11月
2008

得手不得手

先日、梶原一明著「本田宗一郎―不可能を可能にする言葉」を聴きました。

いろいろな成功者の方々に関する本を読み物として楽しませてもらいつつ、どなたも雲の上の人だと言わざるを得ないのですが、本田氏はちょっと特別です。
なぜなら、若くして亡くなった叔父がHONDAに勤めていて、その名前をよく口にしたからです。
学歴の低い叔父でしたが、そこそこ出世できたのはHONDAIUMのせいかもしれません。

故人の伝記は誇張されたりしがちですが、オーディオブックを聴きながら、それにしてもすごい奇人変人ぶりだなぁと笑ってしまいました。
研究熱心なあまり、服を脱ぐのも忘れて風呂に入るなんて日常茶飯事とか・・・

そういう奇人変人ぶりはわきにおいておいて、ちょっと気になった点を紹介。
本田氏は日記を書かなかったそうです。
作文が子どものころから苦手だったという理由もあるそうですが、本当のところは嘘を書くわけにはいかないからのようです。
浮気のこととか書いたら、裁判所も動かぬ証拠として認めるだろうし、真実を書くことが必ずしもよいことではないと言いつつも、反面、日記というのは自分を偽って書き記すおそれがある点も嫌だったようです。

確かに日記やブログは失敗も綺麗事にして、がんばろーみたいに無意味な努力や根性を掲げて自分を演出することも可能ですしね。
わたくしが思うに言葉というのは発したり、書き記すとそこでエネルギーが消費されつくして、そこで「はい終わり」になりかねません。
最高の技術という結果を皆さまのお役に立ててなんぼの彼にとって、書く暇があったら実践、だったのかもしれません。

反対にわたくしは昔から作文は得意でした(中身がよいのではなく字数がすぐにオーバーする)
しょーもないことをだらだら書くのが好き。
作文の授業のときに、突如、何もネタがないことに気づいて困ってしまい「どうしてネタがないのだろう」ということについて、だらだら書いて先生を呆れさせたかと思えば、絵だけで原稿用紙を埋めることもあり「文字を書きなさいね」と先生にやさしく注意される問題児でした。

人には得手不得手があります。
「得手に帆をあげて」というのが本田氏の哲学で、彼は好きな技術を活かして、苦手な経理は他人任せだったというのは有名な話。

自分の得手を早いうちに見つけられた人は幸せです。

11月
2008

チョコレートの季節

明治の冬季限定チョコ「メルティーーキッス」が好きです。

もともとチョコレート全般大好きなのですが(どろどろに甘い欧米のチョコはちょっと怖いけど)、日本のお菓子メーカーは本当に安価でおいしい商品をいっぱい作っていますよね。
美味しいチョコのためなら、晩御飯抜きでもかまいません。

写真は先日、セブンイレブンで買った「黒ゴマ」味のメルティーキッスです。
抹茶やイチゴ味は日本でも見たような気がするのだけど、黒ゴマは日本で売ったことあったっけ?
明治製菓って上海に会社あるんですね。
明治メルティーキッス

11月
2008

クリスマスプレゼント

クリスマス休暇がほしいなぁと言っていたけど、昨日仕事が入ってきました。
23日か25日にお願いしたいとの仕事なので、クリスマス休暇は論外…
このお仕事はサンタさんのプレゼントですね(^^;

27日頃から年明4日頃まで日本に滞在することになると思います。
今回も岡山から東京まで日本縦断旅行か!?

旅費が(@_@)
我的天呢~(Oh my God!とでもいうべき中国語表現です…)

11月
2008

玉石と法律

長文、漢字コードに注意です。
携帯からだと文字化けする可能性もあります。
そして、日頃のわたくしからは想像つかないくらい真剣なので、つまんないかもしれません。
いちおう、これがわたくしの信条なので書いておこうかと。
もしこれが新聞等の投稿記事だったら、匿名でこてんぱんに苛められそうな気がする。

以下はわたくしが中国語で原文を作成して中国人に修正してもらいました。その後自分で日本語に翻訳したものです(日本語で原文を作ってから中国語に翻訳すると語彙の貧困さから両者が感覚的に一致してくれません)だから、いわゆる字面的にはこの翻訳はニュアンスが違うじゃん、っていう箇所があるかもしれませんが、どっちも本人が書いていて、本人の思考パターンでは同じなので大目に見てください。

