3月
2009

夢は見るものか作るものか?

ここ最近、夢をよく見ます。
眠りが浅いのでしょうね。
わたくしはどちらかというと、6~7時間くらいでいいので深く眠る方が好きなのですが。

ぼーっとしているようで、これでもいろいろ悩みがあるので、それが夢に出てきてしまうのでしょう。

ところで、日本語では夢は「見る」ものですが、中国語だと「做夢」といいまして「做す(なす)」ものです。
なんか「見る」というと、自分とは関係ないところで勝手に展開されて、受動的な感じですが、「做す」となると、自分が作っているという主体的な感じがしますよね。
あこがれの人が夢に出てきた場合、その人が自分のことを思っているのか、自分がその人のことを思っているのか、果たしてどちらなのでしょうね。

今日はパソコンが盗難にあう夢を見ました。
先日は外で殺人があった夢を見ました。(わたくしは行為者でも被害者でもなく目撃者?)
ちょい前は財布を忘れたまま、旅に出る夢を見ました。

などなど、起きるとどきどきしているような内容ばかりで…(起きてから、パソコンや財布を確認したのはいうまでもありません)
ネットで夢占いサイトを見たりもしてみました。
いずれにせよ、未来の見えない自分にあせりを感じているのかもしれません(^^;

1月
2009

お金の話

さきほど、丸善で西原理恵子「この世でいちばん大事な『カネ』の話」、理論社、という本を買って読み終わりました。
西原さんの自伝なのですが、かなり心にぐっときました。
お父さんのギャンブル中毒、自殺、家はびんぼーだけど、東京の美大に進学した彼女は、出版社を50社以上回って営業し、カットを描いて生活費を稼ぐというすごいパワーに感動しました。

お金の話をすることを日本人はよしとあまりしませんが、人間、お金がなければ生活できませんし、夢やプライドだけでは生きてはいけないのも事実。
そして、才能に恵まれて、お金に不自由せずに、あれよあれよという間に漫画家になったわけではない彼女の話は、なかなか役に立つなぁと思いました。

「どうしたら夢がかなうか」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって「どうしたらそれで稼げるか?」って考えてみてごらん。
…略
「いいじゃない。お金にならなくても」ってやってるうちは、現実にうまく着地させられない。それこそふわふわした、ただの夢物語で終わっちゃう。
そうじゃなくて「自分はそれでどうやって稼ぐのか?」を本気で考え出したら、やりたいことが現実に、どんどん、近づいてきた。

確かに夢という言葉はかなり抽象的ですから、それでは具体的に行動が起こせませんね。
会社や社会の利益のために自分の才能をどう活かすか、それが働くことの意義だと言う人もいますよね。
どうしたら、自分のできることでお金が稼げるか、そう考えてみたら、「好きなことがわからない」と悩んだり、自分探しの旅に出たまま戻ってこれなくなる人は減るのではないでしょうか。

なんといいますか、わたくしには西原さんのような大変な経験はありませんが、大学や大学院に落ちまくり、苦学生という程深刻ではないけどのんびりと学生時代を過ごした人間ではないので、非常に共感できる1冊でした。

12月
2008

人は見た目

よく不細工な女の子に対して、「見た目じゃないよ、中身だよ」などと建前を言う人がいますが、そんなわけないだろうとすでに多くの人が知っていますよね。

で、この本もそういうことをズバッと言ってくれているわけです。

モテれ。
  • モテれ。
  • 著者:春乃れぃ
  • 価格:1260円(税込)
  • 時間:3時間06分29秒

携帯小説界でヒット連発!話題の新人作家による、キレイごと一切なしのモテるテクが満載です。

わたくしは今まで日本で携帯をもたなかったから、知らなかったな。

ところで、わたくしの生まれ育った環境は、かなり本当のことを言ってくれる男性ばかりが周囲にいたため、今更びっくりすることはないのですが…

死んだ爺ちゃんは「ダンボールに詰められた捨て犬だって見た目が可愛い子から拾われていくだろ、女の子だってそうに決まってるよ」とバッサリいい切り、死んだ父さんも「商売の話をする以前に、相手につま先から頭のてっぺんまで見られて、値踏みされているからな、話を聞く前にすべて決まっちゃってるんだよ」とあっさり言っていました。

