960年代後半から1970年代前半、時は文化大革命、洋書なんて手に入るご時世ではありません。
1970年3月、鄭先生は「再教育」を受けている時、ある石墨鉱山で労働に従事しておりました。
そのとき、英国から輸入された設備の説明書の翻訳を任されました。
周りの大学生でなんとか英語が使い物になりそうなのが鄭先生だけだったのでそのような仕事が回ってきたのだそうです。
身体の余り丈夫でない鄭先生は、「今後、いつも翻訳を任せてもらえるようになれば、重労働しなくていいかも」という考えが浮かびました。
でも、鄭先生の当時の英語レベルはいまいち。
そこで、なんとか英語のレベルアップをはかろうと、お父様のご友人(英語がめっちゃ上手)から英語の本を借りました。
それが、マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」英語版だったわけです。
(文革中、魯迅は攻撃を受けなかった数少ない文学家でありまして、魯迅はマーク・トウェインを高く評価していたので、マーク・トウェインの小説を利用して英語を勉強しても〔封建主义〕〔资本主义〕〔修正主义〕の嫌疑はかけられまい、ということだったそうです。
借物ですから、当然、返さなくてはならない。
そこで、全部、手書きで写したそうです。

そしたら、あら不思議、なんかいっぱい単語を覚えちゃったし、慣用句が身に着いてしまったというではありませんか。

その後、これはいい本だと思っていた鄭先生は、仕事仲間にも読ませたくなりまして、「よっしゃ、私が英語から中国語に訳して皆にすすめよう!」と思ったそうです。

それで、自分でえっちらおっちら訳しました。

その後、鄭先生は図書館員から「それ、50年代に中国語訳がすでに出ているよ」と聞かされ、あらま、びっくり。
その図書館員は、60年代の焚書の際に、ひそかにその訳書を隠し持っていたそうで、鄭先生にプレゼントしてくれました。

そこで、鄭先生「私の訳と彼の訳、どこが違う?」と見比べたそうです。

そんなわけで、そういう恵まれない時代に必死に勉強したおかげで、鄭先生の英語はどんどんレベルアップしていったそうです。

ですから、鄭先生は、学生に要求する外国語のレベルは、かなり、厳しいものがあります。
「私は天賦の才能があるわけじゃないし、天才でもない。ただ必死にやっただけだ」
と学生や同僚におっしゃっています。

わたくしは、鄭先生は「賢すぎてバカの気持ちが分からないのでは?」と思っていましたが、この物語を読んで「賢くて努力家だから、楽な方に流れたがるただの怠け者には、同情の余地なし」なんだなぁと思いました。

鄭先生が留学試験の面接の日に、面接官(米国人法学博士)に「マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」で英語を独学しました」と告白した後、その博士はこう忠告しました。
「現代の言葉は変化しているから、同じように努力して現代英語を補いなさいね」

鄭先生はこの教えをちゃんと守りましたっていうところが、凡人と先生の違いなんだろうね。

鄭先生は、英語でも何本か論文を発表しておられます。
師曰く「マーク・トウェインの文章スタイルの影響を完全に抜け出すことはできないけど、使用しているのは明らかにマーク・トウェイン時代の言葉じゃないよ」

う~ん。
自分の怠け癖を反省する今日この頃。

参考:鄭成思:「一本必须归还的『汤姆历险记』」http://www.iolaw.org.cn/showArticle.asp?id=183

9月
2009

鄭成思教授三周忌記念研究会

先日は教師節(先生の日)でした。
早いもので、中国社会科学院知的財産センターの教授、鄭成思先生がお亡くなりになって3年も経つんですね。
三周忌ということで、知財センター恒例の研究会が、表題のように三周忌記念研究会として昨日の命日に知的財産研修センターで行われました。
今回はテーマは「商標法の改正」についてでした。

しかしながら、「鄭成思」先生は中国の知的財産法の立法において、無から有を創りだすという意味で、なくてはならない特殊な存在でしたから、そのお弟子さんたち(直系か薫陶を受けたという方まで)にとって、今回の研究会は「鄭先生の教えを守って中国知財法の発展に貢献しよう」という特別に思い入れのあった研究会でした。
この分野に疎い方はググってみると、国際的にも知られた中国の知財界の権威だったことが分かると思います。

