1月
2010

人情と法律

たまに「冷たいね」と言われることがあります。
それは、いろいろな問題を人情で考える前に、まず法的にはどうなんだろうと考える癖がついているからなのですが…
世の中には法的に割り切れない人間関係があるのは事実なのですが、義理人情で考えた場合に理があっても法的に強力な防御策がないこともあるわけで。

事実上の夫婦とか、事実上の親子とか、事実上の労使関係とか。

「何が事実で何が正義かなんて大事じゃないの。それは神様じゃなければ分からないことで、そんなことはこの世では重要ではなく、証拠があってきちんと証明できたかどうかの問題に過ぎないんだよ」と日常生活で知人に言ってしまうと、「冷たいね」となるわけです。
(もちろん、クライアントに対しては、わたくしは弁護士ではないので絶対に意見は言いませんし、弁護士はクライアントの立場に応じて、不利であろうがなんだろうが、最善策を模索するでしょう)
あたたかい環境下で生きてきて、法律屋でない方はまず、義理とか人情とか友情とか、そういう観点から人を励ますことができますが、どうも、わたくしは内輪の人間に対して「無条件にあなたの味方だ」という発言をする前に、客観的に冷たいことを言ってしまうようです。
夫もどうやらそういう傾向があるようです。
でも、希望なさそうなことに対して「大丈夫」って言えないし。

この世はもともと不公平にできているものだとわたくしは感じています。
だから、「事実上」何かをする人は予めそのリスクを最小限に抑える術を講じておくか、最後に泥を被る覚悟もするしかないのだと思うのです。
寂しい考え方かなぁ。