玉石與法律


萩原有里
2008年11月23日完成

最近買了一隻淺灰青色的翡翠手鐲,明知價值不高,但仍然非常喜歡,不是作為寶石帶著,而是象徵對於初衷的堅持。
最近、淡い灰青色の翡翠の腕輪を買いました。価値はあまり高くないことを承知の上で買ったのですが、とても気に入っています。そもそも宝石として身に付けているわけではなく、初志を忘れないための象徴として身につけているからです。

玉石(Jade)可分「硬玉(Jadeite)」和「軟玉(Nephrite)」,除了在中國,軟玉並沒有經濟上的價值。目前硬玉的主要產地為緬甸,日本也有少許出產,但中國大陸則是完全不產硬玉。十九世紀之後,中國國內買賣的硬玉,都是從緬甸進口而加工的。古代中國的玉器,基本是軟玉。雖然國際上被認定為有價值的「翡翠」就是綠色或者紫色的硬玉,但是在中國,屬於軟玉的和田羊脂玉卻比硬玉貴,質量絕佳的白玉以我的年收入也買不起。很難理解為何日本人偏偏追求綠色硬玉,將硬玉稱為「本翡翠」,即真正的翡翠的意思,甚至有人還把軟玉稱為「假翡翠」。
玉(Jade)はご存じのとおり、硬玉(Jadeite)と軟玉(Nephrite)に分類され、軟玉は中国を除いては経済的な価値はないといわれています。現在、硬玉の主要産地はミャンマーであり、日本でもわずかに産出されますが、中国大陸では産出せず、19世紀以降、中国国内で売買される硬玉は、ほぼミャンマーから輸入され加工されたものだそうです。古代中国の玉器は基本的に軟玉です。国際的に価値があると認められている「翡翠」は緑色又は紫色の硬玉ですが、中国においては軟玉に分類されるホータンの羊脂玉は硬玉よりも高価で、品質の優れた白玉(はくぎょく)はわたくしの年収を投じても手に入れることは不可能です。理解しがたいのは、どうして日本人は緑色の硬玉に執着するのかということです。硬玉を「本翡翠」と呼び(つまり本当の「翡翠」の意)、軟玉を翡翠の偽物呼ばわりする人さえいます。

一位日本玉石收藏愛好者,從來沒有接觸過羊脂玉,他一直認為中國人所說的羊脂玉是白色翡翠,他在紐約找「mutton fat jade(羊脂玉)」時,大家都說「沒有聽說過這種翡翠」,他覺得奇怪,這麼有價的翡翠為何大家不認識,最後去紐約的高級寶石店向老闆請教,老闆冷淡地說「你到底要甚麼? 你明白自己所說的意思嗎?」,接下來老闆给他很大的打擊的一句是「這裡只有最高級的寶石,在紐約沒有人要這樣的廢物!」(參照山川倫央:私家版礦物記「軟玉故事」http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/jade1fr.html)。雖然羊脂玉是寶貴的玉石,但世界上不少人跟紐約的寶石店老闆一樣,單純地認為「硬玉(Jadeite)是高檔玉石,軟玉(Nephrite)是便宜玉石」,這只是以供應數量和西方美感為準的說法,跟玉石本身的美感毫無關係。實際上,十九世紀以前的中國,硬玉只不過是美麗的石頭,而軟玉不僅是美麗,也是具備「德」的特別玉石。例如和氏璧落入趙惠文王手中,秦昭襄王聞訊,表示願用十五座城池進行交換。古代中國對於軟玉中羊脂玉那樣的白玉特別珍惜,因為產地只限定於和田。到了十九世紀,將硬玉列入了玉石的一種。在滿族統治下的清朝末期,西太后很愛硬玉,硬玉也就在中國國內流行了。雖然唐代人已經認識硬玉的存在,但當時的評估為「不算是真正的玉」,跟現代評估正好相反。
ある日本の玉石愛好家は羊脂玉に触れたことがなく、彼はずっと中国人のいう羊脂玉は「白い翡翠」だと思っていました。ある日、彼はニューヨークで「mutton fat jade(羊脂玉)」を探したのですが、誰もそのような翡翠は聞いたこともないというので、なぜあんなに価値のある翡翠のことを誰も知らないのか不思議に思っていました。そこでニューヨークの高級宝石店の店主に教えを請いに行ったところ、思いがけず冷淡にこう言われました。
「何がほしいって?君は、意味がわかっていて言っているのか。」
そして、店主のとどめの一言はこうでした。
「ここには最高の品質のものしか置いていない。だいたいニューヨークでそんなクズものを欲しがるお客はいない!」
(参照:山川倫央:私家版礦鉱物記「軟玉の話1」http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/jade1fr.html)
羊脂玉は貴重な玉石なのですが、世界にはニューヨークの宝石店の店主と同様に単純に「硬玉(Jadeite)は高級玉石,軟玉(Nephrite)はクズ石」と思っている方が少なからずいます。これは単に供給量と西洋の美観を基準にしたらそうなったというだけのことであり、玉石そのものの美観とは何ら関係のないことであります。実際、19世紀以前の中国では、硬玉は単に美しいだけの石ころで、軟玉は美しいだけでなく「徳」を備えた特別な石だったのです。例えば、趙の恵文王は、かつて稀代の名玉といわれた和氏の璧を手に入れ、秦の昭王は、十五の城と和氏の壁を交換しようと申し出たと言い伝えられています。古代中国では軟玉のうちでも羊脂玉のような白玉は特に珍重され、その産地もホータンに限られていました。19世に入って硬玉も玉石の一つに加えられるようになりましたが、これは満州族が統治する清朝末期、西太后が翡翠をこよなく愛し、中国国内でも流行したためです。唐代にすでに硬玉の存在は知られていましたが、当時の評価は「真の玉にあらず」とのことで現代の評価と全く正反対でした。

