7月
2009

西夏王国への旅 その1

まずは、中国4A級の砂湖風景区へ。
砂湖とは、なんぞや。
つまり、大きな湖と砂漠のある美しい景色を楽しむところであります。

砂湖全景

湖をこんなお船に乗って対岸の砂漠へお出かけ。

有里船で眠る

風が気持ちいい~

ラクダのお尻

船を降りたら、ラクダさんのお尻が…
砂漠の下からリフトのある上までの短い距離を観光客を乗せて歩いてくれる有償サービスなのです。
自分で上まで歩いていける距離なので誰も乗らないせいか、数分なのに30元もする。
ねぎっても20元にしかならない…
かわいいのでつい乗ってしまいましたが、寧夏のラクダに乗るなら、翌日に行った「砂坡頭」の北区のほうが、ラクダがたくさんいるし、砂も広いのでキャラバンサライの気分を味わえます。

しかし、ラクダにもいろんな顔のラクダがおりまして、この子の顔が一番アニメ顔なので私たち一行の人気の的でした。
アニメ顔のラクダさん

ラクダに乗ったのは初めてでしたが、外から見る分にはラクダなんてたいして大きいとは思いませんが、乗ってみると意外と地上から高いところにいるような気がしました。
わたくしの乗ったラクダさんは、機嫌が悪かったのか、「お座り!」とおじさんが何度言っても知らん顔で座らず、わたくしをなかなか下ろしてくれませんでした(^^;

やれやれ、と思っていたら、C弁護士が、自分がエジプトに行った時はもっとひどい目にあったぞ、との話をしてくださいました。
値切ってラクダに乗ったのはいいが、ラクダが勝手に走りだして、人気のないところまで走って行ってしまい、約束の時間をかなりオーバーして戻ってきた頃には、お尻は痛いし、結局倍のお金を払ったとか。もし、自分みたいな年配男性ではなく、かよわい女の子だったら、ラクダが勝手に砂漠の真ん中まで走って行ってしまったら怖いだろうなぁとのことでした。
ラクダは結構、気分屋なのでしょうか…おとなしそうな顔しているのにねぇ。

7月
2009

西夏王国への旅(序)

先週の金曜日から昨日日曜日まで、弁護士数名にお供して寧夏回族自治区の銀川市におりました。
中国大陸の西北部の町で、歴史に詳しい方なら、西夏王国のあった場所といえば、お分かりになるでしょう。

西夏(せいか、1038年 – 1227年)は、タングートの首長李元昊が現在の中国西北部(甘粛省・寧夏回族自治区)に建国した王朝。首都は興慶(現在の銀川)。モンゴル帝国のチンギス・ハーンによって滅ぼされた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

仕事はちょっとしかせずに、土日は完全にこれに乗じた遊びです(^^;
観光記録はぼちぼちアップしたいと思います。

7月
2009

大生活

先日、「大生活」というドラマをみました。
高層ビルのマンションに住んで、食べたい物が食べられて、したいことは何でもできる、そんな生活をしてみたい、そういう願望を一度も持ったことがない人というのはいるのでしょうか。

そして、誰でも程度の差はあれ、「生きることは苦しい」を考えたことがあると思います。
わたくしも心を相当病んでいるときは、毎日、消えてなくなりたいとか、この窓から飛んだら楽になれるのかなぁとか、思っていました。

このドラマのテーマは「生まれてきたからには、生きるしかない」です。
舞台は成都、主人公は40代のユーモアあふれるお人よし男性、柳東です。
勤めていた自動車修理工場が倒産、街頭で靴や果物を売って生活をつなぎ、その後、街頭の清掃員になります。
はっきりいって貧乏です。
また損な役回りと知りながら、他人を助けたりするお人よしです。
彼の周囲にはいろいろな人が登場します。

