11月
2009

明朝有意抱琴來

昔に比べたら、男は男らしく、女は女らしくという固定概念はずいぶんなくなったのだろうと推測はできる…できるけど、やはり、今でもあると思う。

中国語で師匠のことを「師傅」(shifu)といいます。

(1)師匠.先生.親方.
(2)特殊な技能をもつ人に対する尊称.
【補足】知らない人への呼びかけにも用いる.
(3)〈俗〉(一般人に対する呼びかけ)先生.
小学館中日辞典第二版

弟子が先生や親方の奥様のことを何て呼ぶかと言いますと
「師母」(shimu)
わたくしも指導教官のお宅に電話するときはいつも奥様が出られるので、「師母、こんばんは、先生はいらっしゃいますか」と挨拶しておりました。

これ「師母」と対になる言葉があるかといいますと(つまり、女性教師の配偶者はどう呼べばいいの?)、これがないのです。
「師父」でいいんじゃないの?と思うかもしれませんが、師父の意味は「師傅」と同じか、宗教指導者の敬称になってしまうのです…

(1)師傅
(2)僧•尼•道士に対する敬称.
小学館中日辞典第二版

昔は、そもそも師匠と言うものは「男」と相場が決まっていた…ってことなんでしょうかね。
今時は女性の研究者もいるけど、多いかと言われれば、分野によっては多くないよね…
ある法律の制定に貢献されたある著名な学者は、奥様の第一子出産時にもずっと研究所で研究をされていて、後で奥様に恨まれたとどっかの随筆に書かれておられましたが、これって、人間的に見ればどうなの?って感じですが、男性だと「立派だ」という美談になるから、ずるい。
女性が同じことしたら、どうかな。

わたくしは博士論文を書いていた時の終盤はよく部屋にこもって延々、パソコンと向き合っていたのだけれども、よく晩御飯を食べ忘れました。
適当に自分で晩御飯を作って先に食べていた夫が、ずっと部屋から出てこないわたくしを心配して「飯はちゃんと食った方がいいよ」と声をかけてくれるまで、没頭していて晩御飯の支度どころか自分が食べるのも忘れていた…
姑がいたら、わたくしなんて100回以上殺されているでしょう。

ところで、中国の3世紀半ば頃、清談(中国魏晋時代に流行した哲学的談論)を事とした7人(竹林七賢人)の中に阮咸(ゲンカン)という人がいます。とんでもない飲んだくれだったそうですが、琵琶がとても上手かったらしい。これは今の琵琶とはちょっと違って、月琴の首が長くなったみたいなやつでして、後に同じくリュート系の楽器の琵琶と区別するためにその楽器は「阮咸」と呼ばれるようになりました(奈良の正倉院の螺鈿の琵琶は有名ですが、「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんげんかん)」にも注目してあげてね。)
ちなみに今ですと東京国立博物館で特別展「皇室の名宝—日本美の華」(今月29日まで)で「螺鈿の阮咸」が出ていると思います…行きたかった…

で、この賢者、度を越した酒飲みだったそうで、竹林で酒飲んでリュート弾いて、政治を批判して暮らしていたわけです。
現代でも一昔前の学者の中には、酒飲んでから講義したっていう男性もいるらしいけど(その方が饒舌に喋れるからという言い訳)、女性だと「さすが、XX先生やるじゃん」とう話にはならないよね(^^;
(今時の大学では問題になると思うので、せいぜい、コーラかコーヒーでテンション上げてくださいってところでしょう)

ところで、女性が楽器の名手として名を残すなら、まず美人でないと難しいような気が…
女性が大酒食らって、ギターかきならして、政治の話…多分、許されない。
もっとも、わたくしは酒が全く飲めないし、政治の話で熱くなるタイプではないので、お酒飲んで醜態さらして、「女のくせに」って言われることはないから、関係ないといえばないけど、ちょい不公平な気もする。

わたくしが大学教員だったとして、夜遅くに学生が訪ねてきたと仮定しよう。

学生:「先生、夜遅く申し訳ないんですが、質問が…」

游鯉:「我醉欲眠君且去」
(いい加減な現代訳:オレ、酔っぱらっちゃった~眠いんだよね~キミ、悪いけど帰ってくんない?)