人們對於法律的概念,與對於玉石的認知差不多。法律本身並沒有絕對的價值,隨著社會的發展會變化,更重要的是,我們並沒有義務以歐美為準。自己研究領域為智慧財產法,但這是最後學歷上的分類,我在日本的中國法研究室出身,簡單地說,是屬於跟法理或者比較法較接近的研究領域,即在大家了解的中國法的基礎上,繼續作進一步的研究,例如我導師研究的領域是憲法,師兄弟姐妹的研究領域為民法、行政法、法社會學、古代中國法制史等較廣泛,以中國法學的名可以整理之外,互相沒有直接的聯繫,實際上我導師常說,「沒有一個研究生跟導師一模一樣,真是有趣」。因為我的母校有特色,法學系正式的課程中有一門「中國法」。我是二十歲初次接觸中國法,知道這是跟西方法學不一樣的另一個世界。一般法學系的人只能學沿襲自歐美法的日本現代法律,很多研究生是以第二外國語來選修德語而作歐美法的研究。從事日本刑法研究的老師也曾問過我,「我們跟美國或者德國學習的目的是,參考歐美法律,研究是否可將先進的法律規定納入日本,以便對日本的發展做出貢獻。妳所做的中國法的研究,學習落後的東西,對日本有何意義?」。其實,在日本學中國法律的人不少,但都是為了打官司、合營公司的經營等一些商業上的需要,我能夠理解很多日本人質疑在學術上作中國法研究的意義何在。
人々の法律に対する概念も玉石に対するものと同様であると思います。法律そのものに絶対的な価値はなく、社会の発展にともない変化します。また覚えておきたいのは、わたくし達は欧米の基準に合わせなくてはならない義務を必然的に負っているわけではないということです。わたくしの研究領域は知的財産法ですが、これは最終学歴上の分類に過ぎず、日本では中国法研究室に所属していました。簡単に言えば、基礎法学とか比較法という領域に分類されることが多く、つまり中国法をある程度理解した上で、それぞれ研究を掘り下げるというもので、例えば、わたくしの指導教官は憲法を専門にし、学生はそれぞれ民法、行政法、法社会学、古代中国法制史等を専門にしているというように研究領域は極めて広範囲に及び、中国法学という名の下でひとくくりにできることを除けば、相互に直接的な関係はありません。実際、指導教官もよく「誰ひとりとして自分とまったく同じに成長した学生はいなくて、実に面白いね」と言っていました。わたくしの母校はちょっと変わっていて、法学部の正式課程の中に中国法という講義がありました。わたくしは20歳のときに初めて中国法に触れ、西側の法学とは異なる別世界があることを知りました。通常、法学部生は欧米を踏襲した日本の現代法学を学び、多くの院生が第二外国語としてドイツ語を選択し、欧米法を研究します。日本の刑法研究に従事する教授にこう尋ねられたことがあります。
「我々が米国やドイツに学ぶ目的は欧米の法律を研究して、先進的な法規定を日本に持ち込めるかどうかであり、日本の発展に貢献することにあると思う。あなたのやっている中国法の研究ですが、遅れたものを勉強してどのような意義があるというのでしょうか?」
実際、日本で中国法を学ぶ人は少なくありません。しかし、それは訴訟や合弁会社の経営等ビジネス上の必要性からです。多くの日本人が学術的に中国法の研究を行う意義はどこにあるのかと疑問を抱くであろうことはよく存じています。