遺棄児童で路上生活の後、柳東に養ってもらう小学生の魚児ちゃん。
悪い奴じゃないんだけど、たびたび警察沙汰を起こしてしまう弟、柳西。
口先ばかりのでたらめで、人を騙したり騙されたりして訳のわからない商売をしている友人、金東民。
田舎から歌手になることを夢見て成都まで出てきたけど、お金をだまし取られて、テレビドラマのちょい役を必死に得るために助監督と寝るけど、結局、役は自分に回ってこなくて、絶望から自殺を図る張紫雲。でも、柳東に何度も助けられて、最終的には歌手デビューするんですけどね。
お金持ちだけれども、ガンで余命いくばくもない高明。高明は子どもに恵まれずその財産を自分の実の子に譲れないのが心残りで、自分の未婚の妻に知的障害者の実の兄と関係を持ってくれと頼むのですが、わたくし的にはあほかと思わざるを得ない…
もし自分がそんなことを頼まれたら、ぶん殴りますね。
「そんなことで悩む暇があったら、孤児院とか、学校に寄付しろ、孤児10人と養子縁組しろ!」と言います。
これだけお金があったら、わたくしなら教育関連事業、特に農村の女児教育に役立ててくれと遺書を残します。

そして、お金持ちの高明と貧乏でお人よしの柳東の間で揺れる洪雨。彼女は結局、高明の理不尽な依頼を引き受けて知的障害者の高明の兄と関係をもつことを承諾するのですが、高明の元恋人で秘書の梁麗の罠にかけられ、高明の運転手の子どもを身ごもってしまい、高明に冷たくされます。

中国はものすごい格差社会だと思います。
最下層にいる人が上層の生活を望む気持ち、よくわかります。
日本社会に比べて何でもありの幅が広い中国ですから、手段を選ばずにのしあがる人は、現実の社会でも多いのだと思います。
きれい事だけでは、なかなかのしあがれないので、皆涙を流すことになるわけですが…

このドラマのよいところは、貧乏だけど何とかなる、と笑えるところ。
決していい暮らししていないのに、主人公にかかわった人たちが幸せ感を得られるところでしょうか。
実際、他人助けは自分助けになる…中国人がよくいうセリフです。

昔、植木等さんの歌で「仕事のないやつぁ俺んとこへ来い! 俺もないけど心配すんな」という歌があったそうですが(夫に昔教えてもらいました)、まさにそんな歌が似合うドラマかなと思います。

本筋からずれますが、このドラマのセリフを聴くことは標準語の勉強には不利です。成都の庶民の話し方は、少し変わっています。
もちろん、上海とか広東とか、全く別の言語というほどの隔たりはありませんが、すごく特徴的な訛りと声調の変化がありますので…

6月
2009

いつもお世話に…

「いつもお世話になっております」

というのは、日本のビジネス文書の定番ですね。
もしかすると「いつも」と入力するだけで、「いつもお世話になっております」と変換するようにしている人もいるのかもしれない。
でも、本音を言うとこの表現、あまり好きではありません。
理由は簡単で、そんなこと書く暇があったら、さっさと本題に入れば?と思うから。
書くほうも読むほうも時間の無駄、ひいては情報トラフィックのロス
(たいした時間ではない?!)
でも、これが礼儀というものだから仕方ないのだろうけど…
同じ、時間のロスなら、心を和ませてくれる余談の一行でも書いてくれりゃいいものを…

そんなわけで、仕事であるにもかかわらず、三行余談を加えるメールを書く場合があります。
一つは大量に配信するニュースレターに丁寧に返事をくださる方への返信。
なぜなら、丁寧な返信を下さる方は、だいたい同じ人で、なおかつ楽しい出来事、感じたこと等を教えてくださるので、「いつもお世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします。」だけ返信したら、そりゃ、ものすごく味気ないだろう、こっちだって何か北京の面白い話がないかなぁと思うわけです。

