9月
2008

女性の敵とは

「妬む、怒る、愚痴る」ことを止めればストレスは減るというのが、経済評論家の勝間和代さんが至る所で話したり書いたりしているところです。

確かにこれを止めれば、ポジティブにならざるをえず、体に毒がまわることはないだろうなと思います。

驚きなのは、こんなスーパーウーマンでも、わざわざこんなことをいうということです。
若いころに仕事も旦那も子どもも食える資格もすべて手にいれたことのある人でも、「妬む」ということがあったんですか…

ちょっと話はずれるかもしれないけど、女性の本当の敵は女性なのではないかと若いころよく思いました。
仕事も旦那も子どももいるという人は最近は多いのかもしれないけど、かつてはどれかを諦めてきた(捨ててきた?)人もいるわけで。

若いころのわたくしときたら、
「どうしてそんなに必死になるのか、能力は0か100で決められるものではないのだから、自分で自分をいじめたらだめだ」とせっかく慰めてくれた男性に
「男性は0と100の間の30とか50でも居場所はあるけど、女性は一部の100に限りなく近い人でなければ居場所なんてないんだよ!」とムキになって怒ってしまいましたね。

その人は人間出来ているのか、女性に慣れているのか「そうだねぇ、確かに僕は優秀ではないけどそれなりに居場所があるものね」と相槌を打ってくださいましたが。

だから30や50の能力しかない中途半端なところで右往左往する女性としては、超できる女性にならないと結局は0と同じなので、100に限りなく近い人を妬んでしまうのかな、なんてね。
(え?そう思っているのは自分だけでしょうか)

何がしたいかは人それぞれ違うので一概には言えませんが、とにかく経済的に完璧に自立して、一人前の仕事がしたいという人には、医者、弁護士、税理士、会計士、教員、公務員に若いうちになるしかないのかな。
あ、自分で会社設立して自分が社長になるって女性もありか。

他人を妬んだり、他人に怒ったり、他人に愚痴っている暇があったら「勉強しろよ」ということなんだな、と最近、歳をとったせいかすこしづつそう思えるようになりました。

9月
2008

人の顔は左右非対照

人の顔は誰でも左右が違っているとは知っていましたが自分がこれほどまでに違うとは思いませんでした。
いや、自己紹介ページに写真を載せたのはいいけど、自分が気に入った写真というのはどうしても右顔が手前に来る構図なのですね。

しかし、一般的に、90%の人が左から見た方が美しいと言われているそうです。
左の顔は素直に感情表現をするので、本音の顔。
右の顔は理性をつかさどっている左脳に影響を受けるので社会的な顔といわれ、誤魔化しがきくのだそうな。

左半分だけを鏡にして顔を作ると普通はとても自然に見えるのだとか。

反対に右半分だけだと感情が見えない顔になるのだそう。

しかしですな、わたくしの場合、どうも残りの10%の右から見た方が優しそうに見えるのですよ。
左から「右だけの写真」「ありのままの写真」「左だけの写真」です。
なんだか、タヌキとキツネほど違いますね。
右だけの写真ありのままの写真左だけの写真

9月
2008

中秋の名月に独りもの想う

中秋の名月ですね。旧暦の8月15日です。

今日は家族団欒の日。
団欒する家族がいないワタクシ。
自業自得といえばそうなのですが…

そういえば、阿倍仲麻呂が「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」という歌を詠んで、異国の地で自分が見ている月は故郷の三笠山の月と同じなんだと懐かしんだわけですが、気持ちはよく分かります。

この仲麻呂さん、優秀な人だとは聞いておりましたが、実は私費留学だったんですってね。
ふーん、「優秀」ってところはともかく、私費で留学したっていうのが自分と同じだね。
科挙(かきょ)にも合格し、玄宗皇帝の右腕として働き、高官になったなんてすごいね。
もし、その時代に生まれていたら、わたくしなんて留学試験に受からなかっただろうなぁ。

米国みたいに、司法試験うけさせてくれないかな、中国も。
大昔、日本の母校の修士課程を受験したとき、指導教官が面接の際におっしゃった台詞にずっこけました。
「初めてああいう問題出したのだけど、どうだった? 実はあれ(中国の旧)司法試験の問題の一部なんだけど、日本人でも結構解けるもんなんだねぇ」

