11月
2008

アクセス障害

前にも書いたかも知れないけど、中国にいるとある日突然、あるサイトにアクセスできなくなることがあります。

最近、ameblo.jpにつながらない…
最初はシステムダウンかと思っていたのですが、1週間もダメってことはないよね?
なんでだろ~何かヤバいサイトがあるのでしょうか。

もともとエキサイトブログも見られないんだよね。
geocitiesはよくなったり、ダメになったり…
実に不便だ~

ところで、中国大陸からはgov.tw 台湾ドメインはブロックされるので通常、一般人は見れないことは前に書いたかもしれないですね。
大陸の人からのアクセスがないのは寂しいと考えた台湾著作権法逐条解説の原作者、章先生のサイトはtwとは無縁で、且つ公益性を重視してorgをわざわざ米国で取得してきています。

わたくしは日本という比較的自由な国の国民なので、日本にいるときはそういうことを日々感じずにすみますが、世の中は実に不便なことでいっぱいなのですね。

11月
2008

あったかい

ビルに暖房が入る日は国が決めます。
確か、15日だったような気が…
だから部屋が寒いです。

先ほど、資料をプリントアウトしたら、熱であったかいです。
スリスリしちゃいました…
あ、パソコンのアダプターもあったかいわ。

寒がりなんです、わたくし。

11月
2008

師兄と不肖自慢

「師兄」とは、中国語で兄弟子のこと、「師妹」とは妹弟子のことです。
研究仲間、同じ指導教官の下で学んだ者同士で、そう呼ぶことがあります。

先日、日本の大学院時代の師兄が北京に出張でやってきて、ついでに会いに来てくれました。
実は同じ指導教官の下で学んだというものの、わたくしは法学研究科、師兄は中国研究科に在籍していたので、お名前しか存じ上げず、ずっと会ったことがない人でした。
さっきから師兄、師兄となれなれしく呼んでいますが、彼は、今母校の先生になっちゃってますので「老師」と呼ぶべきですかね。

師兄に会って思ったことは、自分は一生懸命勉強してきたつもりだけど、こんなの序の口なのね、ということ。多分、他人が20代でしてきたことをわたくしの場合30代でしている。

「門下で出来の悪さだけは誰にも負けないと思う…」とこぼしたわたくしの言葉に師兄まで「私もそうだな」などと言いつつ、加えて「でも、できの悪い子ほどかわいいっていうからな」と。

結局、自分がいかに出来が悪くて、先生に心配かけたかってことを自慢しあってる私達って一体…
(先生ゴメン)

今や大学院もビジネス色が濃く、大学院の教官も何十人と学生をかかえるため、ビジネスライクなのかもしれないけど、ことに中国法などという分野はマイナーなので、先生は1年に1人も学生を採ることはなく、こういう自称不肖の弟子がポツポツといるわけですな。

師兄の一言。
「皆そうやって先生や兄弟子に迷惑かけて育ってきたわけで、先生や兄弟子に恩返ししたけりゃ、いいお仕事して喜ばせてあげましょう」

ちなみに「お仕事」というのは師匠の口癖で、論文を書くこととか研究を意味していて、必ずしも日々の糧をかせぐ労働を指しているとは限りません。
論文の抜き刷りを送れば「きわめて有益なお仕事で、敬意を表します。」という風に使ったりします。

公務でお疲れのところ、わざわざ会ってくれて珈琲を奢ってくれた師兄に非常感謝です。

11月
2008

図書館への寄贈

出版者は本を発行すると、最良かつ完全な状態の出版物を法定の部数分だけ国立国会図書館に納入しなければならないそうです(国立国会図書館法第24条、第25条参照)

日本だと国立国会図書館に納入又は寄贈することになります。
納入する本は必ずしも商業出版物に限られないため、自費出版とかだと個人が寄贈することもありますが、商業出版だと日本の場合、ほとんど事務的に取次から送ることになっているようです。個人の寄贈だと「受け取りました。ありがとうございました」というお礼状みたいなものが送られてくるようです(あくまで未確認情報なのでどういうものなのかは、ご自身でお調べください)。

わたくしの訳書は取次が国立国会図書館に送ったものと思われますので、わたくしの手元に何ら書簡はございません。

で、台湾はどうかといえば…
台湾図書館法によれば、台湾で発行された作品は国家図書館に寄贈しなければならないとのことです。

先般、わたくしが翻訳した「台湾著作権法逐条解説」は台湾で発行されたものではないため、原則として寄贈する必要はありませんが、先日、原作者の章先生が国家図書館で会議があったので、国家図書館の館長に自ら寄贈してきたそうです。