わたくしの指導教官は鄭先生ではありませんが、うちのセンターの特徴として「誰が誰の学生って言うのは意味ないよ、おまえらの先生は、センターの研究員(教授)全員だ」っていう雰囲気がありまして、そういう意味では、恐れ多くも鄭先生もわたくしの先生の一人だったといえるのかもしれません。

鄭先生の直弟子は皆非常に優秀な方でしたから、鄭先生がこれまでに接触した学生の中で、わたくしはひときわ大バカ者だったという(変な)自信があります。
優秀でないわたくしは入試を二回も受けたので、二回も鄭先生の面接試験を受けられました(^^;ラッキーなのかも???
その際、いつもバカなことを言いそうになって、直接の指導教官や現在のセンター主任に助け船を出してもらったことを昨日のように思い出します。

また、留学生は基本的に長期間、大陸にいない人がほとんどなので(基本的にすでに一人前の研究者である人が多いので、専門科目は全国雑誌の好評論文が単位として認めてもらえることがあるからです)、そういう意味ではわたくしは、かなり長期間、中国大陸にいる関係から「留学生なのに、お客さんじゃなくて、本当にここの学生になろうとしている人は初めて見た」みたいなほめ言葉(?)を何気にいただいたことがあります。

残念なのは、わたくしが1発で試験に合格して、3年で論文を書き上げていたら、鄭先生の口頭試問が受けられたのになぁということですね。
(そうしたら、博論、通してもらえなかった可能性が高いか^^;)

鄭先生のお葬式には行きましたが、前述したように、留学生が長期間大陸にいることは稀なので、わたくしくらいしか外国人がいなかったんですよね。
だから師母(先生の奥様の呼称です)が「わざわざ外国からお葬式のためにいらしてくれたの、ありがとうね」とおっしゃったときは、否定せずにそのまま曖昧な顔をしておきました(^^;

あれから年月は経ち、研究会では日本語でわたくしに話しかけてくる人が現れるようになりました。
わたくしのような者でも、ここで学位が取れるのだから、取ってみようという日本人が現れるのも不思議ではありません。
わたくしが学生をしていた時なんて、周囲は誰も日本人が混じっていることに気づかなったのになぁ。
いわゆる、台湾、香港系ではなく、米国やカナダ移住、あるいは日本国籍の中国人ではない、そのまま母語が日本語で中国とは何の血縁関係も有さない日本人の正規留学生ってのが多分、わたくしが初めてだったので、なにかと手続が分からず、先生もわたくしもやることなすこと、めちゃくちゃだったのに。

妹弟子や弟弟子の方が社交性もあってやり手なので、全然出世しないわたくしとしては、ちょっとイタイかも。
そういえば、同次期に修士課程に入学した韓国人のお役人は、その後韓国で博士を取得して、中国にある韓国大使館勤めになったそうです。
う~ん、わたくしはどこを目指して努力すりゃいいんだろう。

懐かしいやら、自分の成長の遅さがイタイやら、ちょっと微妙な研究会でした。
研究会の話題は次回にでも…

9月
2009

著作権法研究に趣味が及ぼす影響?

いちおう、「台湾著作権法逐条解説」の翻訳してみたり、著作権法に関する内容で博士論文書いてみたりしているので、いちおうこの分野の研究者といってもいいんではないかいと思っているわたくしです。

最近、楽器ネタばかりで、あんた仕事や研究してるのかよって疑われていると思います。

でも、言い訳をすれば、趣味って研究に役立つんだけど。
著作権法っていうのは、日常生活の中でかなり身近にあるんじゃないかと思います(気づいているかどうかは別ですが)。

― 美術関係
わたくしは、昔からお絵かきが好きです。
子どもの頃、授業中は授業聞かずに、ノートにマンガを書いていました。
歳の離れた従妹によくせがまれて、少女マンガの主人公をよく模写したものです(とっても好評)。
当時は大人になったら漫画家になりたーいとか思っていました(もちろん、短時間にいろんな構図を描いたりストーリー作れる才能ないので、実現しませんでしたが)
今でも、他人の詩を翻訳して、絵を加えたりするの好きですしね(きちんと許諾はとってます)
だから、某マンガのXXや○○のキャラをそのまま利用して、自分で番外編を勝手に描いて、同人誌に掲載して売ったりする人の気持ち、ちょっと分かるような気がします。