もう一つは、出版社のA氏への返信。
「台湾著作権法逐条解説」の出版はわたくしにとって「仕事」ではあるものの、たんなる仕事とは割り切れないもので「生活」の一部」でもあり「研究」という使命でもあり、ある意味「趣味」でもありますので、表面的などうでもいい言葉は置いておいて、楽しく仕事したいなぁというのがあって、失礼ながら、かなりラフな余談も書いてきました。
もっともA氏は日頃から携帯メールなどをマメに送受信されるとのことですので、わたくしに呆れつつもこのスタイルにお付き合いいただけるのかなと思います。
A氏の締めくくりの言葉は東京のお天気の話が多いです。
「今後ともよろしくお願いいたします」より「今日の東京は雨で云々」の方が、異国にいる身にとっては楽しかったりします。
(あ、でも、今後、知人全員が締めくくりに天気の話をしてきたら、冷や汗かも)

本当に効率よく仕事をするなら、三行余談は書いたり読んだりしてはいけないのだろうけど、仕事は人とするものだから、たまにはいいよねと、思ったりします。

6月
2009

仕事のダブルスタンダード

先日、ある日本人があるベテランの中国人弁護士さんのある行動について、「長く日本に居たのに、たいぶ日本的感覚がなくなってきたのか、ひやひやするような事してくれるんですよね」とおっしゃいました。

それを聞いたわたくしとしては、あぁ、きっとわたくしも日本企業に勤めたら、「常識がない」「いい加減」「失礼」なことを知らず知らずのうちにしでかしてしまうかもなぁと、ヒヤッとしたと同時に、そうはいっても、ここは中国で、生活のほとんどを中国人と共にしているので、対外的にだけ「日本基準」を維持するのは疲れるというのを通り越して、気が狂うのだけど…と思わなくもありません。
いちおう、今は対外的には日本基準で、内部では日本基準と中国基準を使い分けているつもりではいるのですが。

一般的な日本人のよいところをあげれば、
真面目で細かい。
仕事の基準が本当に厳しい。
いつも礼儀正しい。
信用・誠実を大切にする。
誰に対してもわりと公平。
チームワークがよい。

ちょっと乱暴な例えをすると、日本基準は120%の努力と成果を四方八方から強いられ、無言の圧力も含めていっぱいプレッシャーがかかるのだけど、中国基準だと98%でオッケーっていう感じですかね。日本人なら「2%もできなかった部分が残ってしまった」と青ざめるところですが、中国的には「ほとんど完成、何とか間に合った~」の安堵感のほうが大きい。最悪2%のクオリティの差によって仕事に多少支障がでたとして、ボスが恥をかき部下を叱ったとしても、お互い翌日にはけろっと忘れている…
外資企業で仕事をしているわけではないので、日本スタンダードを知らない人に日本スタンダードを押し付けることはできず(そんな権限もない)、その中で自分だけ日本スタンダードで生きていたら、気が狂うよ、きっと。
だから、わたくしも何があっても自分が最高責任者でもない限り、他人のために「ひやひや」してあげたりしない…
本当に100%完璧にできることなんてほとんどないわけですから、心身のバランスを保って長く仕事を続けるには「ほどよい加減」も必要なのではないかと思ったりもします。

多分、これがわたくしが中国人でもなく、中国人の親族がいるわけでもないのに長く中国で仕事をし続けられる理由だったりもするのではないでしょうか。

6月
2009

おひとりさまの必需品

日経ビジネスオンラインネタであります。

おひとりさまの人生メンテナンス術
特別対談 上野千鶴子×深澤真紀

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090604/196681/

わたくしも「おひとりさま」みたいなものですから、興味深く拝見していたりします。
母と夫の介護が終わったら、貧乏で孤独な老婆というのが行く末かなぁとか思っていたりするので。

深澤 女1人で暮らしていて、電球を取り換えられなかったり、瓶のふたが開けられなかったり、固いネジが回せなかったりすると、「こんな時に男がいてくれたら…。ひとり暮らしってつらい」って思ってしまいますからね。
上野 確かにそう。
深澤 こういうちょっとしたことが、“おひとりさま”を生きるためのメンテナンスになると思うんです。
上野 全くそうね。

