12、13日、朝から晩までず~っと会議で、死ぬほど疲れていました。
朝10時から夜の9時はさすがにキツイ。
もちろん弁護士や某社の法務の方々はわたくしの倍以上お疲れだと思うのですが…
つくづく、体力が基本ですね。
皆「化けもの」です。
12、13日、朝から晩までず~っと会議で、死ぬほど疲れていました。
朝10時から夜の9時はさすがにキツイ。
もちろん弁護士や某社の法務の方々はわたくしの倍以上お疲れだと思うのですが…
つくづく、体力が基本ですね。
皆「化けもの」です。
聞かれて困る質問は、今も昔も変わりません。
「将来、どうするの?」(^^;
どうにかなるものなら、とっくにどうにかしている訳で…
わたくしの場合、中国人弁護士から転職のお誘いを受けることはあっても、日本の組織からお誘いが来ることはこの歳になると全く期待できません…
わたくしのような人材が一人はいると便利であるということと、正式に雇用するということは別問題であり、今、日本の組織は、中国で若い子を現地採用すればすむことですから、わたくしに限らず不安定な待遇で中国で働いている人は年々増え続けていると思います。
もし、若い子が法律学で博士課程に進学したいと言ったとしたら、「よーく考えた方がいいよ」と言うと思います。
そもそも、実力と実績があるのは大前提の上で、強力な運がないとまっとうな就職なんてできないのだから。
ある人はそもそも実力がなく、ある人は実力があっても忙しくてなかなか実績が出せない(あるいは実績を目に見える形で世間に公開しづらい)、そしてある人は実力も実績もあるけど運がない…
この世界で生き残るために必要なのは、一に体力、二に精神力、三番目くらいにやっと知識ってところでしょうか。知識なんて勉強すりゃいいだけで後からどうとでもなるけど、体力がないと精神的に崩れるので勉強のしようもない…
博士課程後期在籍中にだんだん性格が歪んでくる人も少なくないし…(後輩から恐れられる)
博士課程後期在籍中に心の病になる人もたまにいるし…(後輩からああはなりたくないとひそかに思われる)
博士学位取得の学位授与式のその日に死にたいと本気で考え続ける人もいます(わたくしもその一人だったし、後から本当にそう思ったことがあるという人を数人知っています。そもそも学位取得なんてオメデタイ出来事を素直に喜べないということはあまり尋常ではありませんね)
ところで、全く法律には関係ない医学研究者のブログを読んでいて、あることの大切さに今更ながら気付きました。
「したいこと」よりも「すべきこと」と「できること」から始めましょう。
(-研究者が仕事をする上で知っておくべき10の原則-」島岡 要)http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-284.html#trackback
今、自分の立っている場所で、ナンバーワン、オンリーワンになって、この問題だったらお前に聞けば大丈夫と言われるようにならなければ、いずれにせよ、この先誰かが自分を必要としてくれることなんてないのですよね。他人の芝をうらめしそうに見ている暇があったら、自分の庭にそもそもタネをまけってことですか。
何の種をまくか、非常に難しいところではありますが…
ついつい、自分のできないことの克服にばかり目がいってしまったり、とんでもないテーマにはまり込んでしまったりしがちで、時間を無駄にしたり精神を病んだりしますが、効率を考えるのなら自分ができること、得意なことに時間もお金も投資したほうがよく、自分に足りないものはスパッと諦めて誰かに助けてもらえばいいのですよね。
自分のこれまでを振り返って冷静に棚卸して、研究と一定の職業、家族、どれも大事ですから、きちんと戦略を練ろう思います。
先日、日本人のある先生が、わたくしに会いに弊所まで来てくださったのですが…
小会議室ではなく資料室にお通ししたため、わたくしと先生の2人だけにしては部屋が広すぎて、しかも楕円形の大きめのテーブルだったんですよね。
こういう場合、初めて会う人だったら、お客様からどのくらい離れた所に座ります?