おいおい、試しに出してみないでくださいな。

仲麻呂さんは日本に結局帰れず、ベトナムに流れ着いたそうですが、自分もどこぞに漂着しないようがんばらないとねぇ。

9月
2008

献本お礼メール等

今週は献本のお礼メールをちょくちょく頂きました。

なぜか、英語でくださった方もいらっしゃる。
日本語を送っていただいても化けませんから、大丈夫ですよん。

ところで、成田空港とか関西空港等、外国人がよくいる場所でもよく英語か中国語で話しかけられるのですが…何でだろう。

今どきの日本人女性がしないような真っ直ぐの黒髪で、化粧が今っぽくないからだよ、と言われれば、それはそのとおりなのですが(^^;

9月
2008

ぼろ屋にすむわたくしの日常

今朝、髪を洗って部屋の扇風機の前で髪を乾かしていたら突然がらがらっ!!!というとんでもない音が浴室からしました。

見たら、タイルが剥がれおちている。
あーあ、確かに浮き上がってきていてやばいなぁと思ったことはあります。
やばいなぁと思っていたら、テープとか貼って補強しておけばよかったのに、放っておいたからね。

仕方がないので割れたタイルをパズルのように復元して積み上げてもう一度壁に戻してビニールテープで横の壁にくっつけておきました。

よくよく見ると、他の場所もテープで補強しているわね。
前の住人もいろいろ自分で修理したらしい。

この間は水道のパッキンがバカになってきて、止まらなくなりました。
ずっとちょろちょろ漏れたままだと水道代がもったいなので、大元を止めようとしたのだけど、大元も錆びついているのか怪力のわたくしでも動かない。

不動産屋に電話して見に来てよといっても、相変わらずここのお兄ちゃんは仕事に不熱心で、全然折り返しの電話をくれないので、もう一度電話したら自分で管理会社に電話してくれと言われる始末。

はいはい、と思い、自分で会社に電話して、管理会社が水道修理屋に電話して、直接水道屋の修理兄ちゃんが数時間後に電話してきたので、やっと見てもらえることに。

やってきた若いお兄ちゃんですら水道栓の大元をしめられない。
どうなってんの。
ペンチで若い兄ちゃんが全身力を振り絞ったら、やっと水が止まった。
わたくしごときが素手で回したって、回らないはずよね。

やっと水道の頭の部分を全部取り換えてもらって一件落着。

水道屋のお兄ちゃんが帰ったとたん、トイレの水が漏れはじめました。(おいおい)
もういいや、と、どうでもよくなって、とりあえず、元栓をひねって水を止めて、現在は洗濯の残り水や、自分が髪を洗った後の汚水をバケツに溜めておいて、その水をトイレの排水用にしております。

どうせ、日中ほとんど家に居ないし、水道代節約できていいんじゃないの?
と、適当に諦めています。

今朝のタイル落下事件は、自分が髪を洗っている時でなくてよかったです。
頭にでもあたって怪我したら、たまったものではない…

そういえば、本棚の代わりにしている押入れの棚の板も、本の重みに耐えきれずに真ん中から折れていたっけな。

そういえば、ベッドの下にレンガが積み上げてあるのも、バキッと折れない様に補強するという意味なんだろうなぁ。

もっといいところに住めってかんじですか…
別に何十年も住むわけでなし、寝に帰るだけだからいいんですよ。

9月
2008

亀ゼリー

亀ゼリー

亀ゼリー食べた。

噂どおり、薬っぽい味。(薬膳デザートだからしょうがない?)
蜂蜜も入っているらしいけど、やっぱり何だか亀の味がする…

昔、料理番組で、「おいしいーXXの味(材料そのまま)がするー」としか言わなかったタレントさんがいたなぁ。

原材料:亀、茯苓(ふくりょう)、金銀花、タンポポ、蜂蜜、水、砂糖

材料のカメって一体…???
検索してみると、おそらく「亀の腹甲など部分を粉砕し、水に入れて高温煮沸抽出したもの」であるらしく、コラーゲンたっぷりでお肌にいいらしい。

9月
2008

奔馬(ほんば)

