10月
2009

公募

今、東京です。
某大学の某研究所の助手採用試験を受けたのですが、ダメだったなぁ。
結構、自分向きな採用内容だったので、ちょっと一生懸命だったせいもあって、結構、がっかり。

でも、博士課程の学生やポスドクの人が職探しに必死なのは皆同じで、結局、どういう人が欲しいのかって問題に過ぎないわけで、落ち込む必要なんてないのだけど、やっぱり、がっかり。

公募と言いながら、実際は内定者がいたりする公募もあるし、この世界、人間関係大事だし、別に自分の人格や能力を否定されているわけでもないし、このご時世、いくつ面接受けても落ち続けている派遣の人とか数えきれないくらいいるだろうし、どうってことない問題なんだけど、がっかり…(ひつこい?)

ずっと、中国で仕事をしているので、わたくしは中国が好きでずっと中国で仕事をしていると皆思っているけど(まったくそういう要素がないというわけではないけど)、日本の給与基準で働きたいと思っていたりするのです。

え、こんなこと、公の場で言って、今の雇用主が知ったらどうするのって?
本人が日本人であって、家族も全員日本人で、家族が日本に住んでいる人間が、一生中国で単身赴任の上、安月給で仕事するわけないじゃないのって、雇用主だって最初から知っているわけですから、あまり問題にはならないと思います。(^^;

10月
2009

一億クリエータ又はパフォーマー?

フルートを吹く人たちのブログを読んでいて、はじめて知りました。
音声ブログなんてあるんだ~

ファイルアップ画面では、著作権処理に関していろいろチェック項目があったりして、ふーん、という感じ。
わたくしのファイルは、曲目は著作権切れ、演奏はわたくし本人なので、問題ありません。
著作権切れてない楽曲などを歌う場合などはそれ用のカラオケがあるみたいですね。

世の中には、趣味でああしたい、こうしたいという要望はあるけど、著作権処理できずに、アップできないようという問題が結構あるんじゃないかと思っていたのだけど、こういうニーズに応えるサービスってあるんだね。
わたくしって、そんなことも知らずに、時代に遅れている人だったんだ。。。

寧夏で買った塤による「兎と亀」の演奏(演奏と言えるものではないが)をテストでアップしてみました。
続いて、下手くそな柳琴の音もアップしてみました。
あくまでも、ド素人による簡単な曲の演奏ですから、音のサンプルってことで、許してくださいませ。

以下が音声ブログのケロログさんで作ってみた音ブログであります。
http://www.voiceblog.jp/youli/

あぁ、本当に一億クリエータ又はパフォーマーの時代なんだなぁ。

10月
2009

「弾」かない楽器もあるのでは?

日本語っていい加減だと思いませんか?

時々、不思議に思うのですが、日本語だとたいていの楽器について「XXを弾く」と言いますよね?
でも「弾」というのは弾く(はじく)行為ですから、わたくしなどは、バイオリンを「弾く」とかいう表現はかなり気持ち悪く感じます。

その点、中国語はどういう行為をするのかが非常に明確で分かりやすい。

バイオリンや二胡は「拉」
弓を引っ張る行為です。ちなみに、よくドアにも「拉」「推」と書いてありますが、この場合、「引く」「押す」の意味です。二胡の奏法には構造的に押さえる弓使いがあるので「推」とうのもありますね。バイオリンには「推」はないと思う…

ピアノは「弾」
ピアノは弦をハンマーで打つ行為ですが、大げさに弾くことと打つことは似ているような気がするのでワタクシ的には納得できます。

ギターや琵琶、琴などの弦楽器は「弾」
弾く(はじく)行為です。弦楽器の奏法で「弾」といえば「ダウン」を意味します。「アップ」は「挑」(すくい上げる)です。「トレモロ」は「輪」(アップとダウンを繰り返すからなのか?)

フルート、笛子、蕭は「吹」
息を吹きこむからですね。

歌は日本語だと「歌う」ですが、中国語だと「歌」より「唱」という動詞を用いるのが普通です。だから「歌を歌う」を中国語に訳せば「唱歌」。「唱」という動詞がとる目的語は「歌」だけにとどまらず、「唱劇」と言うのもありです。つまり、京劇みたいに歌って踊って演ずるものは「唱劇」ですね。

10月
2009

学者のあるべき姿勢

今回は鄭先生の先生の話。

1981 年、中国改革開放後の第一回国費留学生としてイギリスのロンドン経済学院(LSE)に留学しました。鄭先生の指導教官は、知的財産法の国際的な権威、柯尼什(Cornish)教授。
柯尼什教授は自分が書いた教科書の出来に大そう満足しておられ、よく授業中、機嫌が良い時など、その本を学生に掲げて

