昨年、同い年の中国人男性弁護士が日本語の勉強のために、三島由紀夫「春の海」が原作の映画(確か竹内結子さんが出演していらした)のDVDを見てよかったーと言っていたのにつられて、どんな話だったかなと思いだせず、帰国の際に小説「春の海」を買ってしまいました。
で、古風な言い回しにはまってしまったのです。
う…うつくしい日本語。
何と言っても、今どき使わないだろうというような漢字がいっぱいでてきて楽しい…楽し過ぎる。
因みにわたくしは難しい漢字を書くことは苦手ですが、眺めるのは大好きです。
中国語、特に台湾の旧漢字を扱うときには、ものすごーく、ワクワクしますね。
夫にいわせれば、「漢字ばっかりで気持ち悪い」そうですが、わたくしに言わせれば「アルファベットばかりの英語の方が相当気持ち悪いし、だいたい音読しなければ意味の分からない言語なんて煩わしい」ですが。
三島先生の豊饒(ほうじょう)の海は四部作で、「春の海」の次は「奔馬」になります。
前置きが長くなりましたが…法律屋さんらしい話題に移りましょう。
「奔馬」には控訴院判事(注1)が登場します。三島先生の話の筋とは関係なく、いろいろな描写が可笑しくって仕方がありません(不謹慎ですみません、ファンに悪いですね)
判事にとって重宝なものは風呂敷というものであった。往(ゆ)くにも帰るにも書類を携えているが、それが少ないときはよいが、大ていの場合は嵩(かさ)ばって、手鞄には入りきらない。厚くても薄くても、自在なのは風呂敷である。
学生時代、わたくしの周囲にはたくさんの司法試験受験生がおりました。
わたくしも、風呂敷抱えた見た目には全然いけてない判事さんの姿にあこがれ、たまたまデパートで見つけたかわいい風呂敷に勉強道具を包んで、勉強会に行ったこともあったけなぁと思いだしました。
今どきは法曹界の人も風呂敷なんて使う機会、多くはないのでしょうね。
田舎の結婚式の引き出物を包んである風呂敷くらいしか見ないような気がします。
この風呂敷包は仕事の生命であるから、汽車に乗っても、決して網棚に乗せないのが心得である。
そらそうでしょう。そんなものを失くしたらえらいこっちゃ。
我々の仕事でもクライアントのデータが漏えいしたら、わたくしの首をはねたってお詫びできないでしょう。
或る判事は、裁判所がえりに同僚と酒を呑むときなぞは、風呂敷の結び目に紐(ひも)をとおして、その紐を首にかけておくのが常だった。
ダサイ、ダサすぎる…
本当ですか?とご年配の方に聞いてみたい。
確かにわたくしも失くしたら困るものはとにかく紐をつけて首から下げるようにしてますが、考えることは皆同じなのかも。
そんな判事さんたちの日常はといえば…
ふだんは梅田新道のカフェーやおでん屋で呑むのがほどほどの遊興である。あるカフェーでは、女給に時刻を訊くと、スカートをまくって、太腿に巻いた時計を見て答えるのをサーヴィスにしていた。
古い話題で恐縮ですが、ノーパンしゃぶしゃぶ(注2)とかと同じ趣向?
ガーターストッキングかなんかに時計つけたら、今でも風俗で流行るかも。
もちろん中には固物(かたぶつ)もいて、カフェーを正直にコーヒーを飲むところだと考えている判事もあった。
正直にソープランドを銭湯だと思っているようなものでしょうか?
いるの?
そんな人。
千円の横領事件の審理に当たって、被告が、みんなカフェーで使った、と陳述すると、彼は大いに怒り、
「嘘をつけ。コーヒーは一杯五銭ではないか。そんなに沢山コーヒーが飲めるわけがない」
と言うのだった。
(出典)三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海第二巻)」新潮文庫 昭和52年8月
お…面白い、面白すぎる…
輪廻転生をテーマにしたロマンあふれる小説のはずなのに、なぜ、どうでもいいところに茶々(ちゃちゃ)を入れたくなるのだろうか。
ごめんなさい、三島先生…
(注1)控訴院―旧裁判所構成法の下で主として民事・刑事の控訴を管轄した裁判所。1947年廃止。「大辞林」より
(注2)しゃぶしゃぶ料理店なのだけど、女性店員が何故かノーパンで接待してくれるそうです。聞くところによれば床を鏡張りにしていたり、高いところにアルコール類を置いて女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がるとチラッと見えたりするのだそうです。飲食費として領収書を処理できるので接待に使われたりしたそうですが今もあるのでしょうか?