12月
2008

ただいま日本

帰ってきました、日本。

午後2時には岡山駅に到着。
そのまま、丸善、紀伊国屋等本屋めぐりをして、6時に帰宅しました。

なんと、ごぼうの煮物とお赤飯がわたくしを待っていました。
いや、別にめでたいからというのではなく、夫は赤飯が大好きで、なんと自分であずきを煮たついでに赤飯も炊いてみたのだとか。

ちゃんとピンクでかわいい赤飯がほかほか~
夫は前は「赤飯の素」とかいう市販の豆と汁を混ぜていたのに、最初から自分でやっているなんてすごい…って感動している場合か。
明日はちゃんと作るぞ、晩御飯!(と言いながら鍋するだけ)
いや、久しぶりに包丁握るとマジで手を切るんだよね(^^;
ぼちぼち、感覚をもどさないと。

12月
2008

日系企業中国人スタッフ知的財産権研修会

2008年はわたくしにとって「はじめて」のことばかりで、あっという間にすぎてしまったような気がします。
この2008年度、最後の大仕事が「日系企業中国人スタッフ知的財産権研修会」のセミナー講師でした。
しかも、「中国語」で話してくれとの要請です。
題して「日常業務において注意すべき著作権問題」
実は、中国語で講義をするのは初めてでした。
これまでに長く中国語で専門の話をしたのは博士論文の口頭試問くらいでしょうか。

数週間前まで、計算の苦手なわたくしは90分(大学のひとコマくらい)の持ち時間だと勘違いしていて、最近になって、仲のいい弁護士が企画書を見て、「これ持ち時間は75分だよ」と教えてくれました(汗)。

JETRO主催のこのセミナーは、もともと、わたくしの職場である北京天達律師事務所の弁護士に打診してきたものなのですが、あいにく弁護士は忙しくパートナー弁護士が「テーマが著作権だし、参加者は中国人の若いスタッフだから、あなたに向いているかも。いい機会だからやってみない?」とふってくださった有難いお仕事であります。

当初、JETROからいただいた企画書には50名以内の参加者、7割くらいは日本語も分かるスタッフだよと聞いていたのですが、当日は参加者が90余名にもなっていました…
実際、日本語のわかる参加者が何人いらっしゃったのか存じませんが、わたくしが使用する言語はいずれにせよ中国語にはかわりありません。

最終的には開き直って「自分は弁護士じゃないんだし、自分は会社員ではないけど、ある組織の一従業員として、むしろ皆さんとあまり変わらない立場で仕事をしていますよ、そんなわたくしが、ぶつかる著作権問題って、結構、皆さんと同じじゃないでしょうかね」というスタンスでしゃべりました。

やはり残念なのは母語じゃないので、つい、原稿を見てしまうのですよ…
PPTだけを見ながら、アドリブなんかも言える講師に憧れます。
うちのパートナーのZ弁護士なら、母語ではない日本語でもすらすら喋り、セミナーの一つや二つこなします。
そうなれるのはいつのことやら。

思ったより質問が出てきてビックリしました。
やはり、皆、職務著作に興味津津のようです。
日本人より転職が激しいですから、そこらへんをきっちりさせて、新しい職場でも前の著作物を使えるといいなと思うのでしょうね。
実務だとかなり判断が難しいケースもあるので、そういう場合、やはり最初にきちんと契約書をみておく必要があるのでしょうね。

また、著作物の修正についての質問は、本当に深く考える価値のある問題です。
著作権を譲り受けても、著作者人格権は人格権ですから譲りようがありません。
いくら譲渡契約と修正権の許諾契約書で、ある程度の修正等を認める許諾を得ていても、実際、原作の本質を覆すような修正をしたらやはり争いになると思いますので、そこらへん、著作権問題って非常に複雑で、聴衆もそこらへん、気になるらしく、そういう答えに窮する質問されるんですよねぇ。

「いい質問ですね」って思わず言ってしまいました。

特に具体的な事例に関する質問になると、実務はやはり、わたくしは弁護士ではないし、版権局の職員でもないので、一緒に来てくれた弊所のG弁護士にちょっと助けてもらいました。

もっと中国語も専門も勉強しないとなぁ、と来年への決意を新たにしました。
次はもっと聴衆を楽しませてあげないとね。
そのためには、やはり母語レベルの中国語が必要でしょうね(がんばれ>自分、です。)

セミナーの写真

12月
2008

凍え死にそうな日々

昨日、ケータイに入ってきた天気予報によれば、気温は-7度~-17度。
朝、ミサに行くために家を出たわたくしは顔が凍りつき、教会に入るまで寒さで口がマヒして動きませんでした。(ほぇぇ~最高気温がマイナスってどうよ)

