11月
2008

ここ数日更新しなかった訳

12、13日、朝から晩までず~っと会議で、死ぬほど疲れていました。
朝10時から夜の9時はさすがにキツイ。

もちろん弁護士や某社の法務の方々はわたくしの倍以上お疲れだと思うのですが…
つくづく、体力が基本ですね。

皆「化けもの」です。

11月
2008

あったかい

ビルに暖房が入る日は国が決めます。
確か、15日だったような気が…
だから部屋が寒いです。

先ほど、資料をプリントアウトしたら、熱であったかいです。
スリスリしちゃいました…
あ、パソコンのアダプターもあったかいわ。

寒がりなんです、わたくし。

11月
2008

夢とスケジュールの関係

本書は居食屋「和民」を展開するワタミ株式会社の代表、渡邉美樹氏が提案する夢に最短距離で到達するための「手帳術」の本であります。

いろいろな方の「生き方」「手帳術」「自己啓発」に関するを読んでいると、お決まりの共通点があります。
やっぱり夢は口にするとか、紙に書くということがいかに大切かということです。
何かをやってきた人でこれをやらなかった人はいないのではないでしょうか。
最初に夢ありき。そこからそのために何をしたらいいのかを年間、月間、週間、1日のスケジュールに落とし込む方法です。
体力や財力、地位とかそういうものは何かをするための手段であって、最終目標ではないのですね(もちろん、最初はモチベーション維持のために金儲けのために一生懸命仕事をしたっていいわけですけど)

渡辺氏いわく「緊急ではないが重要なこと」のために時間は使うのです。
わたくしたちはだいたい「緊急で重要なこと」に時間を取られ過ぎ(会社員はほとんどそうかも)
もっと悪いケースは「緊急でも重要でもないこと」を何となくしてしまう(目的のないテレビ観賞とか)
例えば、お客様のクレーム対応は「緊急で重要なこと」で真っ先に対応すべきことだけど、本来はお客様からクレームが来ない様に日々どう研鑽するかが重要なんですね。
そのためには、どういうスキルを身に付けるべきか。
そういう理想実現のために、身につけておくべきものは山のようにあるはずで、これらはルーチンワークにしてしまうのがいいらしい。
期限を決めて、XXまでに日常英会話ができるようにする、と決めたら、どんどん逆算していって最終的には今日何をすべきかまで計画に落とし込むわけです。

多分、わたくし達のお勉強がすぐに挫折してしまうのは、やはり資格取得のための勉強とか、就職に有利だから云々とかいう理由で、じゃあ、それを成し遂げたら、あなた何やるの?っていうとところがつきつめられていないのではないでしょうか。
この就職難の時代に目先の目標を見つけて安心したい気持ちはよく分かるけど、それは本末転倒なのですね。

司法試験を受けたことのある方なら、伊藤真弁護士をご存知かと思うのですが(もとLECのカリスマ講師で今はご自身で伊藤塾というのを設立しておられます)、彼も司法試験受験者に、弁護士になった自分が何をしているかをイメージしてそこから逆算しろというようなことを著書で述べられています。
そもそも試験に受かることは手段であって、そのあと、法曹になった自分が何をしたいのかが明確にイメージできなければ過酷な試験をパス出来るはずはありません(天才中の天才は別かもしれませんが)。

つまりお勉強は手段なんです。
何かもっと大きな理想といいますか、ミッションみたいなものを遂行するために、今、何をすべきか、そういうことなのでしょうね。

話は急に「読書感想文」から飛びますが、ミサンガってご存知ですか?
ミサンガというより、プロミスリングの方が一般的な呼称なのかしらん。
サッカー選手がしているっていうんで、一時期流行したやつです。
手芸の組み紐の一種で、刺繍糸を何本もあわせて編み、手首や足首などに巻きつけて使用し、紐が自然に切れたら願いごとがかなうというジンクスがあります。

わたくしは、手先は割と器用な方で、大学院浪人時代にミサンガを3本手作りして、1本1本に願を掛けて足首に巻いていました。
これはミサンガを見るたびに、お勉強しなくちゃ~と思わせるという効果もありました。
2本は自然に切れましたが(ちなみに、1本は博士後期課程の入試にパスしますように。2本目は博士学位がとれますようにと願をかけていました)、3本目は切れる前に自分ではずしてしまいました。

やはり3本目はそのままにしておくべきだったんでしょうね。

わたくしの場合、その3本目に託した夢のために40歳までに何をすべきか、45歳までに何をすべきか、50歳までに何をすべきかをイメージして、日々のスケジュールを埋める必要があるのでしょう。

