12月
2008

持ち運びの便利な楽器

最近、何かを書いているときに、台湾ポップスのほか、クラシックも聴くようになりました。
日本語は聴きません(あまりメリットがないから)
聴いてるだけじゃなくて、弾きたいなぁという欲求が…むくむくと。

いちおう女の子の習い事として7歳頃から13歳くらいまでピアノを習っていたのですが、辛い練習は苦手で、引ける曲だけ楽しく弾くようないい加減な習いごとだったため、全然うまくならなくてやめてしまいました。
こんなに長いことやっていたのに、まっとうなクラッシクが全然弾けません。
覚えたはずの曲もほとんど忘れてしまいました。

社会人になってから2年くらい、バイオリンも自分で習いに行きました。
これも、すぐに綺麗な音は出たんだけど(漫画にあるようなノコギリを引くような音は出そうと思っても出せないと思うのですが。)、練習あまりしなかったのと、夜間の大学に通うならますます時間がなくなるということでやめました。

昔、友人に二胡を触らせてもらいましたが「え?初めてなのに、音出せるんだね」と驚かれました。
これは、弦楽器を触ったことがあるからだと思いますが…でも2本しか線がないから相当難しいんだろうなと思って、習いに行くのはやめました。

辛い練習は嫌いなくせに、楽器に触れて、好きなように好きな曲だけ弾くのは大好きです。
(音楽やっている人からしたら、信じられないくらいリズム狂っているんだろうなぁ)
最近、持ち運びに便利で、適当に遊べる楽器はないものかと、ふと思うようになりました。
何か、ないでしょうかね。
小学校で習ったリコーダーくらい?
実は音楽の時間、歌うのは嫌だったけど(背が高いので女の子らしい高音が出せないし、声が綺麗じゃないから嫌。)、ピアニカやリコーダーは好きだったなぁ。

突如、オカリナはどうか、と思いついたのですが、音域が狭いらしいし、落とすと割れるし(プラスチック製もあるらしいけど)、音が不安定だと聞いたので、保留中。
防音できないから、練習するのに困るかなぁ…

こんなことをふと思うのは、仕事の締め切りに追われているが故の逃避なのかなぁ。

12月
2008

専門違いの友人

昨日、中国社会科学院でお世話になった中国人の友人に会いました。
彼女は日中比較文学専攻者です。

わたくしが社会科学院を受験する際に、修士論文を中国語に訳してもらうのを手伝ってもらったり、初期の論文は彼女に文法チェックをしてもらいました。逆に彼女が日本で講演をした際には、わたくしが中国語の原稿を信じられないようなスピードで日本語にしてあげたという仲です。
そのため、後日その講演集には翻訳者としてわたくしのの名前があがっていて、専門が全然違うので何か変な感じです。
もっとばらすと、そのときの公演のテーマ自体は、文学の範疇ではあるものの、彼女の研究とは離れていたのですが、チャンスは断るわけにはいかぬということで、彼女も必死に勉強したというものでありました。

そういえば、夫の友人S先生もかなり大昔、オーバードクターして無職だった頃、間の抜けた某出版社の編集氏が某分野の専門家である某先生に原稿を依頼すべきところ、誤って同姓同名のS先生に依頼してしまい、法律の範疇ではあるものの、全然違う分野の法律論文を執筆したという経験をお持ちです。(他分野でも書けるというのもすごいですが、誤りにしろ、来た仕事は逃がしてたまるかという根性がすごいです。)

その彼女の博士論文がやっと出版できたというので、頂戴いたしました。
蒋春紅著「日本近世国学思想」
途中で編集者がお亡くなりになったり、ご自身が妊娠出産を経て、ずーっと先延ばしになっていたそうです。
彼女は現在、対外経済貿易大学で先生をしておられます。

ぜ~んぜんたいした協力をしていないのですが(日本の大学の図書館くらいしか所蔵していない資料を自分の資料をさがすついでにコピーをとってあげたぐらいですか…)、後記にわたくしの名前まであったりして、義理堅いなぁと思いました。お名前が挙がっている他の方は皆文学専攻者ですからね(^^;
文学と法律文書の翻訳は性質的に異なり、文学の場合は表現の幅に制約があまりありませんから、それはそれで楽しいのですが。

彼女のお子さんを久しぶりに見て、子どもの成長は早いねぇと思いました。
前に会った時は生後1ヵ月だったから、正直、可愛いのかどうか分からなかったけど、1歳少しの今は喋れるし、歩けるし、愛きょうがあって可愛かったです。