本日、ケータイに入ってきた天気予報によれば、3度~-8度。
昨日、凍え死にそうだったので、ずいぶん、暖かく感じます。

北の地方は、こんなものではないのでしょうね。
ハルピンとかに住んでいなくてよかったと思います。

今週、一週間がんばって仕事をすれば、おやすみだ^^

12月
2008

人は見た目

よく不細工な女の子に対して、「見た目じゃないよ、中身だよ」などと建前を言う人がいますが、そんなわけないだろうとすでに多くの人が知っていますよね。

で、この本もそういうことをズバッと言ってくれているわけです。

モテれ。
  • モテれ。
  • 著者:春乃れぃ
  • 価格:1260円(税込)
  • 時間:3時間06分29秒

携帯小説界でヒット連発!話題の新人作家による、キレイごと一切なしのモテるテクが満載です。

わたくしは今まで日本で携帯をもたなかったから、知らなかったな。

ところで、わたくしの生まれ育った環境は、かなり本当のことを言ってくれる男性ばかりが周囲にいたため、今更びっくりすることはないのですが…

死んだ爺ちゃんは「ダンボールに詰められた捨て犬だって見た目が可愛い子から拾われていくだろ、女の子だってそうに決まってるよ」とバッサリいい切り、死んだ父さんも「商売の話をする以前に、相手につま先から頭のてっぺんまで見られて、値踏みされているからな、話を聞く前にすべて決まっちゃってるんだよ」とあっさり言っていました。

若いころのわたくしは、父さんの好きな女性のファッション、即ち古典的なきちんとしたスーツを着ているけど、胸元が見えそうで見えないくらい開いているというのが嫌いでしたが、今だったら、父さんが何でこういうものをわたくしに着せたがったか分かるような気がします。
(ただのスケベではなかったんですね)

若いころはとにかく、父の趣味に反抗して自分の着たいようにラフなものを着たり、かわいいものばかり着ていましたが、今頃になって、父の言うこと聞いておいた方がよかったのかな、なんて思ったりします。

この図体では、根本的にかわいいものが似合うわけもなく、かといって男性のスーツのようでは可愛くない女でしかなく、だいたい社会はなんだかんだ言っても男性社会なのだから、悪い意味ではなくきちんとしていて、それでいてモテたほうがよいに決まっている。

そんなわけで、子どもの頃からでかくて可愛くなかったわたくしとしては、余計に気をつかうべきだったと反省してこんな本を聴いてみたというわけです。

感想は、とにかく笑えました。
未婚女性なら婚活に役立つし、男性なら女の子の嘘を見極めるのに役立つと思います。(男性の場合、女の子のテクを見抜いた上で、それを責めるのではなく騙されてあげれば、もっともてると思います…)

余談ですが、弁護士はお水の方とは違うわけで、色恋で営業するわけではありませんが、人気のある女性弁護士さんというのは「可愛い」と思います。
もちろん、見た目が超可愛いとかそういうことではなく(元の素材が良いに越したことはありませんが)、相手から話題を引き出すのが上手で、とても気がきくと思います。

12月
2008

持ち運びの便利な楽器

最近、何かを書いているときに、台湾ポップスのほか、クラシックも聴くようになりました。
日本語は聴きません(あまりメリットがないから)
聴いてるだけじゃなくて、弾きたいなぁという欲求が…むくむくと。

いちおう女の子の習い事として7歳頃から13歳くらいまでピアノを習っていたのですが、辛い練習は苦手で、引ける曲だけ楽しく弾くようないい加減な習いごとだったため、全然うまくならなくてやめてしまいました。
こんなに長いことやっていたのに、まっとうなクラッシクが全然弾けません。
覚えたはずの曲もほとんど忘れてしまいました。

社会人になってから2年くらい、バイオリンも自分で習いに行きました。
これも、すぐに綺麗な音は出たんだけど(漫画にあるようなノコギリを引くような音は出そうと思っても出せないと思うのですが。)、練習あまりしなかったのと、夜間の大学に通うならますます時間がなくなるということでやめました。

昔、友人に二胡を触らせてもらいましたが「え?初めてなのに、音出せるんだね」と驚かれました。
これは、弦楽器を触ったことがあるからだと思いますが…でも2本しか線がないから相当難しいんだろうなと思って、習いに行くのはやめました。

辛い練習は嫌いなくせに、楽器に触れて、好きなように好きな曲だけ弾くのは大好きです。
(音楽やっている人からしたら、信じられないくらいリズム狂っているんだろうなぁ)
最近、持ち運びに便利で、適当に遊べる楽器はないものかと、ふと思うようになりました。
何か、ないでしょうかね。
小学校で習ったリコーダーくらい?
実は音楽の時間、歌うのは嫌だったけど(背が高いので女の子らしい高音が出せないし、声が綺麗じゃないから嫌。)、ピアニカやリコーダーは好きだったなぁ。