11月
2008

師兄と不肖自慢

「師兄」とは、中国語で兄弟子のこと、「師妹」とは妹弟子のことです。
研究仲間、同じ指導教官の下で学んだ者同士で、そう呼ぶことがあります。

先日、日本の大学院時代の師兄が北京に出張でやってきて、ついでに会いに来てくれました。
実は同じ指導教官の下で学んだというものの、わたくしは法学研究科、師兄は中国研究科に在籍していたので、お名前しか存じ上げず、ずっと会ったことがない人でした。
さっきから師兄、師兄となれなれしく呼んでいますが、彼は、今母校の先生になっちゃってますので「老師」と呼ぶべきですかね。

師兄に会って思ったことは、自分は一生懸命勉強してきたつもりだけど、こんなの序の口なのね、ということ。多分、他人が20代でしてきたことをわたくしの場合30代でしている。

「門下で出来の悪さだけは誰にも負けないと思う…」とこぼしたわたくしの言葉に師兄まで「私もそうだな」などと言いつつ、加えて「でも、できの悪い子ほどかわいいっていうからな」と。

結局、自分がいかに出来が悪くて、先生に心配かけたかってことを自慢しあってる私達って一体…
(先生ゴメン)

今や大学院もビジネス色が濃く、大学院の教官も何十人と学生をかかえるため、ビジネスライクなのかもしれないけど、ことに中国法などという分野はマイナーなので、先生は1年に1人も学生を採ることはなく、こういう自称不肖の弟子がポツポツといるわけですな。

師兄の一言。
「皆そうやって先生や兄弟子に迷惑かけて育ってきたわけで、先生や兄弟子に恩返ししたけりゃ、いいお仕事して喜ばせてあげましょう」

ちなみに「お仕事」というのは師匠の口癖で、論文を書くこととか研究を意味していて、必ずしも日々の糧をかせぐ労働を指しているとは限りません。
論文の抜き刷りを送れば「きわめて有益なお仕事で、敬意を表します。」という風に使ったりします。

公務でお疲れのところ、わざわざ会ってくれて珈琲を奢ってくれた師兄に非常感謝です。

11月
2008

図書館への寄贈

出版者は本を発行すると、最良かつ完全な状態の出版物を法定の部数分だけ国立国会図書館に納入しなければならないそうです(国立国会図書館法第24条、第25条参照)

日本だと国立国会図書館に納入又は寄贈することになります。
納入する本は必ずしも商業出版物に限られないため、自費出版とかだと個人が寄贈することもありますが、商業出版だと日本の場合、ほとんど事務的に取次から送ることになっているようです。個人の寄贈だと「受け取りました。ありがとうございました」というお礼状みたいなものが送られてくるようです(あくまで未確認情報なのでどういうものなのかは、ご自身でお調べください)。

わたくしの訳書は取次が国立国会図書館に送ったものと思われますので、わたくしの手元に何ら書簡はございません。

で、台湾はどうかといえば…
台湾図書館法によれば、台湾で発行された作品は国家図書館に寄贈しなければならないとのことです。

先般、わたくしが翻訳した「台湾著作権法逐条解説」は台湾で発行されたものではないため、原則として寄贈する必要はありませんが、先日、原作者の章先生が国家図書館で会議があったので、国家図書館の館長に自ら寄贈してきたそうです。

そしたら、お礼状をいただきました。
章先生のご許可をいただいたので公開しちゃいます(台湾の公文書なので章先生のご許可さえいただければ、わたくしが翻訳してネットで公開しても大丈夫)
国家図書館お礼状

謹啓
このたびご寄贈いただいた書籍を拝領いたしました。
貴殿より賜った書籍は登録を経てすみやかに目録を作成し、公衆の閲覧に供するために収蔵いたしました。
このようなご高誼に預かりましたことにつき心より感謝の意を表すため、ここに謹んでお礼申し上げます。
謹白
章忠信専門員 殿
国家図書館

というようなことが書いてあるのですが、本当はものすごい文語調で雅な表現であるため、わたくしごときには美しい日本の古典文学のように翻訳することができません(^^;
雰囲気的には、かなり仰々しいと感じる方もいるかもしれません…
そういう雰囲気、伝えられないなぁ…残念。

11月
2008

将来のこと

聞かれて困る質問は、今も昔も変わりません。
「将来、どうするの?」(^^;