わたくし、こともあろうに、隣に座ってしまったのです。
もしかすると日本人的には、かなり距離が近すぎて「え?!」と思われていたかも。
わたくしは耳がちょっと遠いため、一生懸命に話を聞こうと思うと、男女関係なく、うっかり知らず知らず近くに行っていることが多いです。
大昔、話を熱心に聞くあまり、指導教官に近づきすぎて、飛び上るほど驚かせてしまったことがあります。
母校、社会科学院の先生方の研究室は個室ではなく、共同研究室でした。
一応、先生方個人の机と椅子はあるのですが、それこそ会社の事務机のようなもので、仕切りがしてある狭い空間であるため、先生方はいつも入口付近のだ円形の大きめのテーブルに座って雑用をこなされていました。(出勤日は事務をこなすだけで、研究は家でなさっているわけです)
そのようなわけで、指導教官に会いに行って話をする場合、遠くに座るとわたくしが何度も聞き返すので、そのうち指導教官もわたくしが来ると当然のようにすぐ隣の席をすすめてくれるようになりました(^^;
そのような習慣が、このようなところで出てしまうとは。。。
遠くても向かい側に座るべきだったんだろうなぁ(今頃、恥ずかしいです、ハイ)
中国人とのコミュニケーションで日本人が陥りやすい罠の一つに「同じ漢字を使っていることの安心感」があると思います。
例えば、商談でAということで合意したつもりで、きちんと覚書を作成して双方が署名までしたのに、次のステップで提示された契約草案の内容はAとは程遠い内容だった、とかいうことが現実にあります。
つまり、交渉時にはお互いに見解が一致していたはずだと思うのですが、中国法上の専門用語を知らなかった故に、中国語・日本語でそれぞれ作成された覚書にはA(日本語の漢字そのままの表現)に合意すると中国語と日本語で書かれていても、別の中国人が見たら、どうとでも取れる曖昧な内容でしかなかったという可能性が考えられます。
意地悪な考え方をすれば、相手方はもしかするとそのことに気づいていたけど、自己に有利なように黙っていた可能性もあります。
「中国語と日本語の解釈に相違がある場合、XX語を基準とする」としておけばよかったのでしょう。
ちなみに「日本語版と中国語版は完全に一致し、同等の効力を有する」とした文書で、法的には意味が全然違うよ、という文書を見たこともあります(訳者もチェッカーも中国語と日本語を知っていても法律を知らなかったのでしょう)。
確かに中国語ができない人でも中国の新聞を読んだらおおよその意味は分かるし、筆談で簡単なコミュニケーションはとれるので、漢字は便利ではありますが意味がいつも同じとは限らないし、中国人は同じアジア人で見た目も似ているので、日本人と同じようなモノの考え方をするような錯覚に陥ってしまうのでしょうね。
わたくしが個人的に思うには、中国の場合、個人的なつながりがあってよほど信用できる相手でない限り、口頭の約束は後で証明のしようがないので、結局は約束していないことと同じなのですよね。
紙に動かぬ証拠を残さなかった自分が悪い(^^;
逆によほど信用できる相手であれば、紙に書いてあることとは関係なしに、後でどうとでもなるような気がします。
中国人は欧米人と同じくらい違うと思っておいた方が、誤解は少ないのでしょうね。
Aera for Working Women:「働く女は、美しい。」という本が日本で10月20日発売したそうですね。http://www.aera-net.jp/summary/081009_000405.html
会社勤めをしていないわたくしには無縁のテーマですが、同じ女性として興味があります。
わたくしもいちおう働く女性ですし。
働く女性の場合、女性の収入が高く自立しているほど離婚する確率は高いので、旦那の給料なしでも生活ができて、現在も結婚を維持していて、子どももいるという人にはあまりお目にかかりませんね。
経済的自立、夫、子ども、の3つを享有するのは難しいのだろうなと思います。
ちなみにわたくしは、子どもはいませんし、この先もいないでしょう(養子をもらえば別ですが)
結婚なんてしないわという女性
結婚したことあるし、子どももいるけど、今シングルという女性
結婚してるけど子どもはあえてもたないという女性
いいか悪いかという問題ではなく、女性は結局どれかを手放すことになるのに、男性は全部手に入る人が結構多い。
男性はその社会的優位ゆえにプレッシャーも多いのだから、男性は男性で精神的にキツイとは思うのだけど、やはり羨ましいなと思ってしまう。
周囲を見ていて納得がいくのは、いわゆる「できる女性」の旦那様というのは、大人しい性格の公務員が多いということ。
