しばらく書いていないので死んでいるかとおもわれていたりして。
あながち間違いではないのだけど。
で、先週の総まとめ。
要するに週初めに熱を出して寝込んでしまいました。
新型インフルエンザはもう経験済みなので、そうでないことは確かで、単に何だかわからないけど熱が出ました。
いや~むしろ38度台の熱の方が39度台の熱より、意識がしっかりしている分辛いですね(^^;
趣味の方はといえば、結局、毎日、笛子吹いて、雪先生にも長期休暇を撤回し、面倒見てもらってます。
管楽器の上達を半ばあきらめているわたくしが浮気した柳琴ですが、相変わらず、楽器屋に教えてもらいに行ってます。
すごく下手で、弦を抑える指も弾く指もおぼつかないのに、ちょっと早く弾けただけで「うまいぞ、うまいぞ、よくやった!」と楽器屋のおっちゃん(つーか先生と言わなきゃいけませんね)が褒めてくれるので恥ずかしいです。
新しいことを教えてくれたとき、すぐに飲み込めると「かしこいねぇ」とも言ってくれるので、先生、ほんとにいい人ですね。
子どもが初めて歩いた時に(傍から見たら何てことないのに)親が大喜びするじゃないですか。
多分、それに似ているのが、年配の先生の学生に対する態度。
きっと、わたくし、褒められることに飢えていて、無条件に誰かに褒めてもらいたくて、全く経験のない新しい楽器なんてさわってみたりしてるんだろうなぁ。
世間では「男は閾(しきい)を跨(また)げば七人の敵あり」とか言うそうですが、別に男性に限らず、世間を渡るのは相当賢いか、相当バカでないとやっていけないよねぇ。(ワタクシは相当バカだからまだ生きているけど)
仕事をするってことは、その仕事でミスは許されないよね。
100%できて、当たり前。
120%を求められる世の中。
だから、無条件に誰かに褒めてもらいたいのだと思う。
わたくしが、19の時に初めて20でやめたバイオリンの先生が、こんな世の中だから音楽は癒しになるよ、やめちゃうなんてもったいないなぁと言いました。
その時は、「音楽を聴くことは癒しになる」とか「演奏する楽しみを持つことは精神的癒しになる」という意味なんだろうなと思っていたけど、ど下手でも褒めてもらえる喜びってのが癒しになるとは気付かなかったなぁ(^^;
(もちろん、プロ目指す人にはその手の癒しは永遠にないけど)
だいたい、昼間仕事して夜大学に行ってたら、真夜中しか練習できないので、止めざるを得なかったのだけど、昼休みにでも練習し続ければよかったかなとも思う。
(実家でバイオリンの弓がボロボロになっていました~なんかあれ、調整したら本当に楽器として使い物になるのかな?ごめんよ、バイオリン君)
初心者の頃と言うのは、最初は何だって簡単だから、誰でも褒めてもらえるよね。
語学だって、最初は「こんにちは」が言えるだけで、「日本語、お上手ですね」ってわたくしも他人を褒めてあげるもの。
本気でやっている人には、変な言い回ししただけで、変だよって本当のこと言ってあげるけど。
わざわざ下手な柳琴を毎晩弾くのにはそういう癒し効果があるのです(^^;
何でもないことができただけで、無条件に先生が褒めてくれる。
た~の~し~い~デス。
きらきら星しか弾けないのにね。
ご近所は、またそれかよ、と思っているに違いない…
(*しかしながら、「きらきら星」というのは、簡単なだけに本当は本気できちんと演奏したらものすごく難しい曲だと思います。「きらきら星」に始まり「きらきら星」を極めて、その人自身の「音」が見えるものだとも思います…)
もっとも「このド下手くそ~いい加減にしろ!」とご近所や家族に怒られるような環境にいる人には「癒し」どころじゃないので、この手の癒しは使えませんなぁ。