12月
2009

NANAの感想

職場の日本語が分かる女性陣の間で矢沢あい著の少女マンガNANAを回し読みしています。

そういえば勝間和代さんだったと思いますが、NANAの人気の理由の一つは、登場人物の誰かに感情移入(共感?)できるからというようなことを言っておられたように記憶しております(違っていたらすみません)。

自分は誰が一番好きかというと、美人で才能あってプライドの高いナナが好きです。
マンガの中でナナのファンの女の子が言っているように、「あの切羽詰まった感じで歌うナナはカッコいい」っていうことです。
男についていって上京するみたいなことはせず、ピル飲んで妊娠を回避するっていう意志の強さも好きです。

わたくし、昔から少女漫画、少年漫画でよく分からないのが「XX先輩を追いかけて同じ高校(大学)に進学する」「XXちゃんを絶対に甲子園に連れていく」という類のストーリーなんです。
何で彼氏(彼女)にあわせないといけないの?
二人で同じ夢を追いかけるのならいいんだけど(例えば両方とも俳優さんだったり、音楽家やダンサーだったりする場合)、理由もなく単に片方について行くというストーリーは訳わかんない。
だから、ナナはレンを追いかけて上京したわけではなく、あくまで自分の夢のために上京したっていうところがすごくよいのです。

それに対して誰が一番嫌いかっていえば、ハチこと奈々ちゃんでしょうね。
彼氏を追っかけて上京、彼氏に振られて、流されるままに恋をして妊娠して出来ちゃった結婚?
しかも、二人の男性のどっちの子だか分からないって…あんた…一体。。。
わたくしの辞書にはない生き方なので、ムカつくんでしょうね。
でも、裏を返せば、ここまでムカつくのには理由があって、おそらく、わたくしはこういう恋愛至上主義な可愛い女の子に自分はなれないから嫉妬してるンでしょうね。

生まれかわれるなら誰がいいかという視点になるとこれまた話は別で、ナナや奈々ではなくて、レイラさんになりたいです。
美人で歌う才能に恵まれていて、周囲からお姫様のように大切にされている存在?
まぁ、マンガの話をベースに妄想するのは自由ですわね(^^;

12月
2009

忘年会に向けて

ここが日本なら絶対やらないところなのだが…
忘年会で笛吹いて、歌を歌おうと思っている。
(いちおう事務局が若者を中心にいろいろ芸をやれやれとすすめている)
最近、もう人生に疲れちゃって、面白おかしく生きたいと思っているわたくしとしては(^^;若者に童謡等を各国語で歌おうよう~と誘っている。

以前は、わたくしのいる部屋(4人相部屋だが2人しか使っていない)の斜め後ろの席には米国弁護士(米国籍韓国人)のお姉さまがいらっしゃったのですが、米国育ちの彼女と日本育ちのわたくしの体感温度差がありすぎてお互いに気を使うので(これはカルチャーショックと言う意味ではなく、本当に空調の温度の話)彼女は別の部屋に移っていき、今はイェールを卒業したばっかという中国人のお兄さんY君が隣に座っております。
彼はわたくしよりずいぶん若いのだろうと思っていたら、実はそんなに差はないけど、この間まで学生をしていたせいか、やることなすこと20代に見えるんだな(人のこと言えないけど…)
結構、彼は女の子たちから可愛がられている(からかわれている?)ので、当然、わたくしとしても、若い女の子を誘うダシとして、まずは彼を引っ張り込んでやった(^^)うっしっし。

誘う口実は、「ドレミの歌を各国語で歌いたいと思ってるんだけど、日本業務チームって英語下手くそだから、助けてよ、よろしくねっ!」
彼曰く「ボクだけ男って寂しいですよ、嫌ですよ~」というので、「だったら、CF先生とか、ZJY先生とか、ZJC先生とか欧米業務チームのメンバーの誰を誘ってもいいよ~」とワタクシ。
「え~そんな大先生に童謡歌おうなんて、怖くて誘えないですよう」というので、「ええい、ごちゃごちゃ言うでない!もう事務局にメンバーとして登録してきちゃったから(嘘)」と振り切ったのでありました。
ちなみにZJC大先生なんて、君らのために芸をするくらいなら、君らに無報酬でリーガルサービスを提供してあげるほうがいいというくらい、人前には立ちたくないらしい…
(いい声してるのになぁ)