日本位於亞洲,立法歷史最早從中國律令制度學習,但適用範圍和實際效果沒那麼大。1868年明治政府建立以前,依據各個地方習慣法或者固有規範進行審理。明治政府之後,除了國家特別法令以外,一般性糾紛仍然按照以前的方式來進行審理。根據1875年太政官佈告103號,「如果沒有法律和習慣法的,應當依據條理進行審理」。當時日本比歐美法律制度落後,日本根本沒有歐美的法律概念,儘管沒有平台,還是納入外國法律要素,結果沒有始終如一。例如日本最早是19世紀初已經開始準備完善「民法典」,1890年頒布了法國式民法的試行法案,可是等不到1893年的正式實施,就陷入無限期延期狀態,原因在於保守的日本人不能接受先進的法國民法,法學界發生了「民法典論爭」。日本廢止法國式民法典之後,重新起草民法,1895年頒布了受德國影響的民法。法國理論和德國理論直到今天,仍在日本民事法中引起內在的邏輯矛盾。
日本はアジアに位置し、立法の歴史として早くは中国の律令制から学びました。しかし、その適用範囲や実際の効果はさほど高くなかったようです。1868年の明治政府の成立前、各地の地方慣習法又は固有の規範によって裁判が行われていました。明治以降、国家の特別法を除き、一般の裁判は従前の方法により審議され、1875年の太政官103号により「法律、慣習法がない場合、条理に基づき審議する」と公布されました。当時の日本は欧米の法律制度に比べて遅れており、日本には欧米式の法律概念が根本的に存在していないのにもかかわらず、土台のないところに外国法の要素を取り入れようとしたのですから、一貫性に欠けました。日本は早くは19世紀初頭に「民法典」の完成に着手し、1890年にフランス式の民法草案を公布したのですが、1893年の正式施行を待たずして無期延期状態に陥り「民法典論争」が繰り広げられました。原因の一つとして、保守的な日本人は先進的なフランスの民法を受け入れ難かったことが挙げられています。日本はフランス式の民法典を放棄した後、新たに民法典を起草し、1895年にドイツの影響を受けた民法を公布しました。フランスの理論とドイツの理論は今日も日本の民事法に内在的なロジック矛盾を引き起こしているといわれています。

由於日本是亞洲發展較早的國家,而且因為二次世界大戰之後,美國曾占領日本,日本受美國的影響較大,例如著作權法中可以看到英美法、法國和德國的要素混在一起,每個條文的來源很複雜。由於地緣的關係,台灣受日本法的影響很深,中國大陸也研究日本法,包括日本法的錯誤做法。法律本身會發生後來居上的效果,因為後來的人可以仔細研究先例的好壞。有些日本人認為日本是歐美國家的得意門生,在法律規範上學得歐美法律的精髓,其他亞洲國家則學得不好,這其實是很大的誤解。法律本身沒有應該如何的模式,每個國家都會根據自己的國情,為體現本國的理想而制定法律,並沒有唯一準確的答案,正如同紫陽花在鹼性土壤和酸性土壤上,分別會開出不同顏色的花,將某個法學概念進入不同地區,結果也會有所不同。
日本はアジアの中でも比較的早期に発展した国であり、第二次世界大戦後、米国の統治下に置かれたことから、米国が日本に与えた影響も大変大きいものがあります。例えば、著作権法には英米法、フランス、ドイツの要素が混在し、各条項の起源も複雑です。地理的な関係により、台湾は日本の影響を大きく受け、中国大陸も日本法を研究しています。これには日本の誤った選択も含まれます。法律そのものは、後から来た者が追い越すという事態が生じ得ます。なぜなら、後から来た者の方が詳細に先例の良し悪しを検討することができるからです。日本人のなかには、日本は欧米の優秀な学生であると考え、法規範的には欧米法の精髄を学び取り、その他のアジア諸国は劣っていると感じている人もいるようですが、これは大きな誤解だと思います。法律そのものには、こうあるべきだというモデルは存在しません。各国は自国の国情に合わせて、自国国民の理想を実現するために法律を制定すればよいわけで、ここに唯一無二の正解があるわけではありません。例えば、アジサイがアルカリ性の土壌と酸性の土壌では異なった色の花を咲かせるように、ある法学概念が異なった地区に入ってくる場合、結果もまた異なることでしょう。