そしたら、お礼状をいただきました。
章先生のご許可をいただいたので公開しちゃいます(台湾の公文書なので章先生のご許可さえいただければ、わたくしが翻訳してネットで公開しても大丈夫)
国家図書館お礼状

謹啓
このたびご寄贈いただいた書籍を拝領いたしました。
貴殿より賜った書籍は登録を経てすみやかに目録を作成し、公衆の閲覧に供するために収蔵いたしました。
このようなご高誼に預かりましたことにつき心より感謝の意を表すため、ここに謹んでお礼申し上げます。
謹白
章忠信専門員 殿
国家図書館

というようなことが書いてあるのですが、本当はものすごい文語調で雅な表現であるため、わたくしごときには美しい日本の古典文学のように翻訳することができません(^^;
雰囲気的には、かなり仰々しいと感じる方もいるかもしれません…
そういう雰囲気、伝えられないなぁ…残念。

11月
2008

将来のこと

聞かれて困る質問は、今も昔も変わりません。
「将来、どうするの?」(^^;

どうにかなるものなら、とっくにどうにかしている訳で…
わたくしの場合、中国人弁護士から転職のお誘いを受けることはあっても、日本の組織からお誘いが来ることはこの歳になると全く期待できません…
わたくしのような人材が一人はいると便利であるということと、正式に雇用するということは別問題であり、今、日本の組織は、中国で若い子を現地採用すればすむことですから、わたくしに限らず不安定な待遇で中国で働いている人は年々増え続けていると思います。

もし、若い子が法律学で博士課程に進学したいと言ったとしたら、「よーく考えた方がいいよ」と言うと思います。
そもそも、実力と実績があるのは大前提の上で、強力な運がないとまっとうな就職なんてできないのだから。

ある人はそもそも実力がなく、ある人は実力があっても忙しくてなかなか実績が出せない(あるいは実績を目に見える形で世間に公開しづらい)、そしてある人は実力も実績もあるけど運がない…
この世界で生き残るために必要なのは、一に体力、二に精神力、三番目くらいにやっと知識ってところでしょうか。知識なんて勉強すりゃいいだけで後からどうとでもなるけど、体力がないと精神的に崩れるので勉強のしようもない…

博士課程後期在籍中にだんだん性格が歪んでくる人も少なくないし…(後輩から恐れられる)
博士課程後期在籍中に心の病になる人もたまにいるし…(後輩からああはなりたくないとひそかに思われる)
博士学位取得の学位授与式のその日に死にたいと本気で考え続ける人もいます(わたくしもその一人だったし、後から本当にそう思ったことがあるという人を数人知っています。そもそも学位取得なんてオメデタイ出来事を素直に喜べないということはあまり尋常ではありませんね)

ところで、全く法律には関係ない医学研究者のブログを読んでいて、あることの大切さに今更ながら気付きました。

「したいこと」よりも「すべきこと」と「できること」から始めましょう。
(-研究者が仕事をする上で知っておくべき10の原則-」島岡 要)

http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-284.html#trackback

今、自分の立っている場所で、ナンバーワン、オンリーワンになって、この問題だったらお前に聞けば大丈夫と言われるようにならなければ、いずれにせよ、この先誰かが自分を必要としてくれることなんてないのですよね。他人の芝をうらめしそうに見ている暇があったら、自分の庭にそもそもタネをまけってことですか。
何の種をまくか、非常に難しいところではありますが…

ついつい、自分のできないことの克服にばかり目がいってしまったり、とんでもないテーマにはまり込んでしまったりしがちで、時間を無駄にしたり精神を病んだりしますが、効率を考えるのなら自分ができること、得意なことに時間もお金も投資したほうがよく、自分に足りないものはスパッと諦めて誰かに助けてもらえばいいのですよね。
自分のこれまでを振り返って冷静に棚卸して、研究と一定の職業、家族、どれも大事ですから、きちんと戦略を練ろう思います。

11月
2008

座席

先日、日本人のある先生が、わたくしに会いに弊所まで来てくださったのですが…
小会議室ではなく資料室にお通ししたため、わたくしと先生の2人だけにしては部屋が広すぎて、しかも楕円形の大きめのテーブルだったんですよね。

こういう場合、初めて会う人だったら、お客様からどのくらい離れた所に座ります?
わたくし、こともあろうに、隣に座ってしまったのです。
もしかすると日本人的には、かなり距離が近すぎて「え?!」と思われていたかも。

