如何なものでしょうか。
チョコレートのパン生地にあんこが入っているのではなく、
あんこの中にチョコレートが混ざってて、両方の味がするのです(本当に)。
小倉トーストのある名古屋で育っているわたくしとしては、これしきのパンでは驚きません。
あんこもチョコもどっちも好きだがね。
如何なものでしょうか。
チョコレートのパン生地にあんこが入っているのではなく、
あんこの中にチョコレートが混ざってて、両方の味がするのです(本当に)。
小倉トーストのある名古屋で育っているわたくしとしては、これしきのパンでは驚きません。
あんこもチョコもどっちも好きだがね。
中国人とのコミュニケーションで日本人が陥りやすい罠の一つに「同じ漢字を使っていることの安心感」があると思います。
例えば、商談でAということで合意したつもりで、きちんと覚書を作成して双方が署名までしたのに、次のステップで提示された契約草案の内容はAとは程遠い内容だった、とかいうことが現実にあります。
つまり、交渉時にはお互いに見解が一致していたはずだと思うのですが、中国法上の専門用語を知らなかった故に、中国語・日本語でそれぞれ作成された覚書にはA(日本語の漢字そのままの表現)に合意すると中国語と日本語で書かれていても、別の中国人が見たら、どうとでも取れる曖昧な内容でしかなかったという可能性が考えられます。
意地悪な考え方をすれば、相手方はもしかするとそのことに気づいていたけど、自己に有利なように黙っていた可能性もあります。
「中国語と日本語の解釈に相違がある場合、XX語を基準とする」としておけばよかったのでしょう。
ちなみに「日本語版と中国語版は完全に一致し、同等の効力を有する」とした文書で、法的には意味が全然違うよ、という文書を見たこともあります(訳者もチェッカーも中国語と日本語を知っていても法律を知らなかったのでしょう)。
確かに中国語ができない人でも中国の新聞を読んだらおおよその意味は分かるし、筆談で簡単なコミュニケーションはとれるので、漢字は便利ではありますが意味がいつも同じとは限らないし、中国人は同じアジア人で見た目も似ているので、日本人と同じようなモノの考え方をするような錯覚に陥ってしまうのでしょうね。
わたくしが個人的に思うには、中国の場合、個人的なつながりがあってよほど信用できる相手でない限り、口頭の約束は後で証明のしようがないので、結局は約束していないことと同じなのですよね。
紙に動かぬ証拠を残さなかった自分が悪い(^^;
逆によほど信用できる相手であれば、紙に書いてあることとは関係なしに、後でどうとでもなるような気がします。
中国人は欧米人と同じくらい違うと思っておいた方が、誤解は少ないのでしょうね。
どうも、ここ最近、ネガティブモードに陥っています。
現実と自分を客観的に見つめるのはすごく大事なことだけど、ネガティブなことを書いてもそこからは何も生まれないので、たとえ未来を考えると憂鬱でも、ブログには前向きなことを書くべきだと思います。
言葉は言霊っていうくらい力があるというし、憂鬱などの感情というものは人に伝染するので、本当によくないと思います。できればたくさんの人とたくさんの「楽しいこと」を共有したい。
いくらアクセス数が少ないとはいえ、SNSではないオープンな場所で、しかも本名を用いて書いているブログである以上、やっぱり楽しいこととか、役立つことを書くのが基本よね。
泣き言を言ったり、毒を吐くのは、神さまの前だけにしておこう(^^;
↑ 信条に加えました。
女性のライフスタイルに関する内容を書いたので、その続き。
中国社会も日本に比べたらずいぶん男女平等意識の高のでありますが、それでも就職活動中の女性の話を聞くと男性に比べて困難なようです。
どの国でも基本的に女性が仕事を頑張ってしまうと離婚する確率が上がって、出生率がさがるわけですが…