若いころのわたくしは、父さんの好きな女性のファッション、即ち古典的なきちんとしたスーツを着ているけど、胸元が見えそうで見えないくらい開いているというのが嫌いでしたが、今だったら、父さんが何でこういうものをわたくしに着せたがったか分かるような気がします。
(ただのスケベではなかったんですね)

若いころはとにかく、父の趣味に反抗して自分の着たいようにラフなものを着たり、かわいいものばかり着ていましたが、今頃になって、父の言うこと聞いておいた方がよかったのかな、なんて思ったりします。

この図体では、根本的にかわいいものが似合うわけもなく、かといって男性のスーツのようでは可愛くない女でしかなく、だいたい社会はなんだかんだ言っても男性社会なのだから、悪い意味ではなくきちんとしていて、それでいてモテたほうがよいに決まっている。

そんなわけで、子どもの頃からでかくて可愛くなかったわたくしとしては、余計に気をつかうべきだったと反省してこんな本を聴いてみたというわけです。

感想は、とにかく笑えました。
未婚女性なら婚活に役立つし、男性なら女の子の嘘を見極めるのに役立つと思います。(男性の場合、女の子のテクを見抜いた上で、それを責めるのではなく騙されてあげれば、もっともてると思います…)

余談ですが、弁護士はお水の方とは違うわけで、色恋で営業するわけではありませんが、人気のある女性弁護士さんというのは「可愛い」と思います。
もちろん、見た目が超可愛いとかそういうことではなく(元の素材が良いに越したことはありませんが)、相手から話題を引き出すのが上手で、とても気がきくと思います。

11月
2008

得手不得手

先日、梶原一明著「本田宗一郎―不可能を可能にする言葉」を聴きました。

いろいろな成功者の方々に関する本を読み物として楽しませてもらいつつ、どなたも雲の上の人だと言わざるを得ないのですが、本田氏はちょっと特別です。
なぜなら、若くして亡くなった叔父がHONDAに勤めていて、その名前をよく口にしたからです。
学歴の低い叔父でしたが、そこそこ出世できたのはHONDAIUMのせいかもしれません。

故人の伝記は誇張されたりしがちですが、オーディオブックを聴きながら、それにしてもすごい奇人変人ぶりだなぁと笑ってしまいました。
研究熱心なあまり、服を脱ぐのも忘れて風呂に入るなんて日常茶飯事とか・・・

そういう奇人変人ぶりはわきにおいておいて、ちょっと気になった点を紹介。
本田氏は日記を書かなかったそうです。
作文が子どものころから苦手だったという理由もあるそうですが、本当のところは嘘を書くわけにはいかないからのようです。
浮気のこととか書いたら、裁判所も動かぬ証拠として認めるだろうし、真実を書くことが必ずしもよいことではないと言いつつも、反面、日記というのは自分を偽って書き記すおそれがある点も嫌だったようです。

確かに日記やブログは失敗も綺麗事にして、がんばろーみたいに無意味な努力や根性を掲げて自分を演出することも可能ですしね。
わたくしが思うに言葉というのは発したり、書き記すとそこでエネルギーが消費されつくして、そこで「はい終わり」になりかねません。
最高の技術という結果を皆さまのお役に立ててなんぼの彼にとって、書く暇があったら実践、だったのかもしれません。

反対にわたくしは昔から作文は得意でした(中身がよいのではなく字数がすぐにオーバーする)
しょーもないことをだらだら書くのが好き。
作文の授業のときに、突如、何もネタがないことに気づいて困ってしまい「どうしてネタがないのだろう」ということについて、だらだら書いて先生を呆れさせたかと思えば、絵だけで原稿用紙を埋めることもあり「文字を書きなさいね」と先生にやさしく注意される問題児でした。

人には得手不得手があります。
「得手に帆をあげて」というのが本田氏の哲学で、彼は好きな技術を活かして、苦手な経理は他人任せだったというのは有名な話。

自分の得手を早いうちに見つけられた人は幸せです。

11月
2008

笑うしかない

わたくしのここ1年の座右の銘は「笑うしかない」です。
著名な経営者や権威のある先生の座右の銘に比べたら、実にふざけているかもしれませんが、これがわたくしにとっての楽に生きるコツなのだから仕方がありません。

