長文、漢字コードに注意です。
携帯からだと文字化けする可能性もあります。
そして、日頃のわたくしからは想像つかないくらい真剣なので、つまんないかもしれません。
いちおう、これがわたくしの信条なので書いておこうかと。
もしこれが新聞等の投稿記事だったら、匿名でこてんぱんに苛められそうな気がする。
以下はわたくしが中国語で原文を作成して中国人に修正してもらいました。その後自分で日本語に翻訳したものです(日本語で原文を作ってから中国語に翻訳すると語彙の貧困さから両者が感覚的に一致してくれません)だから、いわゆる字面的にはこの翻訳はニュアンスが違うじゃん、っていう箇所があるかもしれませんが、どっちも本人が書いていて、本人の思考パターンでは同じなので大目に見てください。
玉石與法律
萩原有里
2008年11月23日完成
最近買了一隻淺灰青色的翡翠手鐲,明知價值不高,但仍然非常喜歡,不是作為寶石帶著,而是象徵對於初衷的堅持。
最近、淡い灰青色の翡翠の腕輪を買いました。価値はあまり高くないことを承知の上で買ったのですが、とても気に入っています。そもそも宝石として身に付けているわけではなく、初志を忘れないための象徴として身につけているからです。
玉石(Jade)可分「硬玉(Jadeite)」和「軟玉(Nephrite)」,除了在中國,軟玉並沒有經濟上的價值。目前硬玉的主要產地為緬甸,日本也有少許出產,但中國大陸則是完全不產硬玉。十九世紀之後,中國國內買賣的硬玉,都是從緬甸進口而加工的。古代中國的玉器,基本是軟玉。雖然國際上被認定為有價值的「翡翠」就是綠色或者紫色的硬玉,但是在中國,屬於軟玉的和田羊脂玉卻比硬玉貴,質量絕佳的白玉以我的年收入也買不起。很難理解為何日本人偏偏追求綠色硬玉,將硬玉稱為「本翡翠」,即真正的翡翠的意思,甚至有人還把軟玉稱為「假翡翠」。
玉(Jade)はご存じのとおり、硬玉(Jadeite)と軟玉(Nephrite)に分類され、軟玉は中国を除いては経済的な価値はないといわれています。現在、硬玉の主要産地はミャンマーであり、日本でもわずかに産出されますが、中国大陸では産出せず、19世紀以降、中国国内で売買される硬玉は、ほぼミャンマーから輸入され加工されたものだそうです。古代中国の玉器は基本的に軟玉です。国際的に価値があると認められている「翡翠」は緑色又は紫色の硬玉ですが、中国においては軟玉に分類されるホータンの羊脂玉は硬玉よりも高価で、品質の優れた白玉(はくぎょく)はわたくしの年収を投じても手に入れることは不可能です。理解しがたいのは、どうして日本人は緑色の硬玉に執着するのかということです。硬玉を「本翡翠」と呼び(つまり本当の「翡翠」の意)、軟玉を翡翠の偽物呼ばわりする人さえいます。
一位日本玉石收藏愛好者,從來沒有接觸過羊脂玉,他一直認為中國人所說的羊脂玉是白色翡翠,他在紐約找「mutton fat jade(羊脂玉)」時,大家都說「沒有聽說過這種翡翠」,他覺得奇怪,這麼有價的翡翠為何大家不認識,最後去紐約的高級寶石店向老闆請教,老闆冷淡地說「你到底要甚麼? 你明白自己所說的意思嗎?」,接下來老闆给他很大的打擊的一句是「這裡只有最高級的寶石,在紐約沒有人要這樣的廢物!」(參照山川倫央:私家版礦物記「軟玉故事」http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/jade1fr.html)。雖然羊脂玉是寶貴的玉石,但世界上不少人跟紐約的寶石店老闆一樣,單純地認為「硬玉(Jadeite)是高檔玉石,軟玉(Nephrite)是便宜玉石」,這只是以供應數量和西方美感為準的說法,跟玉石本身的美感毫無關係。實際上,十九世紀以前的中國,硬玉只不過是美麗的石頭,而軟玉不僅是美麗,也是具備「德」的特別玉石。例如和氏璧落入趙惠文王手中,秦昭襄王聞訊,表示願用十五座城池進行交換。古代中國對於軟玉中羊脂玉那樣的白玉特別珍惜,因為產地只限定於和田。到了十九世紀,將硬玉列入了玉石的一種。在滿族統治下的清朝末期,西太后很愛硬玉,硬玉也就在中國國內流行了。雖然唐代人已經認識硬玉的存在,但當時的評估為「不算是真正的玉」,跟現代評估正好相反。