しかし、わたくしは恐るべし中国人女性を何人か見たり聞いたりしてきました。
30代、40代の仕事がかなりできて、結婚も維持してて、子どももいるという女性。
特に安定した職をすでにもっている女性だと、博士課程在学中に出産してしまうのです。
(もともと在学を理由にこの間、勤務先に籍を置いたままを有給又は無休で休職しているので、キャリアに影響がでにくい)
見かけによらず、化けものかと思うような体力・精神力の持ち主が多く、育児は親やお手伝いさんに手伝ってもらいながら、博論もきっちり書いて学位を取得し、職場に復帰してゆくのです。
日本の女性研究者で、こんな化け物を見たことはありません(^^;
それに社会構造も違うから、お手伝いさんに育児手伝ってもらっても、旦那にいろいろやらせたって、身内や第三者に文句言われませんしね。社会という見えない敵に「これじゃあ、子どもや旦那がかわいそう」とプレッシャーをかけられることもない。
マイナーな分野の研究をしている博士課程在籍兼どこかの学校の講師という中国人男性は、「嫁さんは家計を支えているので、私は子どもが小さい時は家で研究しながら、ずっと子どもの面倒を見てた」そうです。子育てなら、俺にまけせてくれ、子どもの病気の対処なんかに詳しいそうです(^^;
わたくしの兄弟子の嫁さんには「できる女性」が多いのか、子どもから携帯に電話がかかってきて「パパ、ママは仕事で今日遅くなるって言ってたから早く帰ってきてよ」と言われていたり…
博士課程の学生は結婚してて子どもがいる人が男女問わず多いのですが(もっとも母校が大学の上位機関ではなく、政府シンクタンクを母体にしているせいもありますが)、地方に嫁さん子どもを置いてきている人もたまにいます。
で、嫁さんは何をしている人なんだろうと思いきや、そういう人の嫁さんはかなりパワフルで、公務員だったり弁護士だったり、会社の管理職クラスだったりして、旦那なんていなくても十分、子どもを抱えたまま、フルで仕事をしているのです。
中国人女性研究者は、思考が柔軟で、体力・精神力が並はずれていますよね。
でも、12億いる中国社会はものすごい競争社会なので、そこまでするかというくらい皆勉強しますから、このくらいの体力・精神力は必要なのでしょう。
日本人女性研究者であれば、若い頃にスムーズに進学して、博士後期課程満期退学、就職、出産という超エリートコースタイプ、独身子どもなしを貫ぬく強い女タイプ、若いころは優秀な旦那様の下で主婦業に専念して子どもが独立した晩年に本領を発揮するお嬢さんタイプがほとんどで、そうでなければ、途中で自分の体力とか精神力とか学力に見切りをつけて、普通のおばさんになるのではないでしょうかという気がするのですが…わたくしの認識は違っているかな?
Aera for Working Women:「働く女は、美しい。」という本が日本で10月20日発売したそうですね。http://www.aera-net.jp/summary/081009_000405.html
会社勤めをしていないわたくしには無縁のテーマですが、同じ女性として興味があります。
わたくしもいちおう働く女性ですし。
働く女性の場合、女性の収入が高く自立しているほど離婚する確率は高いので、旦那の給料なしでも生活ができて、現在も結婚を維持していて、子どももいるという人にはあまりお目にかかりませんね。
経済的自立、夫、子ども、の3つを享有するのは難しいのだろうなと思います。
ちなみにわたくしは、子どもはいませんし、この先もいないでしょう(養子をもらえば別ですが)
結婚なんてしないわという女性
結婚したことあるし、子どももいるけど、今シングルという女性
結婚してるけど子どもはあえてもたないという女性