ところで、NIKKEIビジネスオンラインでよく読む記事のなかに深澤真紀氏の「自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術―自分をすり減らさず、『そこそこほどほど』に生きるコツ」というのがあります。
わたくしの周囲には心の病を患っている人が少なからずいますが、共通点はがんばりすぎていることだと感じてきました。
そういう傾向のある人にはこの50回にわたる連載は参考になるところがあるような気がします。
今朝見た第50回の連載終了記事にも考えさせられました。

ビジネスマンは、自分にイチローや松井秀喜の真似ができないことは分かっています。でも、同じビジネスマンである経営者や管理職たちの真似はできるんじゃないかと思っているところがあります。でも、それは間違いだと思うんです。

私も、各界で成功した方々の本を作ってきましたが、皆さんとにかく大変な強運と才能の持ち主で、なおかつ「その方にしか有効でない、とても独特な信念」を持っていたりします。そして、ご本人は自分がその方法論で成功しているので、「なんでみんな、ポジティブでいられないんだろう?」と不思議に思っているんです。

つまり、ビジネスにおける成功者もイチローくらい常人離れしているので、普通の人にとっては、あまり役に立たないんです。

成功者が書いているビジネス書や自己啓発書も、読み物として楽しむ分にはいいけれど、誰にでも真似できるものではないし、普通の人が読んでも簡単には真似できないと知っておいた方がいいと思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20081119/177754/?P=1

わたくしは自己啓発本をよく読む(聴く)し、ビジネス書も最近になってよく読み(聴き)ますが、深澤氏のおっしゃることはごもっともだなぁと思います。
わたくしが勝間和代を読んでも完全に真似するのは無理です(笑)。

いわゆる「できる人」と自分はそもそも同じ土俵に立てないし、立つ必要もないですよね。
でも、同じ土俵に立つべきという強迫観念みたいもの、世の中には確かにあるような気がします。

わたくしには、まだやりたいことがあるので、そのためにはやはり頑張らなくてはならないのですが、ポジティブには生きられないけど「笑いながら」生きていきたいとは思っています。
幸いなことに、わたくしの場合は自分が好きなこととか、やりたいことは非常に明確で、好きなことをやっているときは、超楽しいので無理やり笑う必要はありませんが…

友人はわたくしがいかにネガティブ思考に陥りやすい人間であるかを知っていますが、好きなことになると不可能であろうともやるので、ある意味ポジティブだと言う人もいます。

ぶっちゃけた話、博士課程在学中、今より15キロほど体重が軽くて、将来を悲観して毎日吐いていた時期もあります。
それでも、ひどいうつ病にもならず、なんだかんだ言いながら異国で生きていて、現在、くだらないことでも笑い転げているわたくしは、たぶん他の人より頭が鈍いのではないかと思っている今日このころです。

11月
2008

夢とスケジュールの関係

本書は居食屋「和民」を展開するワタミ株式会社の代表、渡邉美樹氏が提案する夢に最短距離で到達するための「手帳術」の本であります。

いろいろな方の「生き方」「手帳術」「自己啓発」に関するを読んでいると、お決まりの共通点があります。
やっぱり夢は口にするとか、紙に書くということがいかに大切かということです。
何かをやってきた人でこれをやらなかった人はいないのではないでしょうか。
最初に夢ありき。そこからそのために何をしたらいいのかを年間、月間、週間、1日のスケジュールに落とし込む方法です。
体力や財力、地位とかそういうものは何かをするための手段であって、最終目標ではないのですね(もちろん、最初はモチベーション維持のために金儲けのために一生懸命仕事をしたっていいわけですけど)

渡辺氏いわく「緊急ではないが重要なこと」のために時間は使うのです。
わたくしたちはだいたい「緊急で重要なこと」に時間を取られ過ぎ(会社員はほとんどそうかも)
もっと悪いケースは「緊急でも重要でもないこと」を何となくしてしまう(目的のないテレビ観賞とか)
例えば、お客様のクレーム対応は「緊急で重要なこと」で真っ先に対応すべきことだけど、本来はお客様からクレームが来ない様に日々どう研鑽するかが重要なんですね。
そのためには、どういうスキルを身に付けるべきか。
そういう理想実現のために、身につけておくべきものは山のようにあるはずで、これらはルーチンワークにしてしまうのがいいらしい。
期限を決めて、XXまでに日常英会話ができるようにする、と決めたら、どんどん逆算していって最終的には今日何をすべきかまで計画に落とし込むわけです。