― 音楽関係
今、いろいろ変な楽器を買ってきて、試しに遊んでいますが、絶対音感がないので、耳コピはちょっと大変なんですよね。
わたくしの場合、ある楽曲の楽譜がないけど、どうしても奏でてみたい場合、一定のキーを決めてから、自分で歌ってみて、そこから音が何度上か下かを確認しながら音をさぐり当てていきます。相対的な音感しかありません。
先日、北京のある大手書店に行き、音楽関係書籍を見ていたら、下に座り込んで楽譜を写している中学生くらいの子を何人か見ました。
わたくしは、結構、ポンと楽譜を買ってしまいますが、彼らからしたら高額なので、そう簡単に買えないんだろうね。
だから、ネットとか楽器屋さんとかで、楽譜配布されているとかなり嬉しいだろうね。
クラッシックなら問題ないけど、ここは、中国、そうでないものもあるんだよね~

― コンピュータソフト関係
わたくしは普通高校ではなく、商業高校の「情報処理科」っていうところを卒業しておりまして、今はコンピュータの知識に疎くなりましたが、根本的にパソコン触るのが好きです。
このブログはWordPressというフリーウェアを利用して作成しております。
前に書いたかもしれませんが、スパム対策なんでしょうけど日本の無償のブログサービス等は外国からは使いにくいんです。
時々、管理者である自分がアクセスできなくなってしまったり、外国からはコメント付けられなかったり。
だから、レンタルサーバを使用して、自分で空間を好きに使っています。
フリーで利用できるソフトはありがたいです。
どうして金を取らずにそういうソフトを開発する人がいるのか?
「利用してもらえば嬉しい」「貢献したい」「とりあえず試したい」等いろいろ考えられますが、人によりいろいろな理由があるのかもしれませんね。
また、かつては言いたいことがあっても、大勢多数に自分の意見を主張することは、限られた人の特権だったわけですが、今やブログで言いたい放題ですものね。
何人見ているかは疑問ですが、有益なものであれば、相当なページビューがあるでしょう。

こうしてみると、どんな人もクリエーターと権利侵害者の資質を具備しているんですよねぇ。
だから、趣味に走るのも研究に資するのです(^^;

6月
2009

演奏と著作権

わたくしがここ最近、笛子やら洞簫とか、中国の民族音楽の笛にハマっているのはご存じのとおりです。

古典音楽や童謡等を演奏したい場合、このような楽曲は長い年月を経ているので著作権が及ばず楽譜などは採譜をされた方のネット等から簡単にダウンロードできたりします。

ところで、日本の古典といえば、「さくらさくら」でしょうね。
新婚旅行で行ったパリでは、日本語を話しながら歩いていたら、街頭ミュージシャンがそれまで弾いていた未知の楽曲をやめて「さくらさくら」を演奏してくださいました。

中国の楽器屋さんで日本人だとバレると、10人中8人が必ず演奏してくれる曲があります。
それは「北国の春」と「さくらさくら」

前置きはここまでにして、ここからが本題。

「四季の歌」というのはご存知でしょうか?
「春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような ぼくの友だち…」と春夏秋冬続くあの有名な曲ですが、これは荒木とよひささんが作詞・作曲した作品で(聞くところによれば1971年に世に出て、大ブレイクしたのは1976年だそうですが、1964にはすでに存在していたようです。)、当然、著作権が及ぶので日本のウェブ等から楽譜を無償ダウンロードすることはできません。

わたくしは、初心者用の笛子の教材等をよく見る機会があるのですが、「四季の歌」はメロディが単純で、しかも音域的に初心者にとって非常に演奏し易しいため取り上げられることがあるようですが…どうやら一般的な中国人には、日本の民謡だと思われているようです。

民謡だったら、普通、作者不詳で作曲年なんかも大昔だから、著作権なんて関係ないだろうと思っているんじゃないかな。しかし、作曲してからたいした年月を経ていないのに国際的に民謡だと思われるほど浸透する曲というのは、すごいなぁと思います。

著作権というのは、私権なので別に権利者が権利を主張しなければ問題ないわけだけど…

しかしながら、パブリックドメインだと思っていたものが実は著作権の及ぶ曲で、そうと知らずに営利的な場で演奏して、後で指摘されたら怖いよね~

ちなみに、日本著作権法第38条1項、台湾著作権法第55条、中華人民共和国著作権法第22条第9号の規定によれば

①非営利目的で
②聴衆から料金を徴収せず
③演奏者に報酬が支払われない

のであれば、著作権者の許諾を得ることなく演奏できます。しかしながら、企業のショールームや商店の店頭などで演奏する場合などのように、全くお金を取らないとしても営利目的と判断されますから、注意が必要です。