お陰さまで、わたくしの周りいる若い女性弁護士や秘書と楽しく童謡を歌うことができそうです。
昨夜の残業ついでにドレミの歌を練習するつもりが、S弁護士とついつい「兎と亀」を吹いて歌って遊んでしまい、同室で本を読んでいたY君、「ボク、集中力あるので、隣で音出しても構わないですよ」と言いながらも、歌って踊る若い女の子2人と笛を吹くワタクシに呆れていました…

実は「兎と亀」を一番上手に歌えるのは、日本チームのパートナー弁護士ZQ大先生だったりするのですが(お子さんが子どもの頃歌っていたのでしょう、歌詞をすべて暗記されていて中国人とは思えないほどお上手です)、「どうですか?参加しませんか?」とお誘いしたところ、一蹴されました…

しかしながら、わたくしの十八番の「兎と亀」は、W秘書の「お願いだから、恥ずかしいことだけはやめてね」という懇願に負けて、今回はパスです。

12月
2009

体力のないワタクシ

昨日は1日中会議でした。

会議の内容をすべて通訳したわけではないけれども、死ぬほど疲れました。
もっと頭を使っているはずの弁護士はピンピンしております…
彼女は「人」ではない…きっと「ドラえもん」のようなロボットなんだ~と再認識しました。

いちおう、別の仕事も抱えていたので、家に帰ってから仕事をしようとしたのだけれでも、パソコンを立ち上げた後、いつの間にか意識がなくなってしまい、1時間後に机に突っ伏して寝ていたのでおでこが痛くて目を覚ましました。
あぁ、これがわたくしの限界なんだ…

司法試験が超簡単だったとしても、弁護士にだけはなれないというか、なりたくもない…

12月
2009

ワニで遊ぶ

最近、ワニのぬいぐるみが若い弁護士さんの机の上にあります。
ワニの口には手を入れることができ、そこに自分の手を入れて頭をのせると、自分の腕が枕に変身!という女の子が如何にも好きそうなグッズです。
わたくしは、これを手袋にして外を歩きたいなぁと言ったら、さすがに、でかすぎて、目立つからやめなさいと止められました。

あまり可愛いので
「ワニ、ワニ~~~」と日本語で言いながら、手にはめて喜んで若い女性弁護士Sさんの周りで遊んでいたら、S弁護士が急に「玩にぃ?(wanrni)」と首をかしげました。
「ワニ」という言葉を「わぁにぃ」と間延びさせて発音すると
「玩(遊ぶという意味の漢字)にぃ(ニイハオ!のニィで、あなたという意味の漢字)」
という中国語に聴こえるようで、つまり「あなたをからかってますよ~」「冗談ですよ~」というニュアンスになります。

ははは~
でも、まさにワニのぬいぐるみ枕で、S弁護士に遊んでくれ~って言っているのだから、意味的には間違っていないのですが。
「わに」は動物のワニ(鰐)のことだよと説明して二人で「わぁにぃ、わぁにぃ」と遊んでいたら、パートナー弁護士が通りかかって…(^^;
マズイ…

12月
2009

スランプの原因と価値観の転換の必要性

「息のコントロールができない」「思ったような音色が出せない」「10年たっても、人前で演奏するのは無理」だと思いつめて笛子から柳琴に浮気をしたわけですが、結果的に見ますと、柳琴も結局、思ったような音は出せなかった…(結論出すの早過ぎ?)
音の出せる楽器を自分の思い通りの音色が出せる順番に並べてみると(思い通りに“弾ける”じゃないよ、あくまで音を出した時にイメージ通りの“音色”が出るって言う意味だよ。そうでないと、とんでもない誤解を招くわ…わたくしはもう「エリーゼのために」すら弾けない人なんだから)
ピアノ、リコーダー、笛子、バイオリン(これは今、音そのものを出せるか自体に自信ないけど20年前の記憶によります)、柳琴の順番になったりします。
柳琴、最下位じゃん…

いちおう、リコーダーを除いて、すべて独学じゃなくてちゃんと先生に教えてもらった筈なのに、何一つ上手くならなかったのは、「続けられなかった」ことが原因です。
なにゆえ、好きなのに続けられないのでしょう…

お稽古ごとに限らず、よく他人から理想が高すぎると言われることがありますが、多分、そうなのでしょうね…正直、プロの演奏やプロの通訳でも、「あ、ここ下手くそだな」と思ったり「あ、ミスったでしょ」とかなり残酷に心の中で呟くこと、ありますもん(じゃあ、自分はその人を上回る実力なのかと問われれば、全く及ばないのですが、そんなことは横に置いておいて、あんたプロだろって思いますもん。だから他人もきっと自分のことを厳しい基準で見ているに違いないと考えたりします)。