多分、わたくし達のお勉強がすぐに挫折してしまうのは、やはり資格取得のための勉強とか、就職に有利だから云々とかいう理由で、じゃあ、それを成し遂げたら、あなた何やるの?っていうとところがつきつめられていないのではないでしょうか。
この就職難の時代に目先の目標を見つけて安心したい気持ちはよく分かるけど、それは本末転倒なのですね。

司法試験を受けたことのある方なら、伊藤真弁護士をご存知かと思うのですが(もとLECのカリスマ講師で今はご自身で伊藤塾というのを設立しておられます)、彼も司法試験受験者に、弁護士になった自分が何をしているかをイメージしてそこから逆算しろというようなことを著書で述べられています。
そもそも試験に受かることは手段であって、そのあと、法曹になった自分が何をしたいのかが明確にイメージできなければ過酷な試験をパス出来るはずはありません(天才中の天才は別かもしれませんが)。

つまりお勉強は手段なんです。
何かもっと大きな理想といいますか、ミッションみたいなものを遂行するために、今、何をすべきか、そういうことなのでしょうね。

話は急に「読書感想文」から飛びますが、ミサンガってご存知ですか?
ミサンガというより、プロミスリングの方が一般的な呼称なのかしらん。
サッカー選手がしているっていうんで、一時期流行したやつです。
手芸の組み紐の一種で、刺繍糸を何本もあわせて編み、手首や足首などに巻きつけて使用し、紐が自然に切れたら願いごとがかなうというジンクスがあります。

わたくしは、手先は割と器用な方で、大学院浪人時代にミサンガを3本手作りして、1本1本に願を掛けて足首に巻いていました。
これはミサンガを見るたびに、お勉強しなくちゃ~と思わせるという効果もありました。
2本は自然に切れましたが(ちなみに、1本は博士後期課程の入試にパスしますように。2本目は博士学位がとれますようにと願をかけていました)、3本目は切れる前に自分ではずしてしまいました。

やはり3本目はそのままにしておくべきだったんでしょうね。

わたくしの場合、その3本目に託した夢のために40歳までに何をすべきか、45歳までに何をすべきか、50歳までに何をすべきかをイメージして、日々のスケジュールを埋める必要があるのでしょう。

10月
2008

本当に何にでもなれるのか

「人は何にでもなれる」というのは本当でしょうか?

この頃は「勉強法」の本がブームですね。
でも、いくら勉強法を読んで「技術」「知識」だけ詰め込んでも意味がありません。
多くの人がそれで結果が出せずに挫折していますね。

では、どうしたらいいのか。

通常の思考パターンが『リミッター』になっていたら、せっかくの努力も無駄になります。
「時間活用術」とか「勉強法」にいくらお金と時間をかけても、『リミッター』が限界です。

仕事アタマの設計図 思考のボトルネックを解除しよう!

もっともだと思います。

確かにこれまでの自分の人生を振り返ってみると、著者のいうリミッター(制限)、つまりボトルネックをはずすことが「何かになる」ために一番大事なことだということが分かります。

著者はボトルネックをうまく外した例として「ドラゴン桜」という人気漫画(ドラマにもなったらしいですね)を引用してこうも言っています。

『ドラゴン桜』という漫画をご存知でしょうか?
ストーリーは単純です。しかし、衝撃的な内容です。
不良高校の建て直しに来た主人公が、やる気のないダメ生徒二人を東大合格に向けて、がんばらせるといった内容です。
この中で、実は「東大に行くのはごくふつうの話」ということをわからせるくだりがあります。
「誰でも東大に行くことは可能」という「可能性」を信じたダメ生徒二人は、教師の特殊な指導により、猛烈に成績を上げていきます。
さて、結果はどうなるのでしょうか?
興味があれば、『ドラゴン桜』を読みましょう。人生が変わりますよ。