いいか悪いかという問題ではなく、女性は結局どれかを手放すことになるのに、男性は全部手に入る人が結構多い。
男性はその社会的優位ゆえにプレッシャーも多いのだから、男性は男性で精神的にキツイとは思うのだけど、やはり羨ましいなと思ってしまう。
周囲を見ていて納得がいくのは、いわゆる「できる女性」の旦那様というのは、大人しい性格の公務員が多いということ。
そして、「勝手なことをしている女(世間の評価)」なのに、快くその「わがまま(世間の評価)」を黙って「君のすきにしたらいい」と支持しているような気がします。
そういう旦那様ではない場合、最終的にバイバイのようです。
働く女性が男性に言われてムカつくセリフは「手伝ってあげようか」だと聞いたことがあります。
「そもそも、お前の仕事だろうが!」というのが女性の言い分です。
不思議なのは、本当に家庭向きな30くらいの独身女性が最近、日中問わず増えていることです。
決して独身主義者じゃなくて、本人もその気で満々なのに、あっという間に30過ぎてしまう。
かと思えば、全然家庭向きな女性ではなく、特に美人でもなく、ちっとも優しくないという女性が30前に大人しい優しい男性を捕まえているのだから、世の中は分からないものです。
G弁護士に誘われてW秘書と一緒に、建国SOHO西区にある日本料理屋に行ってきました。
わたくしは外食をほとんどしないので、日本料理屋のどこが美味しいとか、そういうことがよく分からないのですが、ここは結構、美味しいと話題になっているようです。
左にはおでん、上はにぎり寿司、右には納豆巻…おでんの左隣にもお寿司があったのですが画面に納まりきりませんでした~。
納豆は、日本でも関西の人は苦手だったりするくらいなので、中国人は食べられない人が多いのかと思っていたら、G弁護士もW秘書も、「おいしいね」とのこと。
あらら…意外!
しかも、G弁護士の故郷では、納豆によく似た食品があるというではありませんか。
その名は「醤豆」
醤油でいただくという食べ方は共通ですが、酢をいれることもあるそうなので、何か違った味になりそうですね。
デザートに頂いた「やわらかプリン」は、おぉ~日本のお菓子の味!と感動しました。
日本料理「和一心」
北京市東三環中路39 建外SOHO15楼1501
地下鉄10号線「国貿」駅からちょっと歩いたところにあります。
昨日、ごちゃごちゃになっているお財布の中身を整理していたら、ひじょ~に嫌なものを見つけてしまいました。
偽札?
100元の偽札は多数、市中に出回っていますが、わたくしは幸いにもそういうものをつかまされた経験はありません。
一元札に字が書いてあるのです。
よく名前が書いてあるお札には出くわすので、その類だと思っていたら…
なんと、某邪教団体の宣伝文句!
この団体はいかに素晴らしいとか、あなたに幸せをもたらすだとか書いてあるのです。
「これ、偽札じゃないんだからさっさと使っちゃおうかな」と安易にわたくしが言ったら、傍にいた2人の弁護士に「ダメダメ、もし見つかったら大変なことになる!銀行で理由を言って替えてもらいなさい」と制止されました。
よくよく考えたら、邪教の宣伝行為は刑法に触れます。
ついでに言えば、法による処分というより非人道的な制裁、虐待を受けることの方が怖いかも。
観光客ならともかく、Z(就労)ビザ所有者で日常的に翻訳している人間なのだから、外国人だから漢字が読めずに、邪教の宣伝文句だったなんて知らなかったという抗弁は通用しないだろうなぁ。
しかも外国人は、特定の宗教施設(例えば教会)の中を除き、許可なく如何なる宗教活動も行ってはならないわけですし。
しかし、いい加減にしてほしい。
1元札とはいえ、本物のお金は誰もゴミ箱に捨てないだろうから、よく考えたものです。
自分のリスク管理の甘さに反省しました。
「人は何にでもなれる」というのは本当でしょうか?