語学に関しても、通訳業で飯を食っているわけではないので、「それだけ喋れれば十分でしょ」と一般の人には言われますが、自分に言わせれば、言いたいことの半分も表現できていません…この程度、喋れても、もっと高いレベルに到達していなければ、結局、ほとんどできない人と十把一絡げにされるんだろうし、使い捨てにされていつ失業するか分からないし、それじゃあ、意味ないじゃんね、って思ってしまいます。

この0か100かという考え方は経験上、精神的には非常に危険な思考パターンだと承知していますが、世の中、結局、肝心な時にできたか、できなかったかだけで判断されるんじゃないの?という不信感が根底にあるので、50点や80点じゃあ、意味ないんだよね…
実際、80点、90点で大きな顔ができるのは学生の試験だけでしょう。社会人の90点なんて、今の世の中、所詮10点も足りないねという評価でしかない。

まぁ、こういう人間は結局、何やっても自分で自分に嫌気がさすので、何一つまともにできないうちにさじを投げることになってしまう。
そうならないようには、どうしたらいいか。

新刊ではないのですが、先日読んだ岡本浩一著「上達の法則」PHP新書には、スランプの構造と対策についていろいろヒントが書いてありました。

わたくし自身は何につけても子どもの頃から、ぐずで頭の回転も悪く不器用なくせに、頭の回転の速い賢い人たちの中で勉強したり仕事をしてきたので、とにかく評価する眼だけはやたら厳しくなっています。例えば、楽器演奏に関しては、カルチャーセンターに行ったことがなく、発表会とやらにも出たことがないので、自分と同じくらいド下手な人の演奏を聞いたことはあまりなくて、間近で聞いてきた音は先生のおそろしく綺麗な音だけ。つまり雲の上の人の音だけがインプットされて、イメージだけが頭の中で大きく膨らむので、それと同じ音にならないのが苦しくてしようがない。語学に関しては、二ヶ国語以上をビジネスレベルで使える人たちの間で仕事をしてきて、あんた何人なのと思うくらい綺麗な日本語を使用する中国人や英語をペラペラ話す日本人や中国人ばかりが周囲にいたので、この人たちのようなレベルの人が基準になってしまい、自分の中国語の出来なさ加減がおそろしく恥ずかしい。
あるとき夫に、「みんな外国語を自由に操れるのに、自分は思い通りにならない」というようなことを言ったら「二ヶ国語以上、自然に難なく操れる人がごろごろいる職場っていうのはそうあるものじゃないよ」と言われて、「え、そうなんだ」と驚きました。

このように評価する眼だけがやたら発達してしまい、自分の技能との間におそろしく大きな溝ができてしまう。
その溝は凡人にはなかなか狭めることができないので、本当に苦しい。

評価のための眼が発達しすぎてしまうと、これはもう元には戻らないのだそうな。
そうすると、もうこれは価値観の転換をするしかないそうで、一般的には評価のためのスキーマと自分の技能のためのスキーマを分けて考えて、二重の基準をもつとよいのだそうです。
雲の上の人は雲の上の人として、自分は自分として見つめることができれば、また地道に努力もできるってものです。

この手のスランプの脱出方法としてもうひとつの選択肢は、現役を引退して教師の立場になった人のように、評価のための眼はそのままにして、自分の技能の向上を放棄することだそうです。

いくとこまで行っちゃった人が教師になるのなら、それでもいいけど、五合目にも達していない今のわたくしは技能の向上を放棄するわけにいかないので、一般的な方法、つまり自分の中にダブルスタンダードを設けるよう、工夫する必要があるのでしょうね。

とても難しいですが、できるかぎりそうしていかないと、この先、生きていけないよね。
残りの人生、面白おかしく生きるために、ここらで強引に思考パターンを変えてみたいと思います。

11月
2009

音楽ネタを隔離

先の投稿に書きましたように、裏の生活が表を圧迫するのはブログとして非常にバランスが悪いので、音楽オンリーのネタは別ブログに移しました。
普通の人は趣味の世界の下手の横好きの話を聞いても面白くないと思うし…
逆に、興味のある人にとっては、手っ取り早く楽器や練習の情報が欲しいのに、訳の分かんない日記読んでいる暇ないしね。

著作権などの議論に関係のあるものはこちらのブログに残しました。

お稽古レッスンブログはこちらです→http://music.legalio.com

住み分けしますのでよろしくお願いいたします。

11月
2009

そろそろ2009年の総括?