日本よりはマシですが、中国でもやはり女学生が研究職を得るのは不利なことが多く、ついでに言うと学位とる前に結婚しておかないと、同級生同士のカップルを除き、普通は高学歴女性は嫌がられたりするので結構、婚活に苦労するらしいですが、彼女の場合、旦那さんは別に研究者ではないし、教職を得た後、ちゃっかり子どもも授かって、努力した上できちんとチャンスも逃がさずに、すべてを手に入れていくしっかりした女性だと思います。

あぁ、真似できない…

12月
2008

かたちのない仕事

ブログのタイトルは「北京で働くわたくしの日常」なのだけど、わたくしには守秘義務があるので、仕事の内容をそのまま書くわけにはいきません。

退勤後、飲み屋で上司への不平不満を言うサラリーマンのように、弁護士さんの実態をすべてばらす内容を書くわけにもまいりません(この先、どこでまた一緒に仕事をするか分かりませんからね)

そこで、差しさわりのないどこにでもある話を少し…

さきほど、ある日本企業の中国子会社担当様がうちの弁護士に「来週から北京に住みます」と連絡してきたそうで、会社の設立に際して、いろいろ道のりが長かったので、弁護士もわたくしも「やっと、北京まで来たか。会社がうまくいくといいね~」と思いました。

製造業だと成果物が目に見えて、街で自分の会社の製品を見つけたり、自社の看板を駅や空港で目にしたりすると、嬉しくないかなとか(今どきの人には愛社精神はないのかな!?)、サービス業だとお客様の笑顔とか見えるから、感謝されていいな~とか思います。
わたくしの場合は多分、サービス業に分類されるのだろうけど、弁護士ではないので特殊な仕事を除き、直接クライアントには関係のない位置で仕事をしますので(ワタクシ的には、わたくしの主人と顧客が弁護士という感覚ですね)、何を生み出して、社会に何を貢献できているのかよ~分からん仕事でさみしいなという気もいたします。
作成した文書が残るでしょ!?と突っ込まれるかもしれませんが、ほとんど秘密文書だし、公開される類のものでも、自己名義ではありませんからねぇ…

昔、ある弁護士の友人に、研究論文の話を楽しそうにしたら、「いいねぇ、自分の仕事を自分で完結できて形として残るじゃない?僕なんて毎日、外ではあくせくクライアントに振り回されて、内では事務所の財務と人事に気をもんで…僕の人生、24時間これでいいんだろうか」と言っていました。
う~ん、でも傍から見たら、「先生~たすけて」と外からも内からも頼られてて、すごいじゃん、と思うのですが。

その人の役割によって、その役割なりの悩みがあるのでしょうね。

12月
2008

夢は紙に書いて、周りに伝えると叶う

そろそろ帰ろうかと思ってパソコンの電源を落とそうかと思っていたら、最近、勝間和代さんのブログを見てなかったな~と思い出し、チェックしてみました。

文化放送で15分違いで大好きな広瀬香美さんに会えなかった話というのが本日の話題。
で、その流れで

Chabo!のイベントで、「夢は紙に書いて、周りに伝えると叶う」という話がありましたが、本当にそうですね。

と述べられている。
このテーマは勝間さんに限らず、ほとんどの人がそう言っているし、自分もそうだと思うので、思わず頷いてしまいました。

多分、こんな大きな夢を人に話したら笑われるのではないかとか、そう思って夢や希望を口に出さない人も多いのだと思いますが、言うと叶うことは多々あります。
実力的に無理な夢の場合、親切な方は、どうしたら夢に近づけるのか、話してくれたりもします。
わたくしも、若い子がいろいろ聞いてきた場合には、自分はこうだったという経験は参考までに話します。

わたくしの場合、親の夢を自分の夢のように錯覚していたり、できもしないことは最初から夢見ないとか、ものすごくひねくれていた時代が長いのですが、ここ2、3年でずいぶん、能天気になり「本書きたいなぁ~」とか、「教える仕事したいなぁ」とか無謀なことを言い続けてます(^^;

まぁ、日々ネタの引き出しを増やして、地道に努力していれば、いつか近いことはできるでしょうよ、と信じて疑っていないわたくしは本当に幸せな人だと思います。

12月
2008

あれから20年

先日、残業して、夜中12時過ぎにエレベータにG弁護士とともにのったら、まだ、数階に人が残っていました。
おどろき、もものき、です。
そろそろ年末、いろいろな整理に忙しい企業があるのでしょうか。