この例、実はわたくしにとっては新鮮でも何でもありません。
自分自身が同じような体験をもっているからです。

当時、学校の成績もよくなかった商業高校出身である自分が、普通入試で大学に合格して、その後東大に匹敵するかどうか行ったことがないのでよく分からないけど、一応中国人だったら入るのがかなり難しい大学院の研究室に籍を置くことができて、最終的に学位とって卒業しているからです。
(普通高校や受験予備校・各種スクールへ生まれてこのかた行ったことがないのですから、当然試験のノウハウが分からず、大学・大学院入試は何度も何校もすべっているし、修士も博士も1年卒業延期をしていますけどね…^^;)

ですから、ある程度のことについては、自分で自分の足かせをはずしてやれば、「何にでもなれる」のだと思います。

でも、実は最近、わたくしの足かせは、はずれるどころか重くなる一方なのです。
わたくしのボトルネックとなっている思考はこれ ↓

「中国でいくら一生懸命仕事をしても、結局、帰国すればその職歴なんて何の意味もない。」

もしかすると、自分のネガティブな思い込みが、自分の未来を真っ暗にしているだけなのかもしれませんが、常識的に考えて、専門職でない若くない女が日本で就職相談することは、街中の旅行社に行って「宇宙旅行したいんですけどぉ」というくらい、突拍子もない相談だと思います。

友人知人にいわせるとわたくしは「行動的」「勇気がある」から不可能を可能にするそうですが、わたくしが思うに頭が他人と比べて鈍いので自分の能力の限界が分からないというか、そもそも考えられないというか…

読書感想文に話を戻すと、本書は「選択のボトルネック」の章で、人生で「選択」を誤らないことが大事だと述べており、簡単な理由を挙げて、法律の勉強をしている人が菓子職人をしているのはいかがなものか、適切な場所を選べと述べております。

また、一番最悪なのは、好きでも得意でもないことを収入がいいからとか、資格等に権威があるから等の理由で選択することだとも述べています。

現在、好きで得意なことを仕事にしているわたくしは、幸せなので何ら悩む必要はないのかもしれませんが、日本で一生できる仕事ではなく、老後日本で何の保証もないまま孤独死するであろうことを考えると、いまのうちに何とかすべきなのですが、何をどうしたらいいのか分からなくなるのでした。

「好きなことが分からない」と嘆く若い子や心の病の人からしたら、幸せな悩みなのかもしれませんけど。

「何者でもないことは何にでもなれること」というのがわたくしの20代の頃の信条でしたが、40に近くなった今になって、「本当ですか」と自問自答です。

本書は自己を制限するボトルネックという概念そのものに気づいていない人にはお薦めです。

しかし、結局、ボトルネックを外すのは自分自身であり、他人がいくら励ましてくれても、どうにかなるものでもないので、その先はやはり個人個人の試行錯誤かもしれません。

誰も雇ってくれないなら、起業?
でも、資金も才能も人脈も無いよ…

↑ これが思考のボトルネックってやつ?
(金も人脈も無いなら無いで今から作って自分の才能の無さは周囲に補ってもらえよというのが、未来を変える人の思考パターンでしょうね)

負のスパイラルから抜けるには、やはり本気で自分の限界を知らないバカになるしかないのでしょうか(@_@)。

10月
2008

パソコンを買い替えたい

今、使用しているパソコンを新年に買い替えようと思います。
今のパソコンは1年くらい前にCPUやメモリ等を指定する方法でウェブで買ったものです。

実は今使用しているパソコンの前に使用していたパソコン(今のと同じモデルでCPU等のパワーアップ前のモデル)はシステムが不安定で(突然予期せぬエラーが半年に一回起こり、専門家に診てもらう時は異常が見られず、検査しても初期の不具合が見つからないため文句のつけようがないまま、さすがに爆弾をかかえているのが嫌だったので、さっさと売り飛ばした)、今のはそういうことはないのですが、コンセントがこの間パーになりまして(といっても、普通に使用していただけで電圧オーバー等してませんけど)、中国のコンセントを使用しております。
このパソコンのシリーズはヘビーユーザーには向かないのかも知れないのかななどと思いつつ、別のメーカーに乗り換えてみようかと思ったのです。