ある日本の玉石愛好家は羊脂玉に触れたことがなく、彼はずっと中国人のいう羊脂玉は「白い翡翠」だと思っていました。ある日、彼はニューヨークで「mutton fat jade(羊脂玉)」を探したのですが、誰もそのような翡翠は聞いたこともないというので、なぜあんなに価値のある翡翠のことを誰も知らないのか不思議に思っていました。そこでニューヨークの高級宝石店の店主に教えを請いに行ったところ、思いがけず冷淡にこう言われました。
「何がほしいって?君は、意味がわかっていて言っているのか。」
そして、店主のとどめの一言はこうでした。
「ここには最高の品質のものしか置いていない。だいたいニューヨークでそんなクズものを欲しがるお客はいない!」
(参照:山川倫央:私家版礦鉱物記「軟玉の話1」http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/jade1fr.html)
羊脂玉は貴重な玉石なのですが、世界にはニューヨークの宝石店の店主と同様に単純に「硬玉(Jadeite)は高級玉石,軟玉(Nephrite)はクズ石」と思っている方が少なからずいます。これは単に供給量と西洋の美観を基準にしたらそうなったというだけのことであり、玉石そのものの美観とは何ら関係のないことであります。実際、19世紀以前の中国では、硬玉は単に美しいだけの石ころで、軟玉は美しいだけでなく「徳」を備えた特別な石だったのです。例えば、趙の恵文王は、かつて稀代の名玉といわれた和氏の璧を手に入れ、秦の昭王は、十五の城と和氏の壁を交換しようと申し出たと言い伝えられています。古代中国では軟玉のうちでも羊脂玉のような白玉は特に珍重され、その産地もホータンに限られていました。19世に入って硬玉も玉石の一つに加えられるようになりましたが、これは満州族が統治する清朝末期、西太后が翡翠をこよなく愛し、中国国内でも流行したためです。唐代にすでに硬玉の存在は知られていましたが、当時の評価は「真の玉にあらず」とのことで現代の評価と全く正反対でした。
人們對於法律的概念,與對於玉石的認知差不多。法律本身並沒有絕對的價值,隨著社會的發展會變化,更重要的是,我們並沒有義務以歐美為準。自己研究領域為智慧財產法,但這是最後學歷上的分類,我在日本的中國法研究室出身,簡單地說,是屬於跟法理或者比較法較接近的研究領域,即在大家了解的中國法的基礎上,繼續作進一步的研究,例如我導師研究的領域是憲法,師兄弟姐妹的研究領域為民法、行政法、法社會學、古代中國法制史等較廣泛,以中國法學的名可以整理之外,互相沒有直接的聯繫,實際上我導師常說,「沒有一個研究生跟導師一模一樣,真是有趣」。因為我的母校有特色,法學系正式的課程中有一門「中國法」。我是二十歲初次接觸中國法,知道這是跟西方法學不一樣的另一個世界。一般法學系的人只能學沿襲自歐美法的日本現代法律,很多研究生是以第二外國語來選修德語而作歐美法的研究。從事日本刑法研究的老師也曾問過我,「我們跟美國或者德國學習的目的是,參考歐美法律,研究是否可將先進的法律規定納入日本,以便對日本的發展做出貢獻。妳所做的中國法的研究,學習落後的東西,對日本有何意義?」。其實,在日本學中國法律的人不少,但都是為了打官司、合營公司的經營等一些商業上的需要,我能夠理解很多日本人質疑在學術上作中國法研究的意義何在。