わたくしは耳がちょっと遠いため、一生懸命に話を聞こうと思うと、男女関係なく、うっかり知らず知らず近くに行っていることが多いです。
大昔、話を熱心に聞くあまり、指導教官に近づきすぎて、飛び上るほど驚かせてしまったことがあります。

母校、社会科学院の先生方の研究室は個室ではなく、共同研究室でした。
一応、先生方個人の机と椅子はあるのですが、それこそ会社の事務机のようなもので、仕切りがしてある狭い空間であるため、先生方はいつも入口付近のだ円形の大きめのテーブルに座って雑用をこなされていました。(出勤日は事務をこなすだけで、研究は家でなさっているわけです)
そのようなわけで、指導教官に会いに行って話をする場合、遠くに座るとわたくしが何度も聞き返すので、そのうち指導教官もわたくしが来ると当然のようにすぐ隣の席をすすめてくれるようになりました(^^;

そのような習慣が、このようなところで出てしまうとは。。。
遠くても向かい側に座るべきだったんだろうなぁ(今頃、恥ずかしいです、ハイ)

10月
2008

漢字の罠

中国人とのコミュニケーションで日本人が陥りやすい罠の一つに「同じ漢字を使っていることの安心感」があると思います。

例えば、商談でAということで合意したつもりで、きちんと覚書を作成して双方が署名までしたのに、次のステップで提示された契約草案の内容はAとは程遠い内容だった、とかいうことが現実にあります。

つまり、交渉時にはお互いに見解が一致していたはずだと思うのですが、中国法上の専門用語を知らなかった故に、中国語・日本語でそれぞれ作成された覚書にはA(日本語の漢字そのままの表現)に合意すると中国語と日本語で書かれていても、別の中国人が見たら、どうとでも取れる曖昧な内容でしかなかったという可能性が考えられます。

意地悪な考え方をすれば、相手方はもしかするとそのことに気づいていたけど、自己に有利なように黙っていた可能性もあります。

「中国語と日本語の解釈に相違がある場合、XX語を基準とする」としておけばよかったのでしょう。

ちなみに「日本語版と中国語版は完全に一致し、同等の効力を有する」とした文書で、法的には意味が全然違うよ、という文書を見たこともあります(訳者もチェッカーも中国語と日本語を知っていても法律を知らなかったのでしょう)。

確かに中国語ができない人でも中国の新聞を読んだらおおよその意味は分かるし、筆談で簡単なコミュニケーションはとれるので、漢字は便利ではありますが意味がいつも同じとは限らないし、中国人は同じアジア人で見た目も似ているので、日本人と同じようなモノの考え方をするような錯覚に陥ってしまうのでしょうね。

わたくしが個人的に思うには、中国の場合、個人的なつながりがあってよほど信用できる相手でない限り、口頭の約束は後で証明のしようがないので、結局は約束していないことと同じなのですよね。
紙に動かぬ証拠を残さなかった自分が悪い(^^;
逆によほど信用できる相手であれば、紙に書いてあることとは関係なしに、後でどうとでもなるような気がします。

中国人は欧米人と同じくらい違うと思っておいた方が、誤解は少ないのでしょうね。

10月
2008

言葉の魔法

どうも、ここ最近、ネガティブモードに陥っています。

現実と自分を客観的に見つめるのはすごく大事なことだけど、ネガティブなことを書いてもそこからは何も生まれないので、たとえ未来を考えると憂鬱でも、ブログには前向きなことを書くべきだと思います。

言葉は言霊っていうくらい力があるというし、憂鬱などの感情というものは人に伝染するので、本当によくないと思います。できればたくさんの人とたくさんの「楽しいこと」を共有したい。

いくらアクセス数が少ないとはいえ、SNSではないオープンな場所で、しかも本名を用いて書いているブログである以上、やっぱり楽しいこととか、役立つことを書くのが基本よね。

泣き言を言ったり、毒を吐くのは、神さまの前だけにしておこう(^^;
↑ 信条に加えました。

10月
2008

中国人女性はすごい

女性のライフスタイルに関する内容を書いたので、その続き。
中国社会も日本に比べたらずいぶん男女平等意識の高のでありますが、それでも就職活動中の女性の話を聞くと男性に比べて困難なようです。
どの国でも基本的に女性が仕事を頑張ってしまうと離婚する確率が上がって、出生率がさがるわけですが…

しかし、わたくしは恐るべし中国人女性を何人か見たり聞いたりしてきました。
30代、40代の仕事がかなりできて、結婚も維持してて、子どももいるという女性。

特に安定した職をすでにもっている女性だと、博士課程在学中に出産してしまうのです。
(もともと在学を理由にこの間、勤務先に籍を置いたままを有給又は無休で休職しているので、キャリアに影響がでにくい)
見かけによらず、化けものかと思うような体力・精神力の持ち主が多く、育児は親やお手伝いさんに手伝ってもらいながら、博論もきっちり書いて学位を取得し、職場に復帰してゆくのです。