昨年、同い年の中国人男性弁護士が日本語の勉強のために、三島由紀夫「春の海」が原作の映画(確か竹内結子さんが出演していらした)のDVDを見てよかったーと言っていたのにつられて、どんな話だったかなと思いだせず、帰国の際に小説「春の海」を買ってしまいました。

で、古風な言い回しにはまってしまったのです。
う…うつくしい日本語。
何と言っても、今どき使わないだろうというような漢字がいっぱいでてきて楽しい…楽し過ぎる。
因みにわたくしは難しい漢字を書くことは苦手ですが、眺めるのは大好きです。
中国語、特に台湾の旧漢字を扱うときには、ものすごーく、ワクワクしますね。
夫にいわせれば、「漢字ばっかりで気持ち悪い」そうですが、わたくしに言わせれば「アルファベットばかりの英語の方が相当気持ち悪いし、だいたい音読しなければ意味の分からない言語なんて煩わしい」ですが。

三島先生の豊饒(ほうじょう)の海は四部作で、「春の海」の次は「奔馬」になります。
前置きが長くなりましたが…法律屋さんらしい話題に移りましょう。

「奔馬」には控訴院判事(注1)が登場します。三島先生の話の筋とは関係なく、いろいろな描写が可笑しくって仕方がありません(不謹慎ですみません、ファンに悪いですね)

判事にとって重宝なものは風呂敷というものであった。往(ゆ)くにも帰るにも書類を携えているが、それが少ないときはよいが、大ていの場合は嵩(かさ)ばって、手鞄には入りきらない。厚くても薄くても、自在なのは風呂敷である。

学生時代、わたくしの周囲にはたくさんの司法試験受験生がおりました。
わたくしも、風呂敷抱えた見た目には全然いけてない判事さんの姿にあこがれ、たまたまデパートで見つけたかわいい風呂敷に勉強道具を包んで、勉強会に行ったこともあったけなぁと思いだしました。

今どきは法曹界の人も風呂敷なんて使う機会、多くはないのでしょうね。
田舎の結婚式の引き出物を包んである風呂敷くらいしか見ないような気がします。

この風呂敷包は仕事の生命であるから、汽車に乗っても、決して網棚に乗せないのが心得である。

そらそうでしょう。そんなものを失くしたらえらいこっちゃ。
我々の仕事でもクライアントのデータが漏えいしたら、わたくしの首をはねたってお詫びできないでしょう。

或る判事は、裁判所がえりに同僚と酒を呑むときなぞは、風呂敷の結び目に紐(ひも)をとおして、その紐を首にかけておくのが常だった。

ダサイ、ダサすぎる…
本当ですか?とご年配の方に聞いてみたい。
確かにわたくしも失くしたら困るものはとにかく紐をつけて首から下げるようにしてますが、考えることは皆同じなのかも。

そんな判事さんたちの日常はといえば…

ふだんは梅田新道のカフェーやおでん屋で呑むのがほどほどの遊興である。あるカフェーでは、女給に時刻を訊くと、スカートをまくって、太腿に巻いた時計を見て答えるのをサーヴィスにしていた。

古い話題で恐縮ですが、ノーパンしゃぶしゃぶ(注2)とかと同じ趣向?
ガーターストッキングかなんかに時計つけたら、今でも風俗で流行るかも。

もちろん中には固物(かたぶつ)もいて、カフェーを正直にコーヒーを飲むところだと考えている判事もあった。

正直にソープランドを銭湯だと思っているようなものでしょうか?
いるの?
そんな人。

千円の横領事件の審理に当たって、被告が、みんなカフェーで使った、と陳述すると、彼は大いに怒り、
「嘘をつけ。コーヒーは一杯五銭ではないか。そんなに沢山コーヒーが飲めるわけがない」
と言うのだった。

(出典)三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海第二巻)」新潮文庫 昭和52年8月

お…面白い、面白すぎる…
輪廻転生をテーマにしたロマンあふれる小説のはずなのに、なぜ、どうでもいいところに茶々(ちゃちゃ)を入れたくなるのだろうか。
ごめんなさい、三島先生…

(注1)控訴院―旧裁判所構成法の下で主として民事・刑事の控訴を管轄した裁判所。1947年廃止。「大辞林」より
(注2)しゃぶしゃぶ料理店なのだけど、女性店員が何故かノーパンで接待してくれるそうです。聞くところによれば床を鏡張りにしていたり、高いところにアルコール類を置いて女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がるとチラッと見えたりするのだそうです。飲食費として領収書を処理できるので接待に使われたりしたそうですが今もあるのでしょうか?