どうにかなるものなら、とっくにどうにかしている訳で…
わたくしの場合、中国人弁護士から転職のお誘いを受けることはあっても、日本の組織からお誘いが来ることはこの歳になると全く期待できません…
わたくしのような人材が一人はいると便利であるということと、正式に雇用するということは別問題であり、今、日本の組織は、中国で若い子を現地採用すればすむことですから、わたくしに限らず不安定な待遇で中国で働いている人は年々増え続けていると思います。

もし、若い子が法律学で博士課程に進学したいと言ったとしたら、「よーく考えた方がいいよ」と言うと思います。
そもそも、実力と実績があるのは大前提の上で、強力な運がないとまっとうな就職なんてできないのだから。

ある人はそもそも実力がなく、ある人は実力があっても忙しくてなかなか実績が出せない(あるいは実績を目に見える形で世間に公開しづらい)、そしてある人は実力も実績もあるけど運がない…
この世界で生き残るために必要なのは、一に体力、二に精神力、三番目くらいにやっと知識ってところでしょうか。知識なんて勉強すりゃいいだけで後からどうとでもなるけど、体力がないと精神的に崩れるので勉強のしようもない…

博士課程後期在籍中にだんだん性格が歪んでくる人も少なくないし…(後輩から恐れられる)
博士課程後期在籍中に心の病になる人もたまにいるし…(後輩からああはなりたくないとひそかに思われる)
博士学位取得の学位授与式のその日に死にたいと本気で考え続ける人もいます(わたくしもその一人だったし、後から本当にそう思ったことがあるという人を数人知っています。そもそも学位取得なんてオメデタイ出来事を素直に喜べないということはあまり尋常ではありませんね)

ところで、全く法律には関係ない医学研究者のブログを読んでいて、あることの大切さに今更ながら気付きました。

「したいこと」よりも「すべきこと」と「できること」から始めましょう。
(-研究者が仕事をする上で知っておくべき10の原則-」島岡 要)

http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-284.html#trackback

今、自分の立っている場所で、ナンバーワン、オンリーワンになって、この問題だったらお前に聞けば大丈夫と言われるようにならなければ、いずれにせよ、この先誰かが自分を必要としてくれることなんてないのですよね。他人の芝をうらめしそうに見ている暇があったら、自分の庭にそもそもタネをまけってことですか。
何の種をまくか、非常に難しいところではありますが…

ついつい、自分のできないことの克服にばかり目がいってしまったり、とんでもないテーマにはまり込んでしまったりしがちで、時間を無駄にしたり精神を病んだりしますが、効率を考えるのなら自分ができること、得意なことに時間もお金も投資したほうがよく、自分に足りないものはスパッと諦めて誰かに助けてもらえばいいのですよね。
自分のこれまでを振り返って冷静に棚卸して、研究と一定の職業、家族、どれも大事ですから、きちんと戦略を練ろう思います。

11月
2008

座席

先日、日本人のある先生が、わたくしに会いに弊所まで来てくださったのですが…
小会議室ではなく資料室にお通ししたため、わたくしと先生の2人だけにしては部屋が広すぎて、しかも楕円形の大きめのテーブルだったんですよね。

こういう場合、初めて会う人だったら、お客様からどのくらい離れた所に座ります?
わたくし、こともあろうに、隣に座ってしまったのです。
もしかすると日本人的には、かなり距離が近すぎて「え?!」と思われていたかも。

わたくしは耳がちょっと遠いため、一生懸命に話を聞こうと思うと、男女関係なく、うっかり知らず知らず近くに行っていることが多いです。
大昔、話を熱心に聞くあまり、指導教官に近づきすぎて、飛び上るほど驚かせてしまったことがあります。

母校、社会科学院の先生方の研究室は個室ではなく、共同研究室でした。
一応、先生方個人の机と椅子はあるのですが、それこそ会社の事務机のようなもので、仕切りがしてある狭い空間であるため、先生方はいつも入口付近のだ円形の大きめのテーブルに座って雑用をこなされていました。(出勤日は事務をこなすだけで、研究は家でなさっているわけです)
そのようなわけで、指導教官に会いに行って話をする場合、遠くに座るとわたくしが何度も聞き返すので、そのうち指導教官もわたくしが来ると当然のようにすぐ隣の席をすすめてくれるようになりました(^^;

そのような習慣が、このようなところで出てしまうとは。。。
遠くても向かい側に座るべきだったんだろうなぁ(今頃、恥ずかしいです、ハイ)