いまのパソコンを夫に譲って、自分は松下のLet’s Noteを使用してみたいと検討中です。
夫は研究室で反応が超にぶいCPUと少ないメモリしか搭載していないパソコンにXPという構成でも平気で使っていますが、私は何でも新しいものを試したい性格なのです。
ちなみに我家に一台置きっぱなしにしてあるノートは、わたくしが前の前に使用していたXPモデルのものです。
さすがの夫も最近、パソコンを買い替える気になっているようなので、下取価格で押し付けるいいチャンス到来。

ちなみによくドラマ等で女の子が男の子に「パソコンをネットにつないで」とか「プリンタと接続して」とか「調子が悪いからみてくれ」とか可愛くお願いして、男の子が鼻の下をのばして手伝ってやるなどという光景が見られますが、我家ではあり得ません(^^;

「プリンタが動かないんだけど、研究室まで見に来てくれない?昼飯おごるから」と、かなり前に夫に頼まれて見に行ったことがありますが、物理的に電源コードの接触が悪かっただけってこともありましたね。
(昼飯はきちんとおごってもらいました)

以前、ある方のアシスタントをしたときに、その方が新しく買ったLet’s Noteとプリンタとの接続やその他の調整をお願いされて触ったことがあるのですが、何だかよさそうでした。
本当のところ、どうなんでしょう。
身近で使っている人いないかな。

10月
2008

「世の中を変えるボタン」

謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦

久しぶりの読書感想文。
10月もいろいろ聴いたり読んだりしているのだけど、これといって人様にお見せできる感想文を書いていないのでお久しぶりということになってしまいました。

「BuyMa」「pressblog」「filmo」と世界初のウェブサービスを次々と世に送り出し、「世の中を変えるボタン」を押し続けているベンチャー企業エニグモの成長記です。

実はこのオーディオブックを聞くまで、このサービス知りませんでした(^^;
わたくしはベンチャー企業の創業話などを読んだりするのも結構好きです。
だいたい、起業前夜とかなんとかいう、「こいつと会社を作りたい」とかいう起業仲間を見つけた瞬間のいい思い出話等には感動してしまう方です。
一人の会社組織というのもありますが、やはり自分にないものをもっている人と互いに補い合うことで、組織として強いものが出来上がるわけですから、「誰とやるか」は当然重要ですよね。
自分が大きな夢を描いて、「誰かついてこないかね?」と声をかける社長タイプ、「こいつはすげぇ」という人をサポートする方が好きな参謀タイプ、世の中にはいろいろいますしね。

年収900万円を捨てても、それ以外のものが起業によって手に入るから、そっちを選んだというセリフは、かっこいいなぁと思いました。
そもそもそんな年収ないから、言いたくても言えないよ。

中国にいると、日本よりはるかに高い頻度で皆、起業の話をします。
多分、日本よりも就職に安定性がないことと、競争社会であること、それなりに発展のチャンスがまだその辺にごろごろ転がっているせいなのかもしれませんが。
「で、いくらならうちの会社で仕事してもいいと思う?」と聞かれたことや「今の月給いくら?」とかズバリ聞かれたこともありますが、日中の貨幣価値の差があるため、外資でないベンチャー企業なら(日本的基準から見たら)相当低い賃金で昼夜なく働かなければならないことは目に見えているので、具体的に話を聞いたことはありませんが。

わたくしは女なので日本人にはこんなことを言われませんが、何故か中国人にはたまに言われます。これも社会構造の差なのでしょう。
要するに日本人で中国語ができるからという理由だけで、安い給与で働いてもらえないかなとダメもとで聞かれているだけだしね。

事業に対する相当の熱意と、パートナーによほど惚れこんでないと、起業ってできないですよね。

自分にはできそうにもないので、今日もこうやって熱い本を読んで(聴いて)疑似体験したくなるのかもれません。

9月
2008

奔馬(ほんば)

昨年、同い年の中国人男性弁護士が日本語の勉強のために、三島由紀夫「春の海」が原作の映画(確か竹内結子さんが出演していらした)のDVDを見てよかったーと言っていたのにつられて、どんな話だったかなと思いだせず、帰国の際に小説「春の海」を買ってしまいました。