突如、オカリナはどうか、と思いついたのですが、音域が狭いらしいし、落とすと割れるし(プラスチック製もあるらしいけど)、音が不安定だと聞いたので、保留中。
防音できないから、練習するのに困るかなぁ…

こんなことをふと思うのは、仕事の締め切りに追われているが故の逃避なのかなぁ。

12月
2008

専門違いの友人

昨日、中国社会科学院でお世話になった中国人の友人に会いました。
彼女は日中比較文学専攻者です。

わたくしが社会科学院を受験する際に、修士論文を中国語に訳してもらうのを手伝ってもらったり、初期の論文は彼女に文法チェックをしてもらいました。逆に彼女が日本で講演をした際には、わたくしが中国語の原稿を信じられないようなスピードで日本語にしてあげたという仲です。
そのため、後日その講演集には翻訳者としてわたくしのの名前があがっていて、専門が全然違うので何か変な感じです。
もっとばらすと、そのときの公演のテーマ自体は、文学の範疇ではあるものの、彼女の研究とは離れていたのですが、チャンスは断るわけにはいかぬということで、彼女も必死に勉強したというものでありました。

そういえば、夫の友人S先生もかなり大昔、オーバードクターして無職だった頃、間の抜けた某出版社の編集氏が某分野の専門家である某先生に原稿を依頼すべきところ、誤って同姓同名のS先生に依頼してしまい、法律の範疇ではあるものの、全然違う分野の法律論文を執筆したという経験をお持ちです。(他分野でも書けるというのもすごいですが、誤りにしろ、来た仕事は逃がしてたまるかという根性がすごいです。)

その彼女の博士論文がやっと出版できたというので、頂戴いたしました。
蒋春紅著「日本近世国学思想」
途中で編集者がお亡くなりになったり、ご自身が妊娠出産を経て、ずーっと先延ばしになっていたそうです。
彼女は現在、対外経済貿易大学で先生をしておられます。

ぜ~んぜんたいした協力をしていないのですが(日本の大学の図書館くらいしか所蔵していない資料を自分の資料をさがすついでにコピーをとってあげたぐらいですか…)、後記にわたくしの名前まであったりして、義理堅いなぁと思いました。お名前が挙がっている他の方は皆文学専攻者ですからね(^^;
文学と法律文書の翻訳は性質的に異なり、文学の場合は表現の幅に制約があまりありませんから、それはそれで楽しいのですが。

彼女のお子さんを久しぶりに見て、子どもの成長は早いねぇと思いました。
前に会った時は生後1ヵ月だったから、正直、可愛いのかどうか分からなかったけど、1歳少しの今は喋れるし、歩けるし、愛きょうがあって可愛かったです。

日本よりはマシですが、中国でもやはり女学生が研究職を得るのは不利なことが多く、ついでに言うと学位とる前に結婚しておかないと、同級生同士のカップルを除き、普通は高学歴女性は嫌がられたりするので結構、婚活に苦労するらしいですが、彼女の場合、旦那さんは別に研究者ではないし、教職を得た後、ちゃっかり子どもも授かって、努力した上できちんとチャンスも逃がさずに、すべてを手に入れていくしっかりした女性だと思います。

あぁ、真似できない…

12月
2008

かたちのない仕事

ブログのタイトルは「北京で働くわたくしの日常」なのだけど、わたくしには守秘義務があるので、仕事の内容をそのまま書くわけにはいきません。

退勤後、飲み屋で上司への不平不満を言うサラリーマンのように、弁護士さんの実態をすべてばらす内容を書くわけにもまいりません(この先、どこでまた一緒に仕事をするか分かりませんからね)

そこで、差しさわりのないどこにでもある話を少し…

さきほど、ある日本企業の中国子会社担当様がうちの弁護士に「来週から北京に住みます」と連絡してきたそうで、会社の設立に際して、いろいろ道のりが長かったので、弁護士もわたくしも「やっと、北京まで来たか。会社がうまくいくといいね~」と思いました。

製造業だと成果物が目に見えて、街で自分の会社の製品を見つけたり、自社の看板を駅や空港で目にしたりすると、嬉しくないかなとか(今どきの人には愛社精神はないのかな!?)、サービス業だとお客様の笑顔とか見えるから、感謝されていいな~とか思います。
わたくしの場合は多分、サービス業に分類されるのだろうけど、弁護士ではないので特殊な仕事を除き、直接クライアントには関係のない位置で仕事をしますので(ワタクシ的には、わたくしの主人と顧客が弁護士という感覚ですね)、何を生み出して、社会に何を貢献できているのかよ~分からん仕事でさみしいなという気もいたします。
作成した文書が残るでしょ!?と突っ込まれるかもしれませんが、ほとんど秘密文書だし、公開される類のものでも、自己名義ではありませんからねぇ…