日本の女性研究者で、こんな化け物を見たことはありません(^^;
それに社会構造も違うから、お手伝いさんに育児手伝ってもらっても、旦那にいろいろやらせたって、身内や第三者に文句言われませんしね。社会という見えない敵に「これじゃあ、子どもや旦那がかわいそう」とプレッシャーをかけられることもない。

マイナーな分野の研究をしている博士課程在籍兼どこかの学校の講師という中国人男性は、「嫁さんは家計を支えているので、私は子どもが小さい時は家で研究しながら、ずっと子どもの面倒を見てた」そうです。子育てなら、俺にまけせてくれ、子どもの病気の対処なんかに詳しいそうです(^^;

わたくしの兄弟子の嫁さんには「できる女性」が多いのか、子どもから携帯に電話がかかってきて「パパ、ママは仕事で今日遅くなるって言ってたから早く帰ってきてよ」と言われていたり…

博士課程の学生は結婚してて子どもがいる人が男女問わず多いのですが(もっとも母校が大学の上位機関ではなく、政府シンクタンクを母体にしているせいもありますが)、地方に嫁さん子どもを置いてきている人もたまにいます。
で、嫁さんは何をしている人なんだろうと思いきや、そういう人の嫁さんはかなりパワフルで、公務員だったり弁護士だったり、会社の管理職クラスだったりして、旦那なんていなくても十分、子どもを抱えたまま、フルで仕事をしているのです。

中国人女性研究者は、思考が柔軟で、体力・精神力が並はずれていますよね。
でも、12億いる中国社会はものすごい競争社会なので、そこまでするかというくらい皆勉強しますから、このくらいの体力・精神力は必要なのでしょう。

日本人女性研究者であれば、若い頃にスムーズに進学して、博士後期課程満期退学、就職、出産という超エリートコースタイプ、独身子どもなしを貫ぬく強い女タイプ、若いころは優秀な旦那様の下で主婦業に専念して子どもが独立した晩年に本領を発揮するお嬢さんタイプがほとんどで、そうでなければ、途中で自分の体力とか精神力とか学力に見切りをつけて、普通のおばさんになるのではないでしょうかという気がするのですが…わたくしの認識は違っているかな?

10月
2008

働く女性とその旦那様

Aera for Working Women:「働く女は、美しい。」という本が日本で10月20日発売したそうですね。http://www.aera-net.jp/summary/081009_000405.html

会社勤めをしていないわたくしには無縁のテーマですが、同じ女性として興味があります。
わたくしもいちおう働く女性ですし。

働く女性の場合、女性の収入が高く自立しているほど離婚する確率は高いので、旦那の給料なしでも生活ができて、現在も結婚を維持していて、子どももいるという人にはあまりお目にかかりませんね。
経済的自立、夫、子ども、の3つを享有するのは難しいのだろうなと思います。
ちなみにわたくしは、子どもはいませんし、この先もいないでしょう(養子をもらえば別ですが)

結婚なんてしないわという女性
結婚したことあるし、子どももいるけど、今シングルという女性
結婚してるけど子どもはあえてもたないという女性

いいか悪いかという問題ではなく、女性は結局どれかを手放すことになるのに、男性は全部手に入る人が結構多い。
男性はその社会的優位ゆえにプレッシャーも多いのだから、男性は男性で精神的にキツイとは思うのだけど、やはり羨ましいなと思ってしまう。

周囲を見ていて納得がいくのは、いわゆる「できる女性」の旦那様というのは、大人しい性格の公務員が多いということ。
そして、「勝手なことをしている女(世間の評価)」なのに、快くその「わがまま(世間の評価)」を黙って「君のすきにしたらいい」と支持しているような気がします。
そういう旦那様ではない場合、最終的にバイバイのようです。

働く女性が男性に言われてムカつくセリフは「手伝ってあげようか」だと聞いたことがあります。
「そもそも、お前の仕事だろうが!」というのが女性の言い分です。

不思議なのは、本当に家庭向きな30くらいの独身女性が最近、日中問わず増えていることです。
決して独身主義者じゃなくて、本人もその気で満々なのに、あっという間に30過ぎてしまう。
かと思えば、全然家庭向きな女性ではなく、特に美人でもなく、ちっとも優しくないという女性が30前に大人しい優しい男性を捕まえているのだから、世の中は分からないものです。