アパートの部屋がごちゃごちゃしてきたので、片づけました。
冗談抜きで、わたくしも「のだめカンタービレ」の「のだめ」ちゃんのように片付けが苦手なのです。
夫はいつも、わたくしが帰国すると「路上で、がらくたを売っている露天商のようだね」と言います。
本棚を買っていないので(そもそも買っても収まりきらないので無駄)、書籍はほとんど、床の上に積み上げていますが、CDとDVDは机の上に積み上げていたので、それがだんだん、崩れてきそうでやばかった。

ほんと、音楽教材のDVDやらVCDをいろいろ持っているなぁと感心してしまいました。
今度は中国音楽教材の翻訳したいなぁ、マジで。
西洋古典音楽は、名曲の特集とか解説とかいろいろあるのに、「はじめての中国古典音楽の鑑賞ガイド」って聞かないよね(わたくしだけ?)誰か書いてよ…

今年を振り返る時期になりましたが、2009年は本当にどうしようもない1年でした。
あることをきっかけに精神的に頑張りが利かなくなって、仕事や研究方面では今まで頑張ってきた余力でとりあえず走り続けることができただけで、新しいことは何一つできませんでした。2009年前半は努力の空回り、後半はとりあえず労力を提供していただけ。
昔、台湾人の友人の旦那様に見ていただいた風水によれば、40歳からは放浪生活に終止符を打って落ち着けるらしいですが…本当かな。ぶっちゃけ、数え歳なら、もうすぐなんです。仕事以外のときの言動が子どもっぽいせいで若く見積もっていただけるようですが…

柳琴の先生の龍海先生に「若くないから、新しいことをすぐに覚えられないよう」と訴えたら、「いくつよ」と聞くので(中国人はけっこう遠慮なくいろいろ聞きます)、「聞かないでよ」と突っぱねたら「30?(笑)」と言われました。ありがとう、そんなに若いですか、ワタクシ(^^;
もっともレッスンに行くときに着けている手袋にでかいウサギのぬいぐるみがついていたり、柳琴のソフトケースのファスナーに楽器を演奏しているキティちゃんのストラップを3個付けているのがいけないのでしょうかねぇ(沖縄の三線と笛と太鼓を演奏しているキティちゃんのセット)。

2009年最大の変化は、中国音楽にどっぷり浸かったことでしょうか。
努力の空回りでがっくりきていると何だかんだ言いながら、ずいぶん、楽しく生きているじゃないと笑われそうですが、おじさんが退勤後、おねえちゃんのいるお店に行って飲むのと同じで、これがないともう、どうにも生きていけないのです(笑)。
音楽って麻薬ですね、「令人如何痴如何醉」です。

このブログも音楽ネタが多くなりすぎたので、音楽ネタだけ別ブログに移そうかなと検討中です。

11月
2009

わたくしは甘い先生

自分の携帯電話のアドレスをみると、つくづく「先生」ばっかりだと思います。
弁護士が「先生」かどうかは置いといて(教えを請わなければならないことは何一つないという理由で本音は弁護士を「先生」とは呼びたくないとおっしゃる人も世の中には多数、存在するみたいですが、わたくしは別に何とも…長いものには巻かれています。)、ほんと、先生だらけ…

平日は弁護士の「先生」たちの中でお仕事。
週末は音楽の「先生」のもとで、お稽古。
ついでに、中国人に日本語を教えて、自分も「先生」と化す…

しかし、お稽古の先生というものは厳しいよね。
わたくしが現在、日本語の家庭教師をしている中国人は音楽教室の事務の先生なのですが、事務の先生とはいえ、ピアノや琵琶をそこそこお弾きになられます。
よく子どものピアノの試験前には、練習の面倒も本業の先生に代わって見ておられます。
で、彼女、いい大人になったけれども、やっぱりもっときちんとピアノを弾きたいと思い、ここ最近、子どもの頃のリベンジで、自分もピアノを習っています。
先週、先生にキツイことを言われて、レッスン中に泣いてしまったそうです。
ま、気持ちはよーく分かる。
先日ピアノの先生が彼女に「あなたの日本語の先生は多分、相当、優しいつーか、甘い人なんじゃないの?全然、おさらいしてなくても怒らないんだ?」と不思議がっておられたそうな。