昔、ある弁護士の友人に、研究論文の話を楽しそうにしたら、「いいねぇ、自分の仕事を自分で完結できて形として残るじゃない?僕なんて毎日、外ではあくせくクライアントに振り回されて、内では事務所の財務と人事に気をもんで…僕の人生、24時間これでいいんだろうか」と言っていました。
う~ん、でも傍から見たら、「先生~たすけて」と外からも内からも頼られてて、すごいじゃん、と思うのですが。

その人の役割によって、その役割なりの悩みがあるのでしょうね。

12月
2008

夢は紙に書いて、周りに伝えると叶う

そろそろ帰ろうかと思ってパソコンの電源を落とそうかと思っていたら、最近、勝間和代さんのブログを見てなかったな~と思い出し、チェックしてみました。

文化放送で15分違いで大好きな広瀬香美さんに会えなかった話というのが本日の話題。
で、その流れで

Chabo!のイベントで、「夢は紙に書いて、周りに伝えると叶う」という話がありましたが、本当にそうですね。

と述べられている。
このテーマは勝間さんに限らず、ほとんどの人がそう言っているし、自分もそうだと思うので、思わず頷いてしまいました。

多分、こんな大きな夢を人に話したら笑われるのではないかとか、そう思って夢や希望を口に出さない人も多いのだと思いますが、言うと叶うことは多々あります。
実力的に無理な夢の場合、親切な方は、どうしたら夢に近づけるのか、話してくれたりもします。
わたくしも、若い子がいろいろ聞いてきた場合には、自分はこうだったという経験は参考までに話します。

わたくしの場合、親の夢を自分の夢のように錯覚していたり、できもしないことは最初から夢見ないとか、ものすごくひねくれていた時代が長いのですが、ここ2、3年でずいぶん、能天気になり「本書きたいなぁ~」とか、「教える仕事したいなぁ」とか無謀なことを言い続けてます(^^;

まぁ、日々ネタの引き出しを増やして、地道に努力していれば、いつか近いことはできるでしょうよ、と信じて疑っていないわたくしは本当に幸せな人だと思います。

12月
2008

あれから20年

先日、残業して、夜中12時過ぎにエレベータにG弁護士とともにのったら、まだ、数階に人が残っていました。
おどろき、もものき、です。
そろそろ年末、いろいろな整理に忙しい企業があるのでしょうか。

来年は2009年、わたくしが社会人になったのが1989年なので、あれから20年も経ったのかと思うと、ちょっと怖いものがあります。
(注:わたくしは10代で社会人になったので、まだ40過ぎてません^^)

「中国行きたいなぁ」「もっと勉強したいなぁ」という曖昧な目標はすべて叶ったのだけど、次の5年、10年をどう生きるか長期目標は立てづらいです。

こんな時代に一つの会社で10年、20年勤め続ける人が何パーセントいるのか知りませんが、いろんな意味ですごいなぁと思います。
前にも言ったけど、中国はもともと離職率が高いです。
自分に合っていない、条件が悪いと思えば、職場を移ってゆきます。
辞める時も、結構、突然です。
本人は前々から考えているのだけれども、周囲に漏らすと自己に不利なので言わないし、仕事の引き継ぎとか、あまり考えていません。
上の人間も担当者がいなくなったら、いなくなったで、行き当たりばったりで何とかしてしまうことが多いでしょう。

世界中で共産主義は実現したためしはないし、特色のある社会主義をつっぱしっている国もあるけれど、実態は疑問だし、「理想の組織」を目指して独立していく弁護士さんは多いけど、自分が経営者になったときに「理想」と「現実」が必ずしも一致せずに悩んでいるし、皆、大変だなと思います。

誰の言葉だったか忘れましたが、「自分よし、他人よし、社会よし」というような三方向のバランスのとれた働き方や商売の仕方が理想だなと思っていますが、こんな時代にそういうのは甘い理想に過ぎないのでしょうかね。

「体力」や「精神力」がないと淘汰されるといいますか、皆、自分のことで精いっぱいで他者にかまってられない感じといいますか、逆にそれほど強くない人に限って他者に対する思いやりや優しさのあまり共倒れするといいますか、そんな社会になっているような気もします。

12月
2008

難しいことを簡単に書くには

「日常業務に潜む著作権侵害」に関する資料を作成中なのですが…
考えすぎなのか、楽しく、分かりやすい資料がなかなか書けない。
というか、大枠の構想ができないと書き始められない…こうしようと決めたら、わたくしは書きあげるスピードは速い方なのですが。

う~ん。
そもそも、上手く説明できないというのは、実は分かったつもりでいただけで分かっていなかったってことか…
分かりやすく書くというのは、実は難しく書くより、難しいことなので、こういうことをさらっと出来る人はすごいなーと尊敬してしまう。
例えばわたくしの指導教官とか。

20年後、そうありたいものです。