人々の法律に対する概念も玉石に対するものと同様であると思います。法律そのものに絶対的な価値はなく、社会の発展にともない変化します。また覚えておきたいのは、わたくし達は欧米の基準に合わせなくてはならない義務を必然的に負っているわけではないということです。わたくしの研究領域は知的財産法ですが、これは最終学歴上の分類に過ぎず、日本では中国法研究室に所属していました。簡単に言えば、基礎法学とか比較法という領域に分類されることが多く、つまり中国法をある程度理解した上で、それぞれ研究を掘り下げるというもので、例えば、わたくしの指導教官は憲法を専門にし、学生はそれぞれ民法、行政法、法社会学、古代中国法制史等を専門にしているというように研究領域は極めて広範囲に及び、中国法学という名の下でひとくくりにできることを除けば、相互に直接的な関係はありません。実際、指導教官もよく「誰ひとりとして自分とまったく同じに成長した学生はいなくて、実に面白いね」と言っていました。わたくしの母校はちょっと変わっていて、法学部の正式課程の中に中国法という講義がありました。わたくしは20歳のときに初めて中国法に触れ、西側の法学とは異なる別世界があることを知りました。通常、法学部生は欧米を踏襲した日本の現代法学を学び、多くの院生が第二外国語としてドイツ語を選択し、欧米法を研究します。日本の刑法研究に従事する教授にこう尋ねられたことがあります。
「我々が米国やドイツに学ぶ目的は欧米の法律を研究して、先進的な法規定を日本に持ち込めるかどうかであり、日本の発展に貢献することにあると思う。あなたのやっている中国法の研究ですが、遅れたものを勉強してどのような意義があるというのでしょうか?」
実際、日本で中国法を学ぶ人は少なくありません。しかし、それは訴訟や合弁会社の経営等ビジネス上の必要性からです。多くの日本人が学術的に中国法の研究を行う意義はどこにあるのかと疑問を抱くであろうことはよく存じています。
日本位於亞洲,立法歷史最早從中國律令制度學習,但適用範圍和實際效果沒那麼大。1868年明治政府建立以前,依據各個地方習慣法或者固有規範進行審理。明治政府之後,除了國家特別法令以外,一般性糾紛仍然按照以前的方式來進行審理。根據1875年太政官佈告103號,「如果沒有法律和習慣法的,應當依據條理進行審理」。當時日本比歐美法律制度落後,日本根本沒有歐美的法律概念,儘管沒有平台,還是納入外國法律要素,結果沒有始終如一。例如日本最早是19世紀初已經開始準備完善「民法典」,1890年頒布了法國式民法的試行法案,可是等不到1893年的正式實施,就陷入無限期延期狀態,原因在於保守的日本人不能接受先進的法國民法,法學界發生了「民法典論爭」。日本廢止法國式民法典之後,重新起草民法,1895年頒布了受德國影響的民法。法國理論和德國理論直到今天,仍在日本民事法中引起內在的邏輯矛盾。
日本はアジアに位置し、立法の歴史として早くは中国の律令制から学びました。しかし、その適用範囲や実際の効果はさほど高くなかったようです。1868年の明治政府の成立前、各地の地方慣習法又は固有の規範によって裁判が行われていました。明治以降、国家の特別法を除き、一般の裁判は従前の方法により審議され、1875年の太政官103号により「法律、慣習法がない場合、条理に基づき審議する」と公布されました。当時の日本は欧米の法律制度に比べて遅れており、日本には欧米式の法律概念が根本的に存在していないのにもかかわらず、土台のないところに外国法の要素を取り入れようとしたのですから、一貫性に欠けました。