學習一門學問,雖然老師的典範很重要,但也不能忘記師兄弟姐妹,觀察師兄弟姐妹才會發現自己的優點和缺點,而往往是入門徒弟會跟老師一樣厲害。每個國家的法律不同,執法情況不同,這些要素並不代表絕對的優劣價值,我的研究價值就在這裡。我不在乎我的手鐲倒底是硬玉還是軟玉,根據價格來判斷的話,確有兩種可能,但只要我喜歡並適合我即可。
ある学問を修める場合、師匠を模範とすることは大事ですが、兄弟弟子の存在も忘れてはなりません。兄弟弟子を観察することで自己の長所と短所を発見することができます。また、往々にして弟子は師匠と同様に優れているものです。各国の法律は異なり、エンフォースメント状況も異なりますが、これらの要素は絶対的な優劣価値を示すものではありません。ここにわたくしの研究価値があると思っています。ですから、わたくしは自分の腕輪が硬玉であるか軟玉であるかにあまり関心がありません。価格からしてどちらの可能性もあるわけですが、わたくし好みで、わたくしに似合っていれば、それでよいのです。

11月
2008

大福もち…それとも肉まん?

7.11の抹茶あずき大福、食べる前
先日、セブンイレブンで買ったチーズケーキが美味だったので友人に推薦して「本当に美味しかった」との感想をいただき気をよくしたわたくしは、セブンイレブンの大福もちに挑戦したのだったが…

7.11の抹茶あずき大福、食べた後

割ってみたら…なんじゃこりゃ。
抹茶小豆味って書いてあったのに、見た目は肉まんじゃないか。

つまり大福の中に抹茶あずきケーキが包まれていたのだが、これまた何だかぐしょぐしょだよ~

お味の方は…

う~ん、微妙。

11月
2008

クリスマス休暇

中国にはクリスマス休暇はありませんが…
休みをとって日本に帰りたいなぁと思う今日この頃。

わたくしはカトリック教徒なのですが、昨年は確か友人に誘われて韓国系プロテスタント教会で過ごしたような記憶があります。
韓国の人はクリスチャンが多いですからね。

うちの事務所のあるオフィスビル(ランドマークホテルの奥にあるランドマークビルです)の1階ロビーにもさっそくクリスマスツリーが昨夜現れました。
昨夜、8時頃ビルを出るときに数人方々が作業をしていたので、今朝、さっそく撮影しました(^^)
ランドマークビルのクリスマスツリー

落ち着いた飾り付けです。
中国の場合、クリスマスが過ぎても春節(旧正月)が過ぎるころまで出しっぱなしにするところが多いです(門松代わりにしているレストランもある(^^;)
ランドマークのクリスマスツリーは、クリスマス前に点灯式が行われるのですが、会社の退勤時間頃に外国の子どもたちがお歌を披露してくれる等のイベントが行われ、小さなケーキやお料理が立食形式でふるまわれます(無償でございますので会社帰りにちょっと寄る、残業前にお菓子をつまみにくる人が多いのですが、あっという間になくなります)。
ビルの責任者が結構ハンサムなおじ様だともっぱらの噂なので、わざわざ挨拶を聞きにいく女性もいます(*^^*)
昨年はメガネをかけるの忘れて、ハンサムなのかどうか分からなかったわ。

11月
2008

玉(ぎょく)の不思議2

先日、玉(ぎょく)の話をしたので、その続きで偽玉の話でも。

実は中国に来たばかりの頃、面白半分で偽の玉の腕輪を買ったことがあります。
もっとも本人は天然石とは似ても似つかない偽物だと知りながら、ガラスのファッションリングくらいの軽い気持ちで買いました。
偽物翡翠偽物瑪瑙

紫色のものについて「これって翡翠の偽物?」と聞いたところ、店主は「瑪瑙(メノウ)だよ」と回答してくれましたが、はっきりいって、着色した瑪瑙にも程遠い代物です(^^;