「一頁、一段落をじっくり読みなさい!」

と諭しておられました。学生が柯尼什教授に知的財産法の教科書で最も良いものは何ですかと質問しようものなら、答えは決まって

「わたしの本だ」

というほど、自信をもっておられたわけです。正直に言えば、鄭先生の柯尼什教授に対する最初の印象はよくありませんでした。
なぜなら、ものすごい自信家だから…

その後、鄭先生の柯尼什教授のイメージががらりと変わるある出来事がおこります。
柯尼什教授の本の論述の中で、ある論述と彼が引用している事例がかみ合わないということに鄭先生は気づきます。
鄭先生は悩みます。

「自分の英語能力の問題なのか、はたまた自分の専門知識の欠如なのか?!」

悩んだ末、やはり腑に落ちないので勇気を出して柯尼什教授に質問しに行きました。柯尼什教授は最初、はっとしたかと思うと、まるで質問がよく分からなかったかのような態度をとったため、鄭先生はもう冷汗ダラダラ…
その質問は相手にされないのを覚悟していたところ、意外なことに、柯尼什教授の口から出た言葉は、

「それは、何頁?」

そこで、鄭先生が説明すると、1、2分眺めた後、申し訳なさそうな顔をされて、次のようにおっしゃいました。

「どうやら引用し間違えた、今度改訂する時に直すので、君や他の読者に申し訳なかったね」

その後、鄭先生は論文指導等を通じて、何度も柯尼什教授と話をする機会があるのですが、そこで柯尼什教授がおっしゃった言葉はなかなか印象的です。

「何かを成し遂げようとすれば、まず自信を持たなければならない。何にせよ無責任な異議をすべて認め続ければ、学問にはならない。でも、自分を完璧だと思っていては、進歩できない。」
そして、英語で「Don’t think you are nothing;Don’t think you are everything」と何度もおっしゃられたとか。

鄭先生も自分の著書に何か問題点があったら、いつでも言ってねという姿勢をとられていました。
実は、わたくしも鄭先生の著述に納得のいかないところがあったのですが、日本法に関する記述のため、日本語が分からない鄭先生に中国語又は英語では上手く説明できないなぁと思っているうちに月日は流れ、先生はお亡くなりになってしまいました。先生と凡人の差はここにあるのかなぁ。

ところで、以前、ある方々の論文に日本の判例が引用してあって、原文を見ようと日本の図書館で判例を探したけれども見つからなかったことがあります。
おそらく最初に引用された方が引用し間違えて、次の方は自分では原文を全く見ずに孫引きをしているのかなと思いました。
権威が書いたものだから必ずしも正しいとは限りません。ちゃんと自分の目で確認しようよ~

参考 http://www.iolaw.org.cn/showArticle.asp?id=1925

10月
2009

国慶節

国慶節パレードの生中継、見ました。

ところで、おめでたい記念日なので、観賞しているお偉いさん方は皆、赤いネクタイしていましたね。柄はストライプだったり水玉だったり無地だったりするけど、みんな赤いネクタイ。

前半の軍事パレードはつまんなかった。長安街をいろいろな戦車(?)や部隊が行進して、アナウンサーはいろいろこれが何とか隊でどういう歴史があるとか、技術が向上したとか言っているのだけど、なんか、わたくしみたいな素人にはよく分からない。こういうの、軍事マニアにはたまらない見世物なのだろうなぁ。

各省の車は、特色が出ていてちょっとおもしろかったかな。
ディズニーのパレードみたい(笑)
海南なんて、南国ムードいっぱい
雲南や新疆は少数民族カラー

長安街は天安門広場の前を一直線に伸びるものすごく広い道路ですが、軍事用に用いることを想定しているので、ほんと、ものすごく広いですよね。

昨日、王府井に買い物に行きましたが、すでにいくつかのビルは封鎖されていて休業状態、地下鉄もいくつかの入口が封鎖されていて、特別警備体制となっており、物々しかったのです…

この式典の予行練習と、本番のために陸と空にものすごく厳格な交通規制がかかります。
国家権力の強さをしみじみ感じます。

わたくしはかつての日本の社会主義っぽい環境は悪くないと思っていました。
しかし今は、日本採用とか言って日本人の若者を雇っておきながら、現地採用にして使い捨てにしようという日本企業などを見ていると、もう日本はお終いだなと思っています。

でも社会主義を謳っている国の社会主義も…ちょっとなぁ。
手放しで賛同できるのは、女だからという理由だけで、精神的に縛られるものが少ないという点、発展中の国と言うのはいろいろな環境で育った人間がいっぱいなので、学歴の枠にとらわれずにいろいろな夢を見ることができるという点だけでしょうか。

ところで、ここ最近、テレビドラマは第二次世界大戦終結から中華人民共和国成立にかけての軍事がらみのストーリーの放送が多い。
日本人や台湾人が見たとき、ちょっとなぁ。

そもそも「ちょっと」なんて曖昧な言い方しとかないと都合が悪いっていうのが問題なんですよね(^^;