そういう機会のある方は、あなたがクラシック又は民謡だと思っている曲が本当にそうかどうか確認しましょう(^^;

6月
2009

台湾著作権法逐条解説の修正

改正著作権法が2009年5月13日に公布施行されました。
逐条解説(原文)の執筆も徐々に開始されております。
本日、一応、条文及びとりあえずの解説の翻訳はすべてアップしました。
今後は、解説の充実化に伴う原文加筆に対応して、訳文も追加することになると思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
(昨日の「途中までアップしました」のお知らせは削除しました)

改正ポイントは以下のとおりです。

1. インターネット・サービス・プロバイダの定義の新設(改正法第3条第1項第19号)
2. インターネット・サービス・プロバイダに適用される第6章の1「民事免責事由の共通要件」(改正法第90条の4)
3. 各種インターネット・サービス・プロバイダは、そのユーザによる他人の著作権又は製版権侵害行為に対して、著作権法の所定の手続を遵守していた場合、損害賠償責任を負わない。(改正法第90条の5から第90条の8)
4. ホスティングサービスを提供するプロバイダが回復措置を行う際、遵守しなければならない事項。(改正法第90条の9)
5. インターネット・サービス・プロバイダが規定に基づき著作権又は製版権を侵害したとされる情報を削除した場合、そのユーザに対して賠償責任を負わない。(改正法第90条の10)
6. 事実と異なる通知又は回復通知を提出して他人に損害を与えた場合、これにより生じた損害について損害賠償責任を負わなければならない。(改正法第90条の11)
7. 主務官庁に授権して、法規命令により前述の新設・改正条文に関する各実施細則を制定する。(改正法第90条の12)

6月
2009

今、法学研究者志望者っているの?

先ほど、情報ネットワーク法学会のメルマガを読みました。
メールマガジン編集担当理事の湯淺墾道先生の編集後記に次のようなお話がありました。

法科大学院制度の発足の影響を受けて,法律学関係の学会では軒並み若手会員の入会が減少しているようです。オーバードクターや博士フリーター問題が深刻となっており,全体的に研究者志望者が減少しているのではないかという話もあります。法律学においては,そもそも今後法律学研究者という存在自体が成り立つのか—-法科大学院を修了して司法試験に合格した後,さらに大学院博士課程に進学して学生を続けようという酔狂な人がいるのか—-という問題もあります。
IN-Law Newsletter第120号(2009-06-01/1,372部発行)
情報ネットワーク法学会メールマガジン編集担当理事湯淺墾道

わたくしが20代だった頃から、大学院、特に博士後期課程に進む人は「入院」なんて言って、いつ退院できるかどうか分からない人生おしまいみたいなイメージがあったし、本人はそれでも研究したいのだからしょうがないじゃん、みたいな諦めもあったけどね。

確かに、憲法とかだと「法学研究者」という職業は成り立ちそうですが、会社法や経済法と言われる分野では本当に難しいような気がいたします。
いつも思うのは、政治とか歴史等の社会科学分野で博士学位を持っていれば、それなりに専門家ですが、日本では法学で博士を持っていても、弁護士じゃなかったら何の役に立つのか、企業の法務部で実務を勉強する機会がなければ、結局一体、あんたは何なの?というのが現実なので、確かに若手研究者なんて、よほど酔狂な人かよほど鈍い人(わたくしですね)、もう少し控えめに言えば、忍耐強い人でなければ、精神的におかしくなるだろうと思います。

先日、出版社の方とお話していても、「「実務に直結」する本でないと、最近は売れませんね」としみじみおっしゃられていました。

しかしながら、実務にはあまり関係ない話がしたいとき、わざわざ、わたくしを探す酔狂な方もおられるので、生きててよかったなと思います(^^;
しかしながら、法学研究者になりたいのだけれどと若い子が言ったら、一発で司法試験に受かるようなとびきり頭の切れる人でもない限り(そういう人はわたくしにそんなこと言うはずないですけど)、「やめといたら?もっと楽しい人生の選択肢がたくさんあると思うよ」と言うと思います…