学生:「いや、ひとつだけ、ちょっとお聞きしたいだけで…」

游泳:「明朝有意抱琴來」
(明日の朝、その気があったら、琴でも持ってまた来てよ~)
-李白「山中對酌」より

と言ってみたかった…(^^;
一曲弾いてくんなきゃ、質問に答えてあげないもんね。

11月
2009

熟練、上手、下手の言葉の真意

中国語と日本語でニュアンスや意味の違う言葉があることは、昨今よく知られているところですが、今回はお稽古ごとに関する語彙で不思議な言葉を紹介しましょう。

中国語の「熟練」を辞書で引くと、次のとおりです。

shúliàn【熟练】
熟練している.上手である.
¶她打字很~/彼女はワープロがとても上手だ.
¶你的日语说得还不够bùgòu~/君の日本語はまだあまり上手ではない.
¶~工人/熟練工.
小学館日中・中日辞典 第2版

じゅくれん 【熟練】
(名・形動)スル [文]ナリ
十分に経験を積んで、上手なこと。高度な技能と経験を有すること。また、そのさま。
「―した運転」「―労働者」「―な漁師は/土(節)」
三省堂 大辞林

ふーん。日本語と同じ意味だね。と思って油断してはいけない。
以下のような中国語は「上手」と訳すわけにはいかないでしょう。

「老師,怎樣努力也彈不了這個小節(先生、どうやってもこの小節が弾けません)」
「熟練,就好了!(直訳誤訳:“熟練”すりゃいいんだよっ)」

辞書通りにそのまま訳しちゃうと「上手になれば、よいのです」となってしまい、禅問答ですな…上手だったら、練習する必要ないじゃん(^^;
ニュアンスを正確に訳せば、「慣れるまで練習しろ!」ということでしょう。
もっとも「熟」という言葉の意味には「慣れる」という意味もあるから、よくいわれるように、「ご飯を食べるのと同じように、日常になるまで、練習し続けろ」ということですな。

次は「上手」
これを中国語の辞書を弾くと

shàngshǒu【上手】
(1)始める.取りかかる.
¶今天的活儿一~就很顺利shùnlì/きょうの仕事は始めからとても順調だった.
(2)〈方〉手を出す.
¶这点儿事你们就别~了,我一会儿就干完/君たちはこんなことにかかずらうな,私がすぐにかたづけてしまうから.
(3)(~儿)順調だ.
¶工作很难,总zǒng不~/難しい仕事で,なかなか軌道に乗らない.

小学館日中・中日辞典 第2版

となり、日本語の「上手」という意味はまったく見当たりません。
でもね、琵琶について調べたりすると、例えば次のような文章に出くわします。

小孩子学琵琶。手指长度不够,在练琴时有困难,抱琴也有些困难。 还是鼓励年纪很小的小朋友学古筝,上手快些。

(参考訳:子どもが琵琶を習うということですと、指の長さが足りないので、練習や構える時に困難を伴います。とても小さなお子さんが琴を習うのであれば、上達するのも早いのでおススメですね。」

ニュアンス的にほとんど、「上手」と同じ意味で使っているよなぁ。
軌道に乗るのが早いというニュアンスなのでしょう。

それに対して中国語の「下手」には日本語の「下手」と同じ意味はみじんもありません。
中国語の意味は、基本的に漢字の意味そのままです。
「手を下す」(なんかこわ~い)

そもそも「手を下す」ことがなぜ、物事のできが悪いことを指すようになったのか、疑問ですなぁ。
と思ってネットで調べてみると「端」や「辺」が語源なのだそうで(末端とか底辺にいる人ってことなのでしょうね)漢字で「下手」と書くのは「下等」からきているのだそうな。
参考:語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/he/heta.html

11月
2009

ブログの方向性

いや、日常の日記系のブログのつもりなんですが、本業より、余暇の中国楽器系のお稽古話の方が、メールとかいただく確率が高いのですよ。

そんなわけで、月、火、水ぐらいを音楽ネタ。
その他は本業ネタか生活ネタにしようかなと考えております。

ぜんぜん音楽に興味のない方は、週の頭は読み飛ばしてくださいまし。
(つーか、そもそもそんなにアクセス数があるわけではないのだけれど)