日本は早くは19世紀初頭に「民法典」の完成に着手し、1890年にフランス式の民法草案を公布したのですが、1893年の正式施行を待たずして無期延期状態に陥り「民法典論争」が繰り広げられました。原因の一つとして、保守的な日本人は先進的なフランスの民法を受け入れ難かったことが挙げられています。日本はフランス式の民法典を放棄した後、新たに民法典を起草し、1895年にドイツの影響を受けた民法を公布しました。フランスの理論とドイツの理論は今日も日本の民事法に内在的なロジック矛盾を引き起こしているといわれています。
由於日本是亞洲發展較早的國家,而且因為二次世界大戰之後,美國曾占領日本,日本受美國的影響較大,例如著作權法中可以看到英美法、法國和德國的要素混在一起,每個條文的來源很複雜。由於地緣的關係,台灣受日本法的影響很深,中國大陸也研究日本法,包括日本法的錯誤做法。法律本身會發生後來居上的效果,因為後來的人可以仔細研究先例的好壞。有些日本人認為日本是歐美國家的得意門生,在法律規範上學得歐美法律的精髓,其他亞洲國家則學得不好,這其實是很大的誤解。法律本身沒有應該如何的模式,每個國家都會根據自己的國情,為體現本國的理想而制定法律,並沒有唯一準確的答案,正如同紫陽花在鹼性土壤和酸性土壤上,分別會開出不同顏色的花,將某個法學概念進入不同地區,結果也會有所不同。
日本はアジアの中でも比較的早期に発展した国であり、第二次世界大戦後、米国の統治下に置かれたことから、米国が日本に与えた影響も大変大きいものがあります。例えば、著作権法には英米法、フランス、ドイツの要素が混在し、各条項の起源も複雑です。地理的な関係により、台湾は日本の影響を大きく受け、中国大陸も日本法を研究しています。これには日本の誤った選択も含まれます。法律そのものは、後から来た者が追い越すという事態が生じ得ます。なぜなら、後から来た者の方が詳細に先例の良し悪しを検討することができるからです。日本人のなかには、日本は欧米の優秀な学生であると考え、法規範的には欧米法の精髄を学び取り、その他のアジア諸国は劣っていると感じている人もいるようですが、これは大きな誤解だと思います。法律そのものには、こうあるべきだというモデルは存在しません。各国は自国の国情に合わせて、自国国民の理想を実現するために法律を制定すればよいわけで、ここに唯一無二の正解があるわけではありません。例えば、アジサイがアルカリ性の土壌と酸性の土壌では異なった色の花を咲かせるように、ある法学概念が異なった地区に入ってくる場合、結果もまた異なることでしょう。
學習一門學問,雖然老師的典範很重要,但也不能忘記師兄弟姐妹,觀察師兄弟姐妹才會發現自己的優點和缺點,而往往是入門徒弟會跟老師一樣厲害。每個國家的法律不同,執法情況不同,這些要素並不代表絕對的優劣價值,我的研究價值就在這裡。我不在乎我的手鐲倒底是硬玉還是軟玉,根據價格來判斷的話,確有兩種可能,但只要我喜歡並適合我即可。
ある学問を修める場合、師匠を模範とすることは大事ですが、兄弟弟子の存在も忘れてはなりません。兄弟弟子を観察することで自己の長所と短所を発見することができます。また、往々にして弟子は師匠と同様に優れているものです。各国の法律は異なり、エンフォースメント状況も異なりますが、これらの要素は絶対的な優劣価値を示すものではありません。ここにわたくしの研究価値があると思っています。ですから、わたくしは自分の腕輪が硬玉であるか軟玉であるかにあまり関心がありません。価格からしてどちらの可能性もあるわけですが、わたくし好みで、わたくしに似合っていれば、それでよいのです。