小手先の偽物は光にかざすだけですぐ分かりますからねぇ…
天然石特有の質感がなくのっぺりしていて、気泡とか入っちゃていたら、お粗末なねりものの偽物ですな。
しかしながら、そうと知っているので、日本円で100円くらいで買いました(^^;
でも、この歳になってガラス玉を身に付けるのはどうも格好悪いので、そのうち処分します。

手の込んだ品になると天然石を染めたり、表面だけ加工して高級っぽく見せて売るらしいですが、これらはいくら元の石が正真正銘の天然石であっても、色落ちしたり変色したりするので嫌われます…
(ジュエリーとしての価値が下がるから嫌われるという側面のほか、変色は運気が落ちる、逃げることにつながるという点で忌み嫌われるようです。)

俗に言う見分け方は、先ほどもふれたように光にかざすほか、翡翠同士をかるくぶつけてみると綺麗な金属音がするとかといったところでしょう。

でもよく似た石とかを加工したものは、もう素人では分かりませんから、鑑定所に徹底的に鑑定してもらうか、神さまに聞くしかないでしょうね…

先日わたくしが購入したものは天然石ではあるけれどいも、おそらく価値が低いものだと思います。
また硬玉なのか軟玉なのかは正直、屈折率とかで判断しないと分からないと思います。
わたくしは別にジュエリーとして身につけているというわけではないので硬玉に全然こだわりはなく、ただ気に入っているからそれでいいんですけどね。
むしろ、宝石としての価値云々よりも、中国皇帝がこよなく愛した中国産の軟玉の方が親しみがあっていいくらいです。

ところで軟玉といえば台湾でもよく産出されるようです。
昔、台湾の方に玉のペンダントを頂きましたが、おそらく軟玉だと思います。
懐中電灯で照らしてみたところ、透明感等から天然石だとは思いますが、どの程度の価値のものなのかはよく分かりません(値段聞けないしなぁ)。
わたくしが女性なので、「鳳凰」を彫った玉を護符としてくださったのだと思います。
軟玉のペンダント

11月
2008

笑うしかない

わたくしのここ1年の座右の銘は「笑うしかない」です。
著名な経営者や権威のある先生の座右の銘に比べたら、実にふざけているかもしれませんが、これがわたくしにとっての楽に生きるコツなのだから仕方がありません。

ところで、NIKKEIビジネスオンラインでよく読む記事のなかに深澤真紀氏の「自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術―自分をすり減らさず、『そこそこほどほど』に生きるコツ」というのがあります。
わたくしの周囲には心の病を患っている人が少なからずいますが、共通点はがんばりすぎていることだと感じてきました。
そういう傾向のある人にはこの50回にわたる連載は参考になるところがあるような気がします。
今朝見た第50回の連載終了記事にも考えさせられました。

ビジネスマンは、自分にイチローや松井秀喜の真似ができないことは分かっています。でも、同じビジネスマンである経営者や管理職たちの真似はできるんじゃないかと思っているところがあります。でも、それは間違いだと思うんです。

私も、各界で成功した方々の本を作ってきましたが、皆さんとにかく大変な強運と才能の持ち主で、なおかつ「その方にしか有効でない、とても独特な信念」を持っていたりします。そして、ご本人は自分がその方法論で成功しているので、「なんでみんな、ポジティブでいられないんだろう?」と不思議に思っているんです。

つまり、ビジネスにおける成功者もイチローくらい常人離れしているので、普通の人にとっては、あまり役に立たないんです。

成功者が書いているビジネス書や自己啓発書も、読み物として楽しむ分にはいいけれど、誰にでも真似できるものではないし、普通の人が読んでも簡単には真似できないと知っておいた方がいいと思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20081119/177754/?P=1

わたくしは自己啓発本をよく読む(聴く)し、ビジネス書も最近になってよく読み(聴き)ますが、深澤氏のおっしゃることはごもっともだなぁと思います。
わたくしが勝間和代を読んでも完全に真似するのは無理です(笑)。

いわゆる「できる人」と自分はそもそも同じ土俵に立てないし、立つ必要もないですよね。
でも、同じ土俵に立つべきという強迫観念みたいもの、世の中には確かにあるような気がします。

わたくしには、まだやりたいことがあるので、そのためにはやはり頑張らなくてはならないのですが、ポジティブには生きられないけど「笑いながら」生きていきたいとは思っています。
幸いなことに、わたくしの場合は自分が好きなこととか、やりたいことは非常に明確で、好きなことをやっているときは、超楽しいので無理やり笑う必要はありませんが…