11月
2009

三度目の雪

今年の北京は雪が多い~~~

12日も朝から降っていました。これで今年3度目の雪かな、確か。

「週末、スキーに行くんだ~」とご機嫌のG弁護士に

「転んで足の骨、折ってもいいけどさ、頭ぶつけたり、手を骨折するのはやめてね」
(だって、足の一本や二本折っても、仕事できるけど、手が使えなくなったら誰が文書書くのよ、仕事に差し支えるじゃん…)

と思わず、言ってしまったワタクシ…
わたくしってヒドイ人ですね(^^;

「一緒に行こうよ~」と親切に誘ってくださいましたが、わたくしは生まれて一度もスキーをしたことがありません。
ちなみに、体育は子どものころから「1」以外、とったことがありません(^^;

「指や手首や腕の骨を折ったら困るので絶対にいかない」とかたくなにお断りしました。
絵が書けない、字が書けない、楽器が弾けないっていうのは、とっても悲しいので。

昼休みに同僚と近所を散歩しながら、雪うさぎを制作しました。
でも、こういうものを作ると、作品に性格がでますよね(^^;
小さいのが同僚Mさんの作品、右のばかでかい変なのがわたくしの作品
(北京の雪は固めにくいなぁ)
こんな変なもの作っちゃったけど、子どもの頃から美術の成績はいつもよかったんだよ~
(信じてもらえないか…)

xuetuzi

11月
2009

心がマグロ?

日本語で「腹黒い」といえば、

陰険、陰湿な 、表・裏がある、意地が悪い 、下心のある、はかりごとをめぐらすといった意味ですね。
当然、中国語にも似たような表現があり、「心黒」といいます。
意味は、以下の通りです。

(1)腹黒い.陰険悪辣(あく らつ)である.
(2)欲が深い.貪欲である.
(出典:小学館日中・中日辞典 第2版)

ときどき、日本語ができる弁護士さんたちとの雑談で「あなたの心はまっくろ~」と直訳調の日本語でふざけあったりするのですが、
若い女性弁護士Sさんがふと、

「わたしのこころは“マグロ”~」

と言ってくれまして、妙につぼにハマってしまい、ずっと笑い続けました。
わたくしの頭の中ではS弁護士の頭の中とお腹の中でマグロが泳いでいる様が目に浮かびしまして、仕事中なのに思い出し笑いが止まらない…
「こんなくだらないことで、笑えるなんて、あんたたち、どうかしている」と同僚に言われる始末。
S弁護士は20代だからともかく、わたくしなんぞ箸が転がっても笑えるような年ごろはとうに過ぎたのに、こんなに笑えるなんて、どうしようもないバカですね。

嫌な奴にあったら、思わず、「心がマグロですね」って言っちゃいそうだ(^^;

11月
2009

締切が…

法律事務所の仕事の締切は当然、勤務時間中になんとか終わらせて、無責任なことはできないけど、それとは別の締切については、もうクビが回らなくなってきた…

例えば、某弁護士の出版のお手伝い…ごめん、後10頁、今日中に終わらせられるかどうかわかんねぇ。
それとは別の某弁護士の研究のお手伝い、ちゃんと自分の持分は完成させたぞ、早くあなたの原稿ちょうだい~~~!
ある方のご好意で、なんか分かんないけど、地方の職業技術系の学校で、学生に知財の話ししてみないかと言われたけど、パワーポイント資料、現在、作成中。
(1カ月、待ってくれるって言ったよね???)
ある公募のための履歴書作成中。(望みはほとんどないけど、いちおう出しておかないと…)

やはり時間の使い方が悪いのだと思う、きっと。
疲れて頭が回らなくなってくると、無理に仕事したって、余計に効率が悪くなるので、とりあえず放り出して、柳琴のレッスンに行ってしまおうと決意するのでありました。
先生方、すみませんねぇ…
もう、ただでさえ少ない脳みそが腐り始めました…

