何を教えるにせよ、人に何か教えるという職業についている人は、褒めるのが本当に上手だと思います。
それでも、日本人と中国人とでは、国民性の違いなのか、中国人の方がほめるのが上手いような気がします。
わたくしなんかは、親からはダメだしばかりされて育ったので、性格がひねくれていて、この年になってもそれを引きずって生きているのですが、赤の他人である中国人の「先生」はわたくしのことをいとも簡単に「きっとできる」信じてくれます。
言葉のニュアンスの違いもありますが、日本語なら「大丈夫」という程度のことを「あなたならできると“信じているから”」という、直訳すると少し大げさな言い回しをします。
親兄弟ですらわたくしが何かを成し遂げることができると信じていないのに、赤の他人がいとも簡単に、自分の生徒を信じるのが不思議でなりません。
もしかして先生自身に自信があるので、自分の生徒が上手くならないわけがないとかって思ってる?
ちなみに、笛子の先生と柳琴の先生2人からは、「リズム感」はいいよねと褒められました。そりゃ、初心者用の練習曲なんて難しい音符が出てこないので、これでリズム狂う方が変だと思うのですが…しかも、技術的に手がついてこない場合、全体的なスピードを落としますから、狂いようがない。
龍海先生はまた、大げさに「何度、言ってもリズムが狂う子もいるから、リズム感って結構、天性という気もするのだけど」とおっしゃる。
きっと、なんど言ってもリズムが狂う子には、リズム感は天性のものなんて言わずに「練習すりゃ、身体が覚えるからなんとかなる、できるって(信じているから)」って言うんだよ、この人、きっと(^^;
ちなみに、ネットで「リズム感」「天性」でググっていろいろ調べてみますと、結局、遺伝とか天性とかいうよりも環境が大きく左右するようです。
そういや、うちの父はわたくしが子どものころからベートーベンの交響曲のレコードばっか流してたんだよなぁ。
実は「運命」を聴きながら、踊るの大好き(^^;
ところで、博士課程の学生だった頃、指導教官がよくわたくしに言いました。
「2000字の論文が書けたのだから、5000字もすぐに書ける(って信じているから)」
「1万字の論文が書けたのだから、10万字の博士論文も書ける(って信じているから)」
「博士論文が書けたのだから、君なら本の1冊や2冊いつでも書けるよ(笑)」
「私に普通に中国語で喋っているのだから、君も中国語で講義くらいできるよ(笑)」
おそるべし、中国人の先生…
この言葉に何度騙された(?)ことか。
本当は自分で自分に暗示をかけられるのが一番なのだけど、子どものころから、周囲に「できるわけがないからやめとけ」と言われ続けてきた人間の思考パターンを変えるのは難しい…
日本人は、天才ではない普通の人間をそんなに簡単に(ある意味、無責任に、というか、根拠もなく)肯定してくれないような気がするのですが…どうでしょう?
それとも単にわたくしが日本では環境に恵まれてこなかっただけなのでしょうか?
やはり、多少、国民性という要素があるような気がします。
だって、日常生活にしろ、ビジネスにしろ、問題がいっぱいあるのに、中国人は「大丈夫、大丈夫、なんとかなるから~」とよくいい、日本人はハラハラさせられますが、何故、そこまで楽観的になれるのか、そのへんの感覚の差というのが、「君ならできる(信じてるから)」ってあっさり確信できる原因なのでは、という気もします。