まぁ、わたくしは、日本語教師として講義した経験はないけど、何人かの中国人の家庭教師は頼まれれば、これまでしてきました。
うん、わたくしは基本、とっても甘いです。
生徒がやらなくても怒らない(^^;だって、上達したけりゃ、やるしかないわけで、サボればそれなりの効果しかなくて、全部自分に跳ね返るだけで、わたくし自身、別に痛くもかゆくもないもんねぇ…
それに、わたくしの場合、文法をきちんと教えられないし(右脳で言語を理解する人だから…)
こう言ってしまうと、すごい無責任な先生ですね、ワタクシ。
でも、目的のある人は最後はちゃんとやってるくるから、放し飼い状態。

そこいくと、音楽の先生というのは、ものすごく厳しいですよね…
かなりキツイこというし…
レッスン中に泣くなんて、結構、皆経験あるよね。
ちなみに、わたくしが通ったことのあるところなんて、音大付属とか目指している立派な音楽教室ではなく、あくまで趣味教養レベルの教室ですけど。
あ、でもカルチャーセンターみたいなところだったら、生徒を泣かせることはないのかな。
(行ったことがないので分からない…)
もっとも、才能のあるなしなんて、かなり上のレベルの人の話であって、それ以前の問題としては結局は練習量の多い少ないの問題だから、「なまけるな~」とカツを入れたくなるのでしょう。
そこまで生徒に感情移入して、疲れないかなぁ。
(ちなみにピアノの先生方は日本人のお子さんは真面目に練習してレッスンに来るからやりがいがあるけど、数年で帰国してしまい、これからだっちゅうところで手放さなければならなくなるので(?)、とても悲しいのだとか)

専門家の練習量と言うのは半端じゃないので、それに比べれば、1日1、2時間の練習なんて練習のうちじゃないのでしょうね。
この点、語学と一緒です。
かなり上のレベルの人になるには「才能」が要りますが、ビジネス会話程度じゃ、単なる「慣れ」だよね。
どれだけ、使ってきたか、それにすぎないのだと思います。

11月
2009

浪格多謝

昨日の記事、どうもわたくしが見間違えたようで、

ラング・ド・シャ(仏:langue de chat)の当て字は「浪格多謝」だったみたい…
中国人がものすごく音のネーミングにこだわっている感じはしないし、普通は「クッキー」でひとくくりにされる食べ物なので、地方によっていろいろ適当に名付けている例があるとは思うけど。
20時間経過しているので、そのまま修正せずに、元の記事に後日談を加えて修正しました。

この字だと「ロマンあふれる品格、どうもありがと~」ってイメージかしら。

うーん、やっぱ眼鏡をかけた方がいいのよね。
でも眼鏡、嫌い。

11月
2009

洛格多謝

「洛格多謝」という文字を見て、あなたはどのような食べ物を思い浮かべましたか?

先日、パン屋でこの文字を見て、「う~ん、実に美しい情景が思い浮かぶ『当て字』」だと感心しました。

「多謝」は「どうもありがとう」の意です。

「洛」は、陝西省南部に源を発し、河南省に流入する川の名前で、古都「洛阳」がその下流にあり、なんだか美しい都をイメージさせます。

そして「格格」といえば、満洲族の皇女と内親王に対する呼び方なので、綺麗な女の子を思い描きました。
それから「くすくす」という感じの笑い声にも聞こえますね。

古都で女の子が「くすっ、どうもありがとう」と言っている…
なんて、美しい食べ物!!!
(わたくしの想像力に問題あるのかな?)

で、答えは何かって?

そのまま中国語で音読してみてください。
「らんぐとぅしぇ」

答えは「ラング・ド・シャ」でした。

焼き菓子のひとつ。クッキーの一種で、軽く、口中で溶けるような食感が特徴。「ネコの舌」の意味で、形が似ていることから名づけられた。
室温で柔らかくして練ったバターと同量の砂糖を合わせ、それに小麦粉、卵白、バニラエッセンスを加えて生地を作り、薄く細長い棒状にオーブンで焼き上げたもの。
出所:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【後日談】
もういちど、その店に行ってみたら、「浪格多謝」と書いてありました。
わたくしの見間違い???(たぶん、そう、ごめんなさい)
でも、「浪漫(ろまん)」の浪だったら、もっと美しい…