しかし、上記は自分には全然、当てはまらないのね。
わたくし、身長が177センチもあるでしょ。ついでに腕も長いのね。
だから、天井が低い家で、腕を思いっきり上に伸ばしたりすると、冗談抜きでツキ指とかしちゃうわけで…。
前に友人宅で、電球を椅子にも乗らずにそのまま、ひょいと変えてあげたら、ものすごくびっくりされました。
通常の天井では椅子なんていりません。

それから…実はわたくし握力がすごくあるのね。
手がもともと大きいってことが関係あるのかもしれないけど、明らかに普通の女子や軟弱な男子より強い。
もっとも、ごっつい男性には全然かなわないのだけど。
だから、蓋も自分で開けられる。
でも、これは黙っていれば誰も知らないことなので、男性が「かしてごらん、開けてあげる」と申し出てくれた際には、「ありがとう~~~」と可愛いふりをしておきます。

それから、もともと工作が好きなので、ねじを回したりする必要のあるお仕事、水道の蛇口に濾過機をつけてみるとか、全自動洗濯機のホースの設置とか、全部自分で出来てしまうのね。

そういえば、ビデオやパソコンの配線だって分かるし…
(男性がわたくしに設定の仕方を聞いてくることもあったりして)

可愛くない女だなぁと思います。

そんなことより、こんなときに男性がいてくれたらなぁと思うのは、外食するとき。
わたくしは食べる量が少ない。
一人ではたくさん注文できないので二人だと便利。
お肉とか食べられないので、自分が食べられないものを相手が食べてくれる。

先日、上野でもんじゃ屋に一人で入ったのだけど、一種類のもんじゃしか食べられないから、つまんなかった。
旦那さんと一緒だったら、二種類頼んで、わたくしが四分の一の量で二種類の味が味わえたのに…と思って何だか非常に寂しくなったのでした。

6月
2009

田山花袋の蒲団に考える

今日の日経ビジネスオンラインに古川 琢也「若い子にモテたつもりで、『蒲団』に突っ伏して泣かないために~「尊敬」を「恋愛」と取り違えた男の悲喜劇」と称して「蒲団・重右衛門の最後 」田山花袋著、新潮文庫、362円(税抜き)の書評がアップされていました。
中年の作家が若い女性の弟子に惚れ、最終的に弟子が使っていた蒲団に顔を埋め、匂いを嗅ぎながら泣くという、ちょっと引いちゃうあらすじはよく知られていると思います。

古川 琢也氏はこの話と昨今の大学教授のセクハラ訴訟を重ねてみると、かつては原告と被告のどちらかが嘘をついていると思っていたが、この本を読んでみると、どっちの言い分も本人サイドからしてみたら真実なのだろうなぁ述べられた上で、何も作家や大学教授に限らず、一般企業人で指導的立場にいる人にも当てはまるんじゃないかとお書きになっておられます。

教わる側が向ける尊敬の念と、恋愛に特有なロマンティックな感情とは必ずしも重なるものではない(というよりむしろほとんどの場合、根本的に別物ですらある)ということをよくよく理解しておかなければいけない。そのあたりを早合点すると、我々も蒲団に突っ伏して泣くことになる(くらいで済めばまだいいが、 改正男女雇用機会均等法も施行されている現在、場合によっては民事事件、刑事事件の被告にもなりうる)。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090602/196450/

わたくしには大好きで尊敬しているご年配の先生や兄弟子、仕事相手がいっぱいいますから、そういう女性の気持ちは本当によく分かります。
もし、わたくしが美人だったら、先生や兄弟子は変な気を起こしたかもしれないので、今になって思うと、美人でなくて、よかったなぁと思ったりするのです。