11月
2009

研究のおすそ分け

以下は、公開御礼状みたいなものですが、生きる気力のない若手研究者の参考になるかもしれません。

先日、東京の某大学の先生に北京でお会いしました。
そこで、いろいろ話を聞いていただいたのですが、次の言葉が印象的でした。

「私の指導教官は、自分が面白いと思うことを研究して、それをおすそ分けするような気持で論文を書きなさいと言いましたよ」

このときに、ふと「古琴」という楽器を思い出しました。
博物館や骨董屋でお目にかかることができますが、現代でも楽器街の弦楽器専門店に行けば普通に売っています。
琴柱のない小さな7本の弦がはってある琴で、音もとても小さいですね。
孔子が愛した琴です。
琴は誰のために弾くのでしょうか?
古代、演奏家という概念はありませんでした。
琴は文人の余技で、琴奏者としての文人は、自己のため、あるいは一人の友人のために琴を演奏しただけです。
社会的地位を求めなくても身分は保証されていましたので、演奏家として大衆に媚びたり、小銭を稼いだりして、自分の場所を確保する必要がないわけですね。

で、後日、わたくしはこれまた悪態ついて、

「わたくしのような者は、サントリーホールで演奏できる一流の演奏家ではなく、酒場でお客さんの機嫌をとってなんでも演奏するその場限りのプレーヤーですから、生き残るために何でもやらないといけなかったんです」

というようなことを言ってしまい、もっとも、学問というのは、これじゃいけないって分かってるんですけどね…と付け加えました。

そして、また数日後、ふと思ったのです。

先生は、研究を「みんな」に「おすそ分け」しているので、一人琴をお弾きになっている、又は一人の知音のためだけに弾いているわけではないと思います。
そう考えると、わたくしのしたいことと、大差ないのかなって気もしてきました。

例えると、わたくしもは別にサントリーホールで演奏できる奏者になりたいわけじゃないんですよね。
(そもそも、なりたくたって、なれるもんじゃない)
ただ、一定の社会的身分を維持し続けないと、演奏そのものが続けられない、誰も声をかけてくれなくなる、それが怖い、というのはありますが。

で、本当にしたいことは何かと言えば、レストランで、客に媚びることなく、他人と一緒になって合奏したい、そういうことなんです。
ちょっと古琴のスタイルじゃないですね(^^;
つまり、場所がサントリーホールじゃないから、あるいは一流の演奏家でないから「面白いこと」の「おすそ分け」ができないということはなく、大衆レストランだって「面白いこと」の「おすそ分け」は可能なんですよねぇ。
客に媚びるかどうか、「どうせ」という気持ちでやけくそで演奏して自分で自分を傷つけるかどうかは、結局は自分次第じゃないですか。

なんだ、先生の言ってることも、すごく高尚なことじゃないんだな(失礼!)と思えてきました。
「面白おかしく」研究し続ける気力が少し出てきました。
で、どこかの巨匠にサントリーホールにおいでと急に言われても、即興で演奏できるように、機会を逃さないように地道に練習し続けないといけないってことなんですよね。
先生、忙しいのに数時間つきあってくださって、ありがとうございました。

P.S
沖縄のサンシン、わたくしも聴いてみたかったです。機会があれば、わたくし笛子を吹きますので、ぜひ、歌ってください。

11月
2009

ある一日

このブログは「日常」と謳っている割には日常をあまり書いていなかったような気がするので…
アイドルのブログじゃあるまいし、誰が知りたいんだって気もするが、自分の時間の使い方を整理するつもりで書いてみる。

7:00 自然に目が覚める(夏だと日の出が早いので6時に目が覚めるが、今は冬なのでだいたいこのくらいです。目覚ましは大学院生以降、使ったことがない)

~7:30 何となくぼーっとしてカフェオレを飲む。
~8:30 柳琴の練習をする
~9:00 笛子の練習をする

9:30~12:30 午前中の仕事
12:30~13:30 昼ごはんと散歩

14:00~19:00 午後の仕事

19:30 帰宅
20:00~21:00 柳琴か笛子を練習する

21:00~22:00 某弁護士さんにお願いされてもう一回職場に戻って書類を確認

23:00 二度目の帰宅
23:00~24:00 翻訳(自分の研究)
24:00~ 睡眠…

最近、研究の時間が少なすぎ…だよね。
しかしながら、以前は仕事の後も本を読んだり翻訳をしていたりしたので、パソコンに向かう等の同じ姿勢を長時間続けると身体を壊しちゃうんですよね。
実は左肩がおかしいのも、姿勢が悪いから。