そして、「勝手なことをしている女(世間の評価)」なのに、快くその「わがまま(世間の評価)」を黙って「君のすきにしたらいい」と支持しているような気がします。
そういう旦那様ではない場合、最終的にバイバイのようです。
働く女性が男性に言われてムカつくセリフは「手伝ってあげようか」だと聞いたことがあります。
「そもそも、お前の仕事だろうが!」というのが女性の言い分です。
不思議なのは、本当に家庭向きな30くらいの独身女性が最近、日中問わず増えていることです。
決して独身主義者じゃなくて、本人もその気で満々なのに、あっという間に30過ぎてしまう。
かと思えば、全然家庭向きな女性ではなく、特に美人でもなく、ちっとも優しくないという女性が30前に大人しい優しい男性を捕まえているのだから、世の中は分からないものです。
今、使用しているパソコンを新年に買い替えようと思います。
今のパソコンは1年くらい前にCPUやメモリ等を指定する方法でウェブで買ったものです。
実は今使用しているパソコンの前に使用していたパソコン(今のと同じモデルでCPU等のパワーアップ前のモデル)はシステムが不安定で(突然予期せぬエラーが半年に一回起こり、専門家に診てもらう時は異常が見られず、検査しても初期の不具合が見つからないため文句のつけようがないまま、さすがに爆弾をかかえているのが嫌だったので、さっさと売り飛ばした)、今のはそういうことはないのですが、コンセントがこの間パーになりまして(といっても、普通に使用していただけで電圧オーバー等してませんけど)、中国のコンセントを使用しております。
このパソコンのシリーズはヘビーユーザーには向かないのかも知れないのかななどと思いつつ、別のメーカーに乗り換えてみようかと思ったのです。
いまのパソコンを夫に譲って、自分は松下のLet’s Noteを使用してみたいと検討中です。
夫は研究室で反応が超にぶいCPUと少ないメモリしか搭載していないパソコンにXPという構成でも平気で使っていますが、私は何でも新しいものを試したい性格なのです。
ちなみに我家に一台置きっぱなしにしてあるノートは、わたくしが前の前に使用していたXPモデルのものです。
さすがの夫も最近、パソコンを買い替える気になっているようなので、下取価格で押し付けるいいチャンス到来。
ちなみによくドラマ等で女の子が男の子に「パソコンをネットにつないで」とか「プリンタと接続して」とか「調子が悪いからみてくれ」とか可愛くお願いして、男の子が鼻の下をのばして手伝ってやるなどという光景が見られますが、我家ではあり得ません(^^;
「プリンタが動かないんだけど、研究室まで見に来てくれない?昼飯おごるから」と、かなり前に夫に頼まれて見に行ったことがありますが、物理的に電源コードの接触が悪かっただけってこともありましたね。
(昼飯はきちんとおごってもらいました)
以前、ある方のアシスタントをしたときに、その方が新しく買ったLet’s Noteとプリンタとの接続やその他の調整をお願いされて触ったことがあるのですが、何だかよさそうでした。
本当のところ、どうなんでしょう。
身近で使っている人いないかな。
これまでずっと英語はアルファベットの組み合わせによる表音文字なので、漢字とはずいぶん違って全然面白くないと思っていました。
ところがどっこい、漢字のような意味性があるんですってね。
英語の得意な方は「そんな当たり前のことを今頃知ったのかよ」とお思いになるのでしょうね(^^;
albatrossは「あほうどり」という意味です。alpsは「アルプス山脈」、alubumは「(写真を整理する)アルバム」のことですね。
これらに共通するイメージは「白」です。実は、alb-、alp-というスペルが「白」を表していて、ネイティブはその音からすぐにそうしたイメージを抱きます。
alb-、alp-の語源は、albus(白)というラテン語です。私が勝手に語源に漢字を当てはめると、「albatross」(大白鳥)、「alps」(白山)、「alubum」(白頁)になります。
(松澤喜好著「単語耳」アスキー・メディアワークス 2007年 27頁)
ふーん。そこまでイメージが膨らめば、英語もきっと面白いんだね…
中学生の頃は英語が好きでも嫌いでもありませんでした。テストの結果はいつも75点とか80点とか、良くも悪くもない領域。
高校生の頃、実はわたくしは進学校を出ていないので、英語をほとんど勉強していません。そもそもカリキュラムが違うのですから、リーディングみたいな教科書をちょこっと読んだらお終い、誰もグラマーとかそんな難しいことを教えてくれません。
高校を卒業して初めての就職した時は、英語なんて全然必要なかったので、全く勉強しませんでした。
まっとうな英語教育を受けていないということが長い間コンプレックスになっていて、大卒の子の前では英語を絶対に話しませんでしたね。
その後、周囲のほとんどが大卒者ばかりという職場環境で、自分が高卒ではろくな待遇を得られないんだという当り前のことに気づいて、大学へ行こうと思いましたが、当時、若過ぎて社会人入試にも該当しないわたくしは、あくまで普通入試を受験するしかなく、国語や世界史は常識で何とかなっても英語はどうしようもないので、適当に書店で予備校の参考書を買って独学しました。
結局成績の足をひっぱる英語は、合格ラインすれすれで合格したものの…英語の勉強ってそもそもどうやったらいいのか全然わからぬまま。
大学時代は第一外を中国語、第二外を英語にすることで、切り抜けました。
その後の院試はすべて中国語で通過してきました。
ご存じのとおり、院試というのは英語以外の外国語で受験したほうが圧倒的に有利です。
英語は皆できて当たり前なので、足を切るために分量を多くして訳しきれずに時間切れにさせるというパターンが多いのではないでしょうか。
その後、当たり前ですが論文書くためには、英語ができないとまずいです。いくら自分の研究対象が中国とはいえども、世界のスタンダードが英米法なわけですから。
仕方がないので、夫を拝み倒して、日曜日に英日翻訳したものを添削してもらいました。
ほんと、今から思えばアホな妻に付き合って、よく無償で教えてくださったと思います(感謝)。
でも、相変わらず、英語って実に面倒くさいという感覚は消えませんでした。
英語とは見ただけでは分からない何と不合理な言語なんだと思い続け…外国にしばらく行ってみれば多少はこの「いやな感じ」を払拭できるのでは、とか思ったけど、米国に数か月行く機会があったものの、全然、この「いやな感じ」は消えませんでした。
もちろん、喋らなければ暮らせませんから、文法が誤っていても必要最小限において適当に喋りましたが全然進歩しませんでしたね。
今の職場も皆外国語を話して訳せてなんぼという環境で仕事をするので、誰もが英語、日本語、中国語又はその他の言語のうち2種類以上はビジネスレベルで使用できる人しかおりません。
ますます、わたくしのコンプレックスは募るばかり…
で、先日、ふと書店で目にした本を立ち読みし、何となく引かれたのでそのまま購入したら、上記の文章に出会ったというわけです。
語学の習得って、王道はないんですよね。
基本に立ち返って、地道に反復練習するしかないのですが、いかに反復練習するに際して、自分で面白おかしくする工夫をして、努力し続けられる仕組みづくりをするかなのかな~と思います。
小手先の「数週間で学べるXX」とか「ゼロから始めるXX」みたいなタイトルの語学書とは違って、基本中の基本を説いて、基礎固めには1,2年はかかると当たり前のことを書いてある本を久しぶりに読んで、更に「なあるほど」と思った次第でありました。
久しぶりの読書感想文。
10月もいろいろ聴いたり読んだりしているのだけど、これといって人様にお見せできる感想文を書いていないのでお久しぶりということになってしまいました。
「BuyMa」「pressblog」「filmo」と世界初のウェブサービスを次々と世に送り出し、「世の中を変えるボタン」を押し続けているベンチャー企業エニグモの成長記です。
実はこのオーディオブックを聞くまで、このサービス知りませんでした(^^;
わたくしはベンチャー企業の創業話などを読んだりするのも結構好きです。
だいたい、起業前夜とかなんとかいう、「こいつと会社を作りたい」とかいう起業仲間を見つけた瞬間のいい思い出話等には感動してしまう方です。
一人の会社組織というのもありますが、やはり自分にないものをもっている人と互いに補い合うことで、組織として強いものが出来上がるわけですから、「誰とやるか」は当然重要ですよね。
自分が大きな夢を描いて、「誰かついてこないかね?」と声をかける社長タイプ、「こいつはすげぇ」という人をサポートする方が好きな参謀タイプ、世の中にはいろいろいますしね。
年収900万円を捨てても、それ以外のものが起業によって手に入るから、そっちを選んだというセリフは、かっこいいなぁと思いました。
そもそもそんな年収ないから、言いたくても言えないよ。
中国にいると、日本よりはるかに高い頻度で皆、起業の話をします。
多分、日本よりも就職に安定性がないことと、競争社会であること、それなりに発展のチャンスがまだその辺にごろごろ転がっているせいなのかもしれませんが。
「で、いくらならうちの会社で仕事してもいいと思う?」と聞かれたことや「今の月給いくら?」とかズバリ聞かれたこともありますが、日中の貨幣価値の差があるため、外資でないベンチャー企業なら(日本的基準から見たら)相当低い賃金で昼夜なく働かなければならないことは目に見えているので、具体的に話を聞いたことはありませんが。
わたくしは女なので日本人にはこんなことを言われませんが、何故か中国人にはたまに言われます。これも社会構造の差なのでしょう。
要するに日本人で中国語ができるからという理由だけで、安い給与で働いてもらえないかなとダメもとで聞かれているだけだしね。
事業に対する相当の熱意と、パートナーによほど惚れこんでないと、起業ってできないですよね。
自分にはできそうにもないので、今日もこうやって熱い本を読んで(聴いて)疑似体験したくなるのかもれません。
駅で何気なく「妹たちへ」日経WOMAN編、日経ビジネス人文庫を買いました。
ビジネス社会で、男性にはあるのに女性には圧倒的に少ないもの―それはああなりたいと思うお手本(ロールモデル)です。
そこで、1998年に日経WOMAN創刊10周年記念として、迷える20代、30代の働く女性たちへ、今を輝くプロフェッショナルな女性先輩が自身の経験を踏まえてヒントやアドバイスを提供するという企画が、「妹たちへ」というリレーエッセイとしてスタートしたそうです。
現在の執筆者は経済評論家の勝間和代さん。
その連載スタートから7年分27人のエッセイが単行本として出版されたのが2005年、そして2008年8月に文庫化されました。
この文庫本を見ても、やはり彼女らは少し雲の上の人ばかりで、普通にその辺を歩いていそうなお手本ではないのですよね…つくづく、隣のお姉ちゃんみたいなお手本はその辺を歩いてはいないものだと感じます。
わたくしがああなりたいと思うお手本として、ごく身近にいる男性なら数人挙げることができます。
でも、やはり歩いてきた道が異なるので、今からそのまま真似るわけにはいかないのですよね。
同様に、若い頃のわたくしのように金も学歴もない普通の女子が、わたくしの生きてきた過程を今からそのまま真似ても、30代後半で同じような結果を引き出せるかどうか疑問です。
反対に、わたくしの20年分の努力をたったの1、2年で成し遂げ、わたくしと同様の結果を引き出せる人も大勢いると思います。
そこで、自分はこの先どうしたものかと常々思っていたのですが、今月の日経WOMANを見たら、答えらしきものにぶつかりました。
「価値観が多様化している時代。ロールモデルはひとりに絞り込む必要はありません。周囲の人たちの『いいな』と思える部分を複合して自分だけのロールモデル像を作ってみて」(日経WOMAN2008年10月号29頁、キャリアナビゲーター前川タカオさん)
それもそうだね…
身近な手本がその辺を歩いていない以上、自分で理想のお姉さまを作り上げるしかないのですね。
一昔前のように、こうすればああなるというような未来予想図は、終身雇用制度が崩壊した現在、男性でも描くのが難しそうな気がします。
夕方、修士時代の指導教官AA先生に電話をしたら、こんなことをおっしゃっておられました。
「師弟関係のあった人のその後を見てみると、自分のコピーみたいな人は全くいないね。面白いことにそれぞれ自分とはまったく違った方向で伸びていったものだから、自分はきちんとした評価をしてあげられないねぇ、そんな能力ないもの」
人が何かを習得するとき当然物まねから入るわけだけど、結局模倣品は模倣品であるように、良質な模倣品も多々あるけれど、実質的に本物以上になれないわけで、ロールモデルの不在を嘆くことは根本的に単なるいいわけかもねという気がしなくもなくなってきました。
明日から、素敵なお兄様、おじ様、お姉さま、おば様の良いとこどりをした理想のお姉さま像を作り上げてみましょうか。
10月1日は中華人民共和国の国慶節です。
中国は明日から1週間、国慶節休みに入ります。
しかしながら、法定休日をはさんで1週間休みにするために、土日出勤しなければなりません(あうー)
でも、実は25日~27日は北京を不在にしておりました。
ここはどこ~?
え?ドイツ?
そんなわけありませんね。
青島に研修及び出張。
夕方から観光して遊べるぞと思っていたら、あるクライアントから急ぎの用事があってホテルに着くなり、わたくしはそのままG弁護士に拉致され、2人で泣く泣く仕事をしました。
電車に6時間乗って疲れていたのか、血糖値が下がり過ぎてしまったのか、もう、頭ががんがんしてきちゃって、G弁護士が晩御飯御馳走するというものの、「マジで頭ががんがんする…」とあっさり断り(惜しいことした)、ホテルの部屋に入るなり、そのまま服も着替えずに眠ってしまいました。
翌日は観光したので、ちゃんと上記の写真が残ったというわけです。