ところで、古川氏はこうも書かれておられます。

とはいえ世の中のあらゆるケースに例外があるように、この場合も例外、つまり「尊敬」と「恋愛感情」が重なってしまうことがまれに実在するから困ってし まう。そうした少数の例外がある以上、「他の連中はどうあれ、俺は違う気がする」と思ってしまうのも、また無理ならぬことだ。

これも、よく分かります。
わたくしは例外も経験しておりますから。
なぜなら、わたくしの夫は大学の教員で、それこそ、この「蒲団」の主人公と弟子の年齢差よりも大きい年齢差があったりします。

石川氏は男性なので、若い女性の気持ちは体験できないからか触れられておりませんが、若い女性は、容易に「尊敬」と「恋愛」を錯覚、つまり自分自身でも取り違えることがあるので、話はもっとやっかいですね。
わたくしもかつては若い女性だったので、若い女性の気持ちはよく分かります。
わたくしの想像ですが、宋慶齢と孫文の結婚にもそういう感じがあったのではないでしょうか。
ぶっちゃけた話、わたくしも夫に初めて会った頃は、おそらく「尊敬」と「恋愛」を錯覚していたような気がしないでもありません。
(もちろん、それだけでは今に至りませんが。)

これまで、セクハラ訴訟の原告にもならずに、上司の愛人にもならずにここまで平穏無事に生きてこられたのは、おそらく、わたくしが美人でなかったからなのだと思います…

6月
2009

今、法学研究者志望者っているの?

先ほど、情報ネットワーク法学会のメルマガを読みました。
メールマガジン編集担当理事の湯淺墾道先生の編集後記に次のようなお話がありました。

法科大学院制度の発足の影響を受けて,法律学関係の学会では軒並み若手会員の入会が減少しているようです。オーバードクターや博士フリーター問題が深刻となっており,全体的に研究者志望者が減少しているのではないかという話もあります。法律学においては,そもそも今後法律学研究者という存在自体が成り立つのか—-法科大学院を修了して司法試験に合格した後,さらに大学院博士課程に進学して学生を続けようという酔狂な人がいるのか—-という問題もあります。
IN-Law Newsletter第120号(2009-06-01/1,372部発行)
情報ネットワーク法学会メールマガジン編集担当理事湯淺墾道

わたくしが20代だった頃から、大学院、特に博士後期課程に進む人は「入院」なんて言って、いつ退院できるかどうか分からない人生おしまいみたいなイメージがあったし、本人はそれでも研究したいのだからしょうがないじゃん、みたいな諦めもあったけどね。

確かに、憲法とかだと「法学研究者」という職業は成り立ちそうですが、会社法や経済法と言われる分野では本当に難しいような気がいたします。
いつも思うのは、政治とか歴史等の社会科学分野で博士学位を持っていれば、それなりに専門家ですが、日本では法学で博士を持っていても、弁護士じゃなかったら何の役に立つのか、企業の法務部で実務を勉強する機会がなければ、結局一体、あんたは何なの?というのが現実なので、確かに若手研究者なんて、よほど酔狂な人かよほど鈍い人(わたくしですね)、もう少し控えめに言えば、忍耐強い人でなければ、精神的におかしくなるだろうと思います。

先日、出版社の方とお話していても、「「実務に直結」する本でないと、最近は売れませんね」としみじみおっしゃられていました。

しかしながら、実務にはあまり関係ない話がしたいとき、わざわざ、わたくしを探す酔狂な方もおられるので、生きててよかったなと思います(^^;
しかしながら、法学研究者になりたいのだけれどと若い子が言ったら、一発で司法試験に受かるようなとびきり頭の切れる人でもない限り(そういう人はわたくしにそんなこと言うはずないですけど)、「やめといたら?もっと楽しい人生の選択肢がたくさんあると思うよ」と言うと思います…

5月
2009

居留許可

一般的に外国人が中国で仕事をするに際して、就業許可及び居留許可が必要になると思います。
これは一度手続をしたら、それでよしというものではなく、たとえ転職しなくても毎年、延期が必要になります。
本日、無事にすべての手続を終えました。