楽器を弾くのはある意味、ジョギングと同じなんです。
ちなみに笛子・洞簫の演奏家、教育家の張維良先生がある教則DVDで語っておられたのですが「姿勢がよくないと吹けないので、会議などで疲れて帰って来ても、笛吹くと疲れがなくなるんだよねぇ」という音楽の先生は意外と多いのだとか。
人に楽器を習っていると言うと優雅でいいねと言われることもありますが、あれって実は「重労働」だと思うのですが…
その辺を走るより筋肉を使うので、絶対に太れないと思います(笑)

このスケジュールの問題点は、仕事を効率よくこなして、自分の研究をもっときちんとすることでしょう。
若い弁護士にそう言ったら、「楽器弾くのやめなさいよ~」と言われました。
「精神衛生上、やめられないよ~弁護士は仕事したら報われるけど、私たちのような下々の者は仕事で努力しても報われないじゃん、だったら面白おかしく生きたいもの」とわたくし。

そしたら、弁護士も「努力したって、金払ってくれないクライアントもいるから報われてないわよ~」だって。

ははは、皆、せつないね。

11月
2009

大雪

朝起きたら大雪でした。

うひゃ~~~
暖房がまだ入らないので、めちゃくちゃ寒いです。
(アパートはぼろい古い建物でして、部屋に配置された管内にお湯が流れることで全建物内を暖房する仕組みになっているので、あと2週間くらいしないと暖房は入りません。)

部屋の中でも、とにかく暖かい衣服を重ね着して、ダウンコートを羽織り、マフラーをしました。
こういう状態はなんだか「チマキ」みたいです。
「焼き豚」と言えなくもない…

昼過ぎに、笛子の先生から連絡が入り、今日は申し訳ないが急用ができてレッスンできないとのこと。
でも、夜に柳琴の先生と約束があるので、やはり出掛けなくてはならない…
滑って転んで手を怪我しないようにしないとなぁ。
しかし、この大雪の中、課題曲は「さくらさくら」かよ(^^;
簡単な冬の曲を知らないからなぁ。

あまりに寒いので、職場に行き、自分の研究をすることにしました。
あぁ、また風邪ひいて熱出しそうだ…

10月
2009

著作権法におけるクリエーターとパフォーマー

柳琴をわたくしに教えてくれている龍海先生が変わったことを少し教えてくださいました。
弦楽器を弾く場合、隣の弦に触れたりしないために手首の動きにはきちんとした軌道があるわけですが、舞台ではそれを逸脱して、多少大げさに手を振り上げろとおっしゃるのです。
それくらい、大げさな動きをして演じないと、お客さんからは舞台で何もしていないようにしか映らない、綺麗に見えないから、というのがその理由です。
もちろん、トレモロ部分でそんな大げさな動きはできませんが、スローテンポの旋律におけるダウン奏法時には大げさな動きをしても、弦を外すなんてことはないとおっしゃる。
踊るときのように優雅に振り上げて手を綺麗に見せろ、というのが龍海先生の要求です(^^;
(きらきら星しか弾けない初級者に、舞台技術まで語ってくれるなんて…ビックリ)

だけど、確かに琵琶奏者等のコンサートDVDをいろいろ見ていると、そういう動きがあるのですよね(はっきり言って演奏そのものには不要な無駄な動きですが、とても綺麗に見えます)。

子どもの頃や若い頃に教えていただいた先生方は、淡々と演奏技術と楽譜の読み方だけ教えてくださっただけなので、ロック歌手じゃあるまいし、伝統的な民族音楽をやる演奏家が頭の中でそんなことまで計算しつくしているとは思わず、初級レベルの下手くそな奴に対しても「一人で練習する時でも、客の前で弾いている気持ちで弾け」とおっしゃったことに正直ビックリしました。
まぁ、小学校の先生になるために音大に行った方と演奏だけで飯が食えるかどうかは別として演奏家になりたくて(又はそういう人を育てたくて)音大に行った方の違いなのかもしれませんが…