で、古風な言い回しにはまってしまったのです。
う…うつくしい日本語。
何と言っても、今どき使わないだろうというような漢字がいっぱいでてきて楽しい…楽し過ぎる。
因みにわたくしは難しい漢字を書くことは苦手ですが、眺めるのは大好きです。
中国語、特に台湾の旧漢字を扱うときには、ものすごーく、ワクワクしますね。
夫にいわせれば、「漢字ばっかりで気持ち悪い」そうですが、わたくしに言わせれば「アルファベットばかりの英語の方が相当気持ち悪いし、だいたい音読しなければ意味の分からない言語なんて煩わしい」ですが。

三島先生の豊饒(ほうじょう)の海は四部作で、「春の海」の次は「奔馬」になります。
前置きが長くなりましたが…法律屋さんらしい話題に移りましょう。

「奔馬」には控訴院判事(注1)が登場します。三島先生の話の筋とは関係なく、いろいろな描写が可笑しくって仕方がありません(不謹慎ですみません、ファンに悪いですね)

判事にとって重宝なものは風呂敷というものであった。往(ゆ)くにも帰るにも書類を携えているが、それが少ないときはよいが、大ていの場合は嵩(かさ)ばって、手鞄には入りきらない。厚くても薄くても、自在なのは風呂敷である。

学生時代、わたくしの周囲にはたくさんの司法試験受験生がおりました。
わたくしも、風呂敷抱えた見た目には全然いけてない判事さんの姿にあこがれ、たまたまデパートで見つけたかわいい風呂敷に勉強道具を包んで、勉強会に行ったこともあったけなぁと思いだしました。

今どきは法曹界の人も風呂敷なんて使う機会、多くはないのでしょうね。
田舎の結婚式の引き出物を包んである風呂敷くらいしか見ないような気がします。

この風呂敷包は仕事の生命であるから、汽車に乗っても、決して網棚に乗せないのが心得である。

そらそうでしょう。そんなものを失くしたらえらいこっちゃ。
我々の仕事でもクライアントのデータが漏えいしたら、わたくしの首をはねたってお詫びできないでしょう。

或る判事は、裁判所がえりに同僚と酒を呑むときなぞは、風呂敷の結び目に紐(ひも)をとおして、その紐を首にかけておくのが常だった。

ダサイ、ダサすぎる…
本当ですか?とご年配の方に聞いてみたい。
確かにわたくしも失くしたら困るものはとにかく紐をつけて首から下げるようにしてますが、考えることは皆同じなのかも。

そんな判事さんたちの日常はといえば…

ふだんは梅田新道のカフェーやおでん屋で呑むのがほどほどの遊興である。あるカフェーでは、女給に時刻を訊くと、スカートをまくって、太腿に巻いた時計を見て答えるのをサーヴィスにしていた。

古い話題で恐縮ですが、ノーパンしゃぶしゃぶ(注2)とかと同じ趣向?
ガーターストッキングかなんかに時計つけたら、今でも風俗で流行るかも。

もちろん中には固物(かたぶつ)もいて、カフェーを正直にコーヒーを飲むところだと考えている判事もあった。

正直にソープランドを銭湯だと思っているようなものでしょうか?
いるの?
そんな人。

千円の横領事件の審理に当たって、被告が、みんなカフェーで使った、と陳述すると、彼は大いに怒り、
「嘘をつけ。コーヒーは一杯五銭ではないか。そんなに沢山コーヒーが飲めるわけがない」
と言うのだった。

(出典)三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海第二巻)」新潮文庫 昭和52年8月

お…面白い、面白すぎる…
輪廻転生をテーマにしたロマンあふれる小説のはずなのに、なぜ、どうでもいいところに茶々(ちゃちゃ)を入れたくなるのだろうか。
ごめんなさい、三島先生…

(注1)控訴院―旧裁判所構成法の下で主として民事・刑事の控訴を管轄した裁判所。1947年廃止。「大辞林」より
(注2)しゃぶしゃぶ料理店なのだけど、女性店員が何故かノーパンで接待してくれるそうです。聞くところによれば床を鏡張りにしていたり、高いところにアルコール類を置いて女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がるとチラッと見えたりするのだそうです。飲食費として領収書を処理できるので接待に使われたりしたそうですが今もあるのでしょうか?