この頃は「勉強法」の本がブームですね。
でも、いくら勉強法を読んで「技術」「知識」だけ詰め込んでも意味がありません。
多くの人がそれで結果が出せずに挫折していますね。
では、どうしたらいいのか。
通常の思考パターンが『リミッター』になっていたら、せっかくの努力も無駄になります。
「時間活用術」とか「勉強法」にいくらお金と時間をかけても、『リミッター』が限界です。
もっともだと思います。
確かにこれまでの自分の人生を振り返ってみると、著者のいうリミッター(制限)、つまりボトルネックをはずすことが「何かになる」ために一番大事なことだということが分かります。
著者はボトルネックをうまく外した例として「ドラゴン桜」という人気漫画(ドラマにもなったらしいですね)を引用してこうも言っています。
『ドラゴン桜』という漫画をご存知でしょうか?
ストーリーは単純です。しかし、衝撃的な内容です。
不良高校の建て直しに来た主人公が、やる気のないダメ生徒二人を東大合格に向けて、がんばらせるといった内容です。
この中で、実は「東大に行くのはごくふつうの話」ということをわからせるくだりがあります。
「誰でも東大に行くことは可能」という「可能性」を信じたダメ生徒二人は、教師の特殊な指導により、猛烈に成績を上げていきます。
さて、結果はどうなるのでしょうか?
興味があれば、『ドラゴン桜』を読みましょう。人生が変わりますよ。
この例、実はわたくしにとっては新鮮でも何でもありません。
自分自身が同じような体験をもっているからです。
当時、学校の成績もよくなかった商業高校出身である自分が、普通入試で大学に合格して、その後東大に匹敵するかどうか行ったことがないのでよく分からないけど、一応中国人だったら入るのがかなり難しい大学院の研究室に籍を置くことができて、最終的に学位とって卒業しているからです。
(普通高校や受験予備校・各種スクールへ生まれてこのかた行ったことがないのですから、当然試験のノウハウが分からず、大学・大学院入試は何度も何校もすべっているし、修士も博士も1年卒業延期をしていますけどね…^^;)
ですから、ある程度のことについては、自分で自分の足かせをはずしてやれば、「何にでもなれる」のだと思います。
でも、実は最近、わたくしの足かせは、はずれるどころか重くなる一方なのです。
わたくしのボトルネックとなっている思考はこれ ↓
「中国でいくら一生懸命仕事をしても、結局、帰国すればその職歴なんて何の意味もない。」
もしかすると、自分のネガティブな思い込みが、自分の未来を真っ暗にしているだけなのかもしれませんが、常識的に考えて、専門職でない若くない女が日本で就職相談することは、街中の旅行社に行って「宇宙旅行したいんですけどぉ」というくらい、突拍子もない相談だと思います。
友人知人にいわせるとわたくしは「行動的」「勇気がある」から不可能を可能にするそうですが、わたくしが思うに頭が他人と比べて鈍いので自分の能力の限界が分からないというか、そもそも考えられないというか…
読書感想文に話を戻すと、本書は「選択のボトルネック」の章で、人生で「選択」を誤らないことが大事だと述べており、簡単な理由を挙げて、法律の勉強をしている人が菓子職人をしているのはいかがなものか、適切な場所を選べと述べております。
また、一番最悪なのは、好きでも得意でもないことを収入がいいからとか、資格等に権威があるから等の理由で選択することだとも述べています。
現在、好きで得意なことを仕事にしているわたくしは、幸せなので何ら悩む必要はないのかもしれませんが、日本で一生できる仕事ではなく、老後日本で何の保証もないまま孤独死するであろうことを考えると、いまのうちに何とかすべきなのですが、何をどうしたらいいのか分からなくなるのでした。
「好きなことが分からない」と嘆く若い子や心の病の人からしたら、幸せな悩みなのかもしれませんけど。
「何者でもないことは何にでもなれること」というのがわたくしの20代の頃の信条でしたが、40に近くなった今になって、「本当ですか」と自問自答です。
本書は自己を制限するボトルネックという概念そのものに気づいていない人にはお薦めです。
しかし、結局、ボトルネックを外すのは自分自身であり、他人がいくら励ましてくれても、どうにかなるものでもないので、その先はやはり個人個人の試行錯誤かもしれません。
誰も雇ってくれないなら、起業?
