1年前のお正月に書いた原稿が「人民法院案例選」最高人民法院中国応用法学研究所編、人民法院出版社に収録されていたようで、先日、最高人民法院応用法学研究所に勤める姐弟子が送ってきてくださいました。
内容は日本の判例とは何ぞやから始まって、判例のリサーチ方法の説明なので、日本の法学部生なら誰でも知ってるよね、ってな他愛もない文章なのですが、できる限り中国人のWHYに答えようと試みたという点で工夫したつもりです。
「日本は成文法の国で、判例法の国じゃないのに、なぜ、判例に拘束力がある(ように見える)のよ?」なんていう素朴な疑問に答えてみようかなという意図で書きました。
しかし、これも深くつきつめれば、それこそ本が一冊書けるような大問題なので、わたくしのようなヒヨッコが先人の研究のエッセンスを引用して簡単に説明するのは大変でした。
中国にも判例によく似た「案例」なるものが存在し、便宜上「判例」と訳しますが、厳格に訳そうとすれば困りますね。
日本のような小さな国で、しかも、人と異なった行動をとることにひどく恐れる日本人社会では、似たような事件に似たような判断が下され続けて慣習法が形成されるのに何ら不思議なことはありませんが、これが中国ともなると都市と田舎、北と南、西部と沿岸部、漢民族とXX族で考えが異なるなんて当たり前ですから、日本のような判例が形成されるということは理解しがたいのかもしれません。
わたくしはこれまで日本の法学部出身者にとって当たり前すぎることを中国語で書く機会をいただくたびに、中国語のできる賢い弁護士がこんなにたくさんいるのに、なぜ自分に話をふってくれるのかよくわかりませんでした。もちろん、わたくしはエリート学者、公務員、弁護士と違って比較的書く時間があるし、大層な報酬を請求したりしないし、自分のポリシーに反する内容でなければ喜んで原稿を書くからというのも大きな理由でしょうが、最近思うに、たぶん、通常の日本人又は中国人は、日本か中国のどちらかだけで学士、修士、博士を連続して取得する人が多いのに対して、わたくしは普通に日本の法学部で日本の法律を勉強して、修士課程は日本で中国の法律を勉強して、最終的に博士課程は中国で中国人の先生や学生相手に、中国法の土俵で勝負しても勝ち目がないので、日本法はこうなっているんですということを外国法と対比させながら説明してきたため、中国人は日本のここが、日本人は中国のここが変だと思うツボみたいなもんが、なんとなく分かるからではないかという気もします。
ある意味、奇怪な経歴(短所)は、最大の強み(長所)でもあるということなのでしょうか。
ところで、この解説文の著者名を「荻原有里」とミスプリントされてしまいました。
申し訳ないと思った姐弟子は、人民法院の便せんを使用して、荻原有里は萩原有里の誤りですとの証明書を添えてくださいました。
中国人は「萩(はぎ)」という漢字を一般的には知りません。100%「荻(おぎ)」だと勘違いします。日本人の知人にですら「おぎわらさん」と呼ばれることがあるので「ありさんと呼んでくれ」と言っています。
人によってはどっちだったか自信がなくなるのであえて名前で呼んでくれる人もいます。
有里は「ゆり」ではなく「あり」と読まなければならない厄介な名前なので、困りものなのですが。
知人の中にはわたくしを「ゆり」または「ゆうり」だと思っている人が少なからずいます。
珍しい例では「ゆか」さんだと勘違いしたまま、本気でそう呼びかけ続けてくださった人もいるのですが、きっと前の彼女が「有加」さんとか「有香」さんだったのでしょうね。
パスポートがARIなので今さら、自己の都合で読み変えられないしなぁ。
もっとも自分の名前がある程度認識されれば、誰も校正ミスをしないわけで、そうなるまで頑張り続けるしかないのでしょうね~(笑)
「中国特色案例指導制度研究」(人民法院出版社、2009年5月)という本を東方書店で買ってパラパラと見ていたら、上記のご論考が転載(※)されていました。そこでは、ちゃんと「萩」となっていました。ご一報まで。
(※)転載であることがどこにも書いてありませんが、このブログを見て転載と知った次第です。
(すみません。重複投稿になってしまいました。先の方を削除しておいて下さい。)
Morikawaさま
そうですか~そんなことがあったんですね。
教えていただきありがとうございます。
姐弟子がすごく恐縮していたので、その後の転載ものは直してくださったのでしょう(自分も確か初校は見たはずだったんだけど、内容だけ見て名前に気づかなったんでしょうね…)
ある中国の雑誌に載った別の研究ノートではきちんと「萩原」だったのに、それを無断でウェブに転載したものでは「荻原」になっていたという事例もありましたけどね(^^;