来年は2009年、わたくしが社会人になったのが1989年なので、あれから20年も経ったのかと思うと、ちょっと怖いものがあります。
(注:わたくしは10代で社会人になったので、まだ40過ぎてません^^)

「中国行きたいなぁ」「もっと勉強したいなぁ」という曖昧な目標はすべて叶ったのだけど、次の5年、10年をどう生きるか長期目標は立てづらいです。

こんな時代に一つの会社で10年、20年勤め続ける人が何パーセントいるのか知りませんが、いろんな意味ですごいなぁと思います。
前にも言ったけど、中国はもともと離職率が高いです。
自分に合っていない、条件が悪いと思えば、職場を移ってゆきます。
辞める時も、結構、突然です。
本人は前々から考えているのだけれども、周囲に漏らすと自己に不利なので言わないし、仕事の引き継ぎとか、あまり考えていません。
上の人間も担当者がいなくなったら、いなくなったで、行き当たりばったりで何とかしてしまうことが多いでしょう。

世界中で共産主義は実現したためしはないし、特色のある社会主義をつっぱしっている国もあるけれど、実態は疑問だし、「理想の組織」を目指して独立していく弁護士さんは多いけど、自分が経営者になったときに「理想」と「現実」が必ずしも一致せずに悩んでいるし、皆、大変だなと思います。

誰の言葉だったか忘れましたが、「自分よし、他人よし、社会よし」というような三方向のバランスのとれた働き方や商売の仕方が理想だなと思っていますが、こんな時代にそういうのは甘い理想に過ぎないのでしょうかね。

「体力」や「精神力」がないと淘汰されるといいますか、皆、自分のことで精いっぱいで他者にかまってられない感じといいますか、逆にそれほど強くない人に限って他者に対する思いやりや優しさのあまり共倒れするといいますか、そんな社会になっているような気もします。

12月
2008

難しいことを簡単に書くには

「日常業務に潜む著作権侵害」に関する資料を作成中なのですが…
考えすぎなのか、楽しく、分かりやすい資料がなかなか書けない。
というか、大枠の構想ができないと書き始められない…こうしようと決めたら、わたくしは書きあげるスピードは速い方なのですが。

う~ん。
そもそも、上手く説明できないというのは、実は分かったつもりでいただけで分かっていなかったってことか…
分かりやすく書くというのは、実は難しく書くより、難しいことなので、こういうことをさらっと出来る人はすごいなーと尊敬してしまう。
例えばわたくしの指導教官とか。

20年後、そうありたいものです。

12月
2008

訳書の居場所

さきほど、友人からわたくしの訳書を見つけたよとのメールをいただいたのですが、法律のコーナではなく、韓国と台湾の歴史の本の間に挟まっていた模様。
わざわざ見つけてくれた友人に感謝。

しかし、いちおう法律の本なんだけどな…
自分だったら、訳書をこっそり外国法か知財法のコーナーに移してくるかも。

これを版元のA氏が知ったら、どう思うかな(^^;
場所はどこであれ、売れればまだ救われるような気も。

12月
2008

待降節に入りましたね

11月30日、ミサに行ったついでに、カトリック手帳なるものを購入しました。
毎日の聖書の朗読部分や記念日などが書かれているものです。
待降節に入ったので、一足先にもう1年が始まったという感じです。
(待降節とは11月30日、もしくはそれに近い主日(要するに日曜日)にはじまり、主の降誕(12月25日)の前日までの期間のことです)

実はカバーを変えて、これをスケジュール帳にしてしまおうか、と思案中です。
先日、レフィルを変えた手帳はコンセプトはとても好きなのですが、わたくしにとっては、余白も多くて無駄が多いのですね。
つまり、営業職ではないので時間軸は無駄。会議だって毎日あるわけじゃない。
いつも何かを考えているので、フリーにぐちゃぐちゃ書き込めるスペースが足りない。
空白頁を足せるものの、本当はこの部分は線も何も入っていない真っ白の方が都合がいい。

ちなみに、夫もよくB5ノートに何やらぐちゃぐちゃ書いていますね(夜中に起きだして何か書いていることもある)
結局、わたくしは予定を書き込む手帳のほかに、A5のルーズリーフを別に使用しています。
今使用している手帳のコンセプトはそのまま引き継いで、一本化できないだろうか…

改革案:

  1. 書きたい情報や、落書きは全部まとめてA5ノートに書く。
  2. A5ノートじゃ仕事の時、何となく格好悪いからよい素材のカバーをかける。
  3. 予定を書き込むのは小さめなこのカトリック手帳を使い、A5ノートカバーのポケットに入れる。

しかし、なぜ、A5ノートカバーは、黒とか茶色しかないのだろう…
そもそも、今の手帳を買う時もクラシックサイズだとペールグリーンのバインダーがなかったため、コンパクトサイズにしたのに(それでも、普通の手帳より一回りは大きい)。

どうやら、大きな手帳を使用するのは、ビジネスマンとバリバリのキャリアウーマンだからか…
お願いだから、上品でちょっとよい素材を使った可愛いい綺麗なA5バインダーやカバーを売ってほしいものだ。

ちなみにこれが、カトリック上海教区が発行しているカトリック手帳です。
カトリック手帳
日本と異なり、宗教関係のものは、通常の書店には流通しません。
聖書が書店で簡単に買える日本とは違いますね。
このようなものは、宗教関係の出版組織により合法的に印刷発行されるものの、流通段階では内部資料扱いとなり、教会内部の売店でしか手に入りません。

え?バチカンと中華人民共和国には国交がないので、「上海教区」というのはおかしいんじゃないかと思いますか?
実際のところ、香港、マカオ、台湾を通じていろいろ交流はあるのです。
それに、外国から合法的にやってこられた神父が中国の神父とミサを行うこともあります(単独で行うことは大使館内をを除けば、たぶん、無理でしょう)

11月
2008

得手不得手

先日、梶原一明著「本田宗一郎―不可能を可能にする言葉」を聴きました。

いろいろな成功者の方々に関する本を読み物として楽しませてもらいつつ、どなたも雲の上の人だと言わざるを得ないのですが、本田氏はちょっと特別です。
なぜなら、若くして亡くなった叔父がHONDAに勤めていて、その名前をよく口にしたからです。
学歴の低い叔父でしたが、そこそこ出世できたのはHONDAIUMのせいかもしれません。

故人の伝記は誇張されたりしがちですが、オーディオブックを聴きながら、それにしてもすごい奇人変人ぶりだなぁと笑ってしまいました。
研究熱心なあまり、服を脱ぐのも忘れて風呂に入るなんて日常茶飯事とか・・・

そういう奇人変人ぶりはわきにおいておいて、ちょっと気になった点を紹介。
本田氏は日記を書かなかったそうです。
作文が子どものころから苦手だったという理由もあるそうですが、本当のところは嘘を書くわけにはいかないからのようです。
浮気のこととか書いたら、裁判所も動かぬ証拠として認めるだろうし、真実を書くことが必ずしもよいことではないと言いつつも、反面、日記というのは自分を偽って書き記すおそれがある点も嫌だったようです。

確かに日記やブログは失敗も綺麗事にして、がんばろーみたいに無意味な努力や根性を掲げて自分を演出することも可能ですしね。
わたくしが思うに言葉というのは発したり、書き記すとそこでエネルギーが消費されつくして、そこで「はい終わり」になりかねません。
最高の技術という結果を皆さまのお役に立ててなんぼの彼にとって、書く暇があったら実践、だったのかもしれません。

反対にわたくしは昔から作文は得意でした(中身がよいのではなく字数がすぐにオーバーする)
しょーもないことをだらだら書くのが好き。
作文の授業のときに、突如、何もネタがないことに気づいて困ってしまい「どうしてネタがないのだろう」ということについて、だらだら書いて先生を呆れさせたかと思えば、絵だけで原稿用紙を埋めることもあり「文字を書きなさいね」と先生にやさしく注意される問題児でした。

人には得手不得手があります。
「得手に帆をあげて」というのが本田氏の哲学で、彼は好きな技術を活かして、苦手な経理は他人任せだったというのは有名な話。

自分の得手を早いうちに見つけられた人は幸せです。

11月
2008

チョコレートの季節

明治の冬季限定チョコ「メルティーーキッス」が好きです。

もともとチョコレート全般大好きなのですが(どろどろに甘い欧米のチョコはちょっと怖いけど)、日本のお菓子メーカーは本当に安価でおいしい商品をいっぱい作っていますよね。
美味しいチョコのためなら、晩御飯抜きでもかまいません。

写真は先日、セブンイレブンで買った「黒ゴマ」味のメルティーキッスです。
抹茶やイチゴ味は日本でも見たような気がするのだけど、黒ゴマは日本で売ったことあったっけ?
明治製菓って上海に会社あるんですね。
明治メルティーキッス