でも、資金も才能も人脈も無いよ…
↑ これが思考のボトルネックってやつ?
(金も人脈も無いなら無いで今から作って自分の才能の無さは周囲に補ってもらえよというのが、未来を変える人の思考パターンでしょうね)
負のスパイラルから抜けるには、やはり本気で自分の限界を知らないバカになるしかないのでしょうか(@_@)。
ご存じかどうか知りませんが、マイクロソフト社(中国語で微軟公司)は中国で横行するコンピューターソフトの海賊版対策として、ユーザーががインターネットに接続し、ソフトが自動更新される際に細工を施したようです。
今月21日から海賊版を使用していると1時間おき壁紙が黒くなるようですね。
説明によれば、データの破壊などはなく電子メールやホームページの閲覧には支障はないそうです。
職場は法律事務所ですから、もちろん、そんなアホな画面が現れる端末はありませんけど、ちまたではユーザーが激怒しているらしいです。
1時間おきにお知らせしてくれるし、黒は目に優しいし、黒い壁紙サービスは素敵っていうジョークもありますが(^^;
海賊版の横行を擁護するわけではありませんが、個人的にはもっと正規版の定価を下げろよと思います。
日本円に換算すれば、日本のソフトと大差ないので、中国社会のモラルが欠如しているだけのように思うかもしれませんが、物価的に考えれば、そんな大金、庶民の値段とは言い難い。
少なくとも正規版の値段を下げたら、インテリ層の意識は多少改善されるのではないかという気がします。
(こう言うと、知識の欠如による法律違反ではない人もわんさかいるってことが分かっちゃいますね)
5年ほど前に友人(男性)と中関村の電脳街を歩いていて、怪しい人に声をかけられ、好奇心からその友人と一緒に海賊版を販売している人のお家(海賊版保管庫)に行ったのですが、まるでドラマのように、4畳半くらいの小さな部屋のベッドの下にたくさんの段ボール箱があって、その中から、海賊版ソフトがわんさか出てきました。
わたくしは友人に「何かあったら大変だから(強盗事件とか)、お前絶対に外国人=お金持っていると誤解されないように、簡単な相槌しか打つなよ」と釘をさされてついていったんですけどね。
彼らもこちらが当局の職員だったり、企業の依頼を受けて証拠収集のために買いにきた調査会社の社員だったりするとヤバいので、すぐに保管場所には行かずに狭い道をぐるぐる回って回り道をしているようでした。
見張りの人がいたりもしました。
何も買わないと後が怖いかもしれないと思った友人は、何か1枚買いましたけどね。
わたくしの記憶によれば数十元だったと思います。
正規版は何千元もするのに、数十元で海賊版が買えるのだから、とんでもない話です。
オリンピックもあったので、昔ほどは堂々と売っていないのかもしれませんが、相変わらず偽物の多い国ではあります。
うちの事務所が知財の権利侵害事件を扱う関係で、調査会社の調査レポートをたまに読みますが(権利侵害品や権利侵害者のデータを調査したり、権利侵害品の実物を入手したりしてくれます)、どこにでもいそうな普通のおっちゃんが、自分で内職みたいに権利侵害製品を製造して、自分で手売りしているケースもあれば、会社ぐるみで大規模な工場生産している場合もあります。
しかし、普通のおっちゃんの場合、危ない橋を渡っても大した利益がでるはずもなく、そこまでする情熱があるのなら、その情熱をもっと他のことに向けたら大成するのになと思わなくもありません…
さきほど、次回購入するパソコンの個人名をどうしようかと書きました。
クリスマス頃に買うことになるなら、やっぱ、Saint Nicholas(聖ニコラス)からお名前をいただくべき?
ご存じのとおり、サンタクロース(Santa Claus)は4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教聖ニコラウスの伝説が起源です。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
学問、旅行者、貧乏人の守護聖人ともいわれているので、いいかもと思った次第。
他にいい案がなかったら、「尼克拉斯 Nicholas」とお名前をいれてもらいましょうか。