友人はわたくしがいかにネガティブ思考に陥りやすい人間であるかを知っていますが、好きなことになると不可能であろうともやるので、ある意味ポジティブだと言う人もいます。

ぶっちゃけた話、博士課程在学中、今より15キロほど体重が軽くて、将来を悲観して毎日吐いていた時期もあります。
それでも、ひどいうつ病にもならず、なんだかんだ言いながら異国で生きていて、現在、くだらないことでも笑い転げているわたくしは、たぶん他の人より頭が鈍いのではないかと思っている今日このころです。

11月
2008

玉(ぎょく)の不思議

ずっと玉が欲しかったので、玉の腕輪を買ってしまいました。
中国語で玉(ぎょく)と言えば、要するに美しい石の総称で、鉱物的には様々な石が含まれるので紛らわしいのですが、通常、宝石屋さんで売っている玉は主として翡翠(ヒスイ)つまり英語でジェイド(Jade)のことを指します。
翡翠といえば、硬玉(Jadeite)と軟玉(Nephrite)があり、それは鉱物的には全く別物ですが中国ではごっちゃにして市場に出回っています。

中国で売られている本物の玉(翡翠)は、ほとんど軟玉、つまりネフライトだと思います。
日本では本翡翠(つまり硬玉)しか宝石のうちに数えてはもらえず、それ以外のものは財産的価値はないようですが、中国では白く透明感のある最上質のものなどは、硬玉よりも価値があるとされお値段も非常に高く、本当かどうか知らないけど、清朝期には第一夫人には玉を贈るけど第二夫人はダイヤでOKね、というくらい格上だったりしたそうなので、何をもって玉の価値とみるのか、よく分からないところでもあります。
中国で玉は、五徳(仁・義・礼・智・勇)を高める石、現世と霊界をつなぐ石、金運を司る石などとされ、古代より商人が好んで身に付け、お守りとしての要素が強く感じられます。

ちなみに知人の玉の腕輪はわたくしの年収くらいするそうですが、わたくしが買ったものはわたくしの月収の何分の一かのお値段。
玉(翡翠)と言えば深緑とか淡緑をイメージし、日本人は本翡翠(硬玉)の深緑がお好きみたいですが、わたくしは薄紫がかったものが好きです。

お店でかなり紫がかった腕輪も見つけたのですが、ものすごく高くてビックリ。
わたくしの年収の数倍でした~
その店で一番安い品の中で、まんべんなく紫っぽいものを購入したのですが、鑑定書には「白」と書かれているくらいで、外でそれ1個だけ見ると紫っぽいのかどうか分からないほどの淡さです。
いちおうA貨(つまり天然の色で染色はしていないとの分類です)なんだから仕方ないか。

玉の腕輪

お守り的要素が強いと書きましたが、そのせいか、中国人はよく玉は適当に選んじゃダメ、といいます。相性があるとか、玉が主人を選ぶ(?)とか言う人もいます。
じゃあ、どうやって買ったらいいのと聞いたら、いわゆるこれだとピンとくるものがあったら、それが一番なのだとか。
確かに本日、最初に行ったお店で最初に目にとまったものが、やっぱりどうしても忘れられなくて、うまい具合にその店で一番安い品だったので(何とか買える値段だった)、結局そのまま購入しちゃいました…

玉の腕輪をして原稿書いたら玉稿だと称してもらえるかは定かではありませんが、気にいったのでこれからずっと身につけるつもりです。

11月
2008

アクセス障害

前にも書いたかも知れないけど、中国にいるとある日突然、あるサイトにアクセスできなくなることがあります。

最近、ameblo.jpにつながらない…
最初はシステムダウンかと思っていたのですが、1週間もダメってことはないよね?
なんでだろ~何かヤバいサイトがあるのでしょうか。

もともとエキサイトブログも見られないんだよね。
geocitiesはよくなったり、ダメになったり…
実に不便だ~

ところで、中国大陸からはgov.tw 台湾ドメインはブロックされるので通常、一般人は見れないことは前に書いたかもしれないですね。
大陸の人からのアクセスがないのは寂しいと考えた台湾著作権法逐条解説の原作者、章先生のサイトはtwとは無縁で、且つ公益性を重視してorgをわざわざ米国で取得してきています。

わたくしは日本という比較的自由な国の国民なので、日本にいるときはそういうことを日々感じずにすみますが、世の中は実に不便なことでいっぱいなのですね。