そして、演奏技術に関することのほか、いつも言われるのは次のような言葉です。
柳琴の龍海先生は「頭の中にただ音符があるだけ、空っぽの状態で弾くだけでは、人に何も伝わらないよ。無いものは伝わらないでしょう?ちゃんとお客さんを感動させなさい、表現しなさい!まずは私に何か伝えなさい」とおっしゃり、笛子の雪先生も、「演奏技術なんて練習すりゃどんな不器用なバカでも向上するものなの、じゃあ、お客さんは何を見に、何を聴きにくるかって?あなたの表現よ!」とおっしゃったことがあります。
(ええと、おっしゃるとおりわたくしは、何も考えずに弾いています…だって手を動かすだけで精いっぱい…そこから先の解釈にいけるように練習しますぅ…。)

あの人気マンガ(テレビドラマ、映画化もされた)の「のだめカンタービレ」を見ていると、演奏家というのは、曲をきちんと分析して、それを表現して、お客さんを如何に感動させるか、ということに非常に注意を払っていることが分かります。

そこで、ふと演奏者の気持ちと著作権法の考え方、というのにずれがあるのでは?と思い始めました。

実演家(演奏家とか俳優さんですね)というのは、日本や中国の著作権法では作品の伝達者だと考えられています。つまり作品の創作者ではなく、他人の著作に解釈を加えるだけなので創作度は低く「実演」は「著作物」ではないのです。もちろん著作権に隣接する権利として保護を受けますが…まぁ、創作物だとは考えられていませんね。

個人的には、「他人の作品に解釈を加えるだけ」といっても、演奏にはものすごく個性がでると思います。プロの演奏技術レベルが高い一定の領域に達しているっていうのは当たり前の話として、そこから先は解釈の部分でかなり創作していると思うのです。

わたくしは翻訳を飯のタネにしていますが、契約書等の商業翻訳は創作しているとは言えませんが(フォーマットがほぼありますし、自由な表現をしてよいものではありませんし、別の解釈の余地はありません)、同じ法律分野でも法律の概説書の翻訳ですと、読者に分かりやすいように、かなり創意工夫をしなければなりません。学術的な見解が訳語の選択にも影響を及ぼします。翻訳は原作の縛りを受けますが、「二次的著作物」として保護されるのはご存じのとおりです。

「翻訳」と「実演」は同じようなことをしているのに、「なぜ、実演(演奏)は著作物じゃないの?」というのが、わたくしの素朴な疑問であります。

国によっては、例えば台湾著作権法によりますと、「実演」は「実演著作物」と称することはできないものの、「独立の著作物として保護される」と説明されます。
法律論を抜きにして感情論から見ると、こちらの立法構造の方が、わたくしには納得がいきます。

クリエーターの立場からは自分の作品をこう解釈してほしいとか、最初からこの人のイメージで創作した作品というものが存在すると思います。
そういう場合、勝手な解釈をされたら、とっても気分悪いかもしれませんね。
だったら、実演を許諾しなければいいのです。
そして実演を許諾した以上、原作の意味を著しく損なわない限りいろいろな解釈があっていいと思うのです。

そういう意味では、著作権保護期間が切れてしまったクラッシックは誰でも自由に利用できる曲ですし、クリエーターの気持ちを傷つけることもないから、むしろ自由に解釈していいんじゃない?と思うのですが、現実には慣習的な縛りを受けて、クラシックを自由に解釈し放題とはいかないみたいですが…
「のだめ」に出てくる峰君がベートーベンのバイオリンソナタ「春」を「光る青春のヨロコビとイナズマ」と解釈して演奏するのは、やっぱ、正統派じゃないんだろうなぁ。

ちなみに、両先生方は「私が模範演奏するときは、私の解釈でやっていることだから、真似しなくていいし、あなたに押しつけることはしない」とおっしゃっています。
ひぇ~訳の分かんない練習曲でも先生が弾くとものすごい名曲に聴こえるから不思議だ。

真似したくたって、できねぇよ(^^;