まず、自分を雇用している単位(会社等の組織です)の年度検査が無事に終了しなければ、話になりません。
法律事務所の場合、5月から6月、司法部の審査を受けます。

次に労働社会保障局へ行って就業許可の延期申請をします。
このときに、年度検査を通過した後の単位の営業許可証の副本を持参する必要があります。
また、申請書には単位(わたくしの場合は法律事務所)の捺印が必要になります。
(さらに、わたくしの場合、企業に雇われているわけではないので、申請書に司法部の捺印も必要です。)
それから事務所とわたくしの労働契約書も必要です。

次に公安入出国管理局に居留許可の申請をします。
この時も、事務所の営業許可証副本が必要になります。
それから実際に居住しているところの派出所が交付する住宿登記という証明書が必要になります。
居留許可証の延期申請書に事務所の捺印が必要です。

居留許可はだいたい1週間で下りますので、そうしたら、新たらしい就業許可証、居留許可証(パスポートにぺたっと貼られています)の原本及びコピー、賃貸契約書や貸主の身分証の写しを持参のうえ、居住地区の派出所で住宿登記を行います。
このときにくれる「住宿登記証」はその居住地を離れる時や、来年、居留延長をする際に必要になります。

こうしてみますと、いろいろな役所がからみ、役所同士はお互いの事情なんて知ったこっちゃありませんし、雇い主の事情もあり(例えば営業許可証の副本を借りなければならないけれども、自分が必要な時に、事務所自身が様々な事情で必要なこともある)、時間的にキツイので、毎年、憂鬱です。

おかげさまで、何事もなく済んでほっといたしました。
自分自身が、中国の会社の経営者であれば、営業年限などに応じて長期の居留許可がすんなりとれるのかもしれませんが、わたくしに会社を経営する才能なんてないしなぁ。

ところで、わたくしの居留許可は毎年、1日ずつ少なくなっています。
これは、例えばもともとの居留期限が2008年5月31日までだったとすると、更新する際、2009年5月31日までとすることは可能なのですが、手数料は800元になり、30日までだと400元ということだからです。
手数料は自腹だし、いずれにせよ、たったの1日しか違わず、400元余分に払ったとしても1日以上余分にくれることはなく、10年働けば9日少なくなるわけですが、30年も働くことはあるまいと思っているから、400元でいいやってことにしているからです。

どうしてこうなっているのか不思議だったりします。
やはり、雇用の機会はできるだけ自国民に与えて、どうしても外国人を雇う必要がある場合に限り、外国人を雇ってもいいというスタンスだからなのでしょうか…
日本の外国人の就業許可はどうなっているのか、少し気になるところでもあります。

5月
2009

明日から端午節休暇

中国は28日から3日間、端午節の連休になります。
日本の祝祭日と中国の祝祭日は違うので、わたくしの手帳には中国のカレンダーも差し込んであるのですが、なにぶん、小さいので見落としてしまい、先ほどまで明日から休みだということを忘れておりました。

そういえば5月1日の労働節も、前日の昼まで、翌日が休みであることに気付いていませんでした。
もっとも、休みでも家と職場が近いので、仕事の都合によっては職場に来ますから、あまり意識がないっていうのも、休みを忘れる理由なのですが。

大手外資系法律事務所とか、ビルの明かりが1晩中消えないと聞いたことがありますが、うちはそうでもなく、祝祭日はあまり人がいることはありません…
皆さん、お家で仕事をするのでしょうけど、わたくしは家にネット環境がないので、職場かネットが使える公共の場所に行かざるを得ず、仕事の書類は公共の場で扱うわけにはいかないので、結局職場に来てしまうのでありました。

あ、端午節といえば「ちまき」ですよ、ちまき!
わたくしは普通に甘い味が好きです。
お肉とか、訳分からないものが入っているのはいやですね。
学生時代は学校の食堂でタダでもらえたんだけど(^^;