9月
2008

教師節―先生いつもありがとう

中国には「教師節」 (教師の日) というのがあります。
西暦の9月10日、つまり本日です。
先生への日頃の感謝の意をあらわす目的で、1985年に制定されたそうです。

先の記事で修士時代の恩師の話を少し書きましたが、これまでいろんな先生にお世話になってきたというか、迷惑をかけてきたというか…

このご恩は、わたくしのようなぼんくらでは、先生ご本人にお返しするものがないので、これからも頑張って仕事をして(ちなみに先の記事に書いたAA先生は一銭も儲けが出ない学生の研究でも「お仕事」という言葉をよく使いました)社会に還元するしかないのでしょうね。

それから、教師節といえば、中国社会科学院の鄭成思先生の命日でもあります。
この日にお亡くなりになるなんて、お亡くなりになる時まで「先生」らしいやと思ったものです。

9月
2008

恩師からのお礼のハガキ

「台湾著作権法逐条解説」の献本に際して、いきなりメール便で訳の分からない本だけが送られてきたら困惑するだろうと思ったので、献本する方には事前に挨拶状を送付しました。

そしたら、経済産業調査会のA氏からAA先生からお礼のハガキが来ましたよと連絡をいただき、さっそくスキャニングしたハガキをわたくしに送信してくださいました。

AA先生はわたくしの修士時代の指導教官で、わたくしは先生の退官前の最後の弟子なのです。
AA先生は中国法、比較法、憲法の研究者です。

そもそも今でこそ、中国法は飯のタネになりますが、かつてはマイナーな分野であり、特にビジネスに関係のない公法はもっとマイナーでした。

当時のわたくしは知的財産には全く無縁…ぶっちゃけた話、わたくしは中国の人権と国際人権条約等について修士論文を書いておりまして…
ですから、今でも、仕事に関係ないところでは、著作財産権よりも著作者人格権の方に興味があるような人間だったりします。

AA先生のハガキを読んでいたら、台湾法は日本法を模倣して、中華人民共和国は長い間、台湾を通じて日本法を研究してきているので、そういうつながりを研究するのは非常に面白いかもなぁと改めて思いました。

同じようにドイツ法を継受し、米国の影響を受けても、日本と台湾、中国大陸では、文化が異なるので、同じように法は発達しませんものね。
(こういう研究は知的財産法実務にはなんら役に立たないけど…)

上記はわたくしが修士時代から非常に興味のある問題で、実務とは別に生涯にわたって考え続けたい問題でもあります。

9月
2008

通訳の際のメモの取り方

タイトルを見て、わたくしが通訳の際のメモの取り方をレクチャーする記事を書いたのかと思った方がいたら、ごめなさい。

逆です…わたくしがレクチャーしてほしいのです。
わたくしは翻訳は得意ですが通訳は苦手です。
頭の回転が鈍いことと、訓練が足りないせいです。

通常の通訳で一字一句もらさず通訳する人はいません。
発言者の発言が重複していたり、非論理的であったりする場合もあるので、素人が会議などで通訳する場合は、核心部分を瞬時に読み取って、ささっと通訳するのではないでしょうか。

で、そのささっと…できないんですね、わたくしの頭は。
まぁ、内容が自分の得意分野であるとか、日頃よく仕事を一緒にしている方の言葉であれば、通訳というよりも自分の言葉で言い直してしまえるから、傍からはささっと通訳しているように見えますが。

どんなに賢い方でも、メモを取られるようですが(よほど短い文章なら要らないけど)、決まったメモ法みたいなものがあるわけではなさそう。

そういう本がないかなと本屋の語学コーナーで探してみたりするものの…
皆さん、自分で自分がやりやすい方法を実践の中で形成してきているようでして。
結局は、数をこなして自分で自分のやりやすい方法を発見するしかないのでしょうか。

世の中には同時通訳というとんでもない職業が存在しますが、その技はすごすぎて感心します。
ものすごい集中力を要すると思うので、寿命が縮まらないのでしょうか。