6月
2010

翻訳と感性

つくづく、翻訳とは外国語の問題ではなく日本語の問題なんだなぁと思います。

似たような言葉が出てきても、いかに区別して、いかに感覚的に近いものにできるか、そのためには、自分の頭の引出にたくさん日本語の言葉がつまっていないといけない…
辞書通りの意味でいいなら、機械翻訳で十分だものね。

先日、ヤフーのチャイナモールを見たら、機械翻訳なので面白い訳がいっぱいあった。
まぁ、だいたい意味の分かる表現もあれば、原文見ないと何だかよく分からない表現もあったりで、かなり笑えました。

ところで、こういう文章はなんと訳したらいいんでしょうね?

例題:楽器の共鳴板の材質による音の違いの説明文。

原文:「紫檀木琴的优点是音色纯净,酸枝木琴的特点是清脆明亮,黑檀木琴声音比较清脆明亮结实.各有特点.」

半加工:「紫檀の良いところは、音が「純浄」、酸枝(紅)木の特徴は、「清脆明亮」、黒檀の音は比較的「清脆明亮結実」であることであり、それぞれに特徴がある。」

仮訳:「紫檀の良いところは、音に透明感があること、酸枝(紅)木の特徴は、凛として澄んでいるところ、、黒檀の音は比較的、澄んでいながらも重厚感があるところであり、それぞれに特徴がある。」

太字の部分をどう訳すか。そこでその人の感性が試されているような気がしますね。
こんな訳でいいのだろうか。
もっと上手い言い方があるに違いない、というところが絶対的正解のない翻訳の楽しい(あるいは辛い)ところなのかなぁ。

文字を無視して自分が弾いてみたときに